疑い、嫌悪感が現れたら…

記事
コラム
『疑い』

誰かを
何かを
物事を
そして自分自身を

疑うとき
疑ってしまうとき
何ともいえない感覚に包まれます。

ハートを
胸の奥を何かにギュッと
つねられるような。

もちろんその感覚は共通じゃないので
人それぞれだけれど。

今日話すことはその感覚についてではなく、
その感覚と思考を繋げるのではなく、

「疑い」というものが現れたとき、
自分にこの問いかけをしてみませんか。

『私が今、とらわれているものは何だろう』
『今、何かに「執着」してるものが実はあるのでは?』

あなたが
誰か、何か、物事、信じてきたもの全般に
疑念を抱くことと、

あなた以外の誰かが
あなたを「疑うこと」は

見方によっては、
その根本は同じところからうまれているのかな、
そう思うところもある。

それも含めて私はこう思う。

「疑念」は、
様々な要因が重なり原因となって
表面化したもの。

「嫌悪感」も同様に思う。

そして、

疑念も
嫌悪感も
その要因の根本をたどれば
すべて自分にある。

外(誰か、物事、何か:自分以外のなにか)
ではなく、
内(自分自身)にその要因の根本がある。

『自分の心が、自分の外にそれを観る、写し出す』


誰か、何か、物事を疑う、嫌うとき、

その対象に原因を探るのではなく、
その相手を責めるのではなく、

自分の考え、こだわり、執着、観念、
「心の在りよう」を
まずはじっくり観察することが
第一にすることなのでは、そう思う。


疑念、嫌悪感を抱いているとき、
・集中できない
・落ち着かない
・体は強張る
・呼吸は浅い
・些細なことが気になる、気に障る…など、

ざっと挙げてもみても
こんな体感があるかな。

心が暴走している状態で、
何かにとらわれ、
物事、ヒトを冷静に、客観的に、
みることからも離れている。


『私が今、とらわれているものは何だろう』
『今何かに「執着」してるものが実はあるのでは?』

この問いかけだけでも、

私たちは目の前の出来事に対して
冷静な、客観的な視点でみることができ、

その対象と程よい距離(スペース)がとれる。

つまり
暴走する心にブレーキをかけることができる。

望むことは、
自由気ままな心を上手にコントロールできる。
「心の制御」心から自由になること。

少しでもいいから
とらわれているその場から

自分よりもっと大きな意識と重ねて
今より少し高い視点から
自分を観察し
自分が観る景色を冷静に観察してみる。

そのためには
程よい身体のリラックス環境を
整えることが必要。

緊張状態が長く続いている、
頑張り過ぎな身体が当たり前になると

対物事、対ヒト、対自分に
私たちは不足を見るようになる。

「心に不足をみれば、外に不足をみる」

これでは自分自身はもちろん、
人間関係、コミュニケーションに対して
不必要な出来事(論争、口論など)が起きる
きっかけになるかもしれない。

これは出来るだけ避けたい!

「疑い」「嫌悪感」が、
ひょっこり顔を出してきたと、
それに気づいたときは、

まずは
十分な休息、休養を取り入れてほしい。

そして、
『私が今、とらわれているものは何だろう』
『今、何かに「執着」してるものが実はあるのでは?』

自分のこう問いかけてみることを
されてみてはいかがでしょうか。

きっと違う視点から
今本当に観るべき自分のテーマを知る
きっかけになるかもしれません。

私はヨーガ療法
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