キリスト教徒、という名称に代わる何かを考える

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キリスト教徒、というと、なんか「宗教の人」っていう感じがして、どうも名乗りたくないので、別の名称を考えてみる。
「キリスト者」、これはどうだろうか。実際、この「キリスト者」という名称は昔から使われている。ただ、何かの会社のようにも思われそうだ。
「神の民」、てのはどうだろう。しかし、これも何か若干、お高くとまってる感じがするではないか、選ばれし者かよ、みたいなね。
「イエスの信奉者」、はどうであろうか。しかし、これではイエスだけの信奉者になりはしないか。天の父を差し置いてイエスのみを信奉するのか?と。
いや、それよりもイエスよりも苦しい死に方を選んだペトロは?美形で完璧な青年であるにもかかわらず生涯、結婚せずこの世を去ったヨハネは?もとは、キリスト教を弾圧する側だったが、イエスにより一瞬でキリスト教に改心し、命をも捨て信仰を守り抜いたパウロは?いや、イエス以前の時代から、彼の道を整えるために多くの預言者が、命を捨ててでも信仰を守り、また守らせようとした。イザヤやエズラ、他の小預言者も然り。彼らの存在は?
そして他の名もなき古代のキリスト教徒の魂は?「イエスの信奉者」を名乗ることで、他の義人を無視することになりはしないか?深く考えてしまう。

いや、だいじょうぶ。イエスの中に全ての義人の魂があるからだ。
ペトロの最期の言葉を思い出してくれ。
この世は、全てが逆転した世界、あなたがたも逆転した思考で生きている。狂っているのに、それに気が付かないのだ!善が悪になり、悪が善になる。だからこの世で唯一正しい存在であったイエスの中に逃げ込みなさい、と。
こう言ったのだ。
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