教養としての自然哲学とソフィスト➀:イオニア自然哲学

記事
学び
自然哲学:紀元前7~6世紀にギリシアの植民地イオニアの中心地ミレトス(現トルコ)で誕生した最初の哲学(フィロソフィア=知「ソフィア」を愛する、「愛知」)。神話(ミュトス)の世界から、人間の理性(ロゴス)に基づき、観照(テオリア)によって自然・万物(ピュシス、physis)の根源(アルケー)を探求するようになりました。これは、現代キリスト教神学を格段に発展させたブルトマンの「非神話化」に通じ、今日の物理学(physics)ともつながってきます。例えば、漂白の哲学者クセノパネスはホメロスとヘシオドスが神々の残酷な争い、殺戮、盗み、姦淫、騙し合いを歌ったことを非難し、人間でも許されない非道の行為を善美の神々が行うはずがないとし、人間が自分の姿に似せて神を作ることは誤りであるとました。このような道徳的な観点からの神話批判の到達点がプラトンの『国家』における「詩人追放論」です。また、これらのイオニア自然哲学者達を「自然学者」と呼び、万物の物質的原理を科学的に探求しようとした人々と位置づけたのはアリストテレスでした。論理と実証を武器に、神話化された世界に立ち向かった初期ギリシア哲学者達は「ソクラテス前派(フォルゾクラテイケル)」と総称され、その合理的精神の背景には自然自体に神を見出す汎神論(はんしんろん)、万物を生命を持った存在と見なす物活論(ぶっかつろん)があるとされます。

タレス:「哲学の祖」「最初の哲学者」(アリストテレス)。万物の根源は「水」。

アナクシマンドロス:万物の根源は「限定されないもの」(ト・アペイロン)。

ヘラクレイトス:万物の根源は「火」。「万物は流転する。」生成変化そのものが宇宙の実相であると説きました。

ピタゴラス:万物の根源は「数」。ピタゴラスの定理(三平方の定理)で知られます。ピュタゴラス派(教団)は天体の運行をはじめ、一切の自然現象が織り成す「調和(ハルモニア)」を数学・幾何学のロゴスに求め、音楽理論もこの延長に打ち出しました。さらに「大宇宙(マクロコスモス)」と「小宇宙(ミクロコスモス)」としての人間を対比させ、新しい医学を切り開くと共に、死と再生を繰り返すディオニュソス信仰に基づくオルペウス教の「輪廻転生説」を引き継ぐ「霊魂(プシュケー)論」も持っていました。

パルメニデス:南イタリアのエレアを拠点とするエレア学派で、万物の根源は「有るもの」。「有るものは有る、有らぬものは有らぬ」「有るものはただ一にして一切の存在である」として、一切の運動変化を否定しました。プラトンの「イデア」論の原型とされますが、生成流転する自然に関する認識は一切虚妄というパルメニデスの呪縛を克服するためには、レウキッポスとデモクリトスによる原子論の登場を待たなければなりませんでした。弟子のゼノンは「アキレウスは亀に追いつくことができない」という逆説(ゼノンのパラドックス)で有名です。

エンペドクレス:自然哲学者。火・土・空気・水の四元素で世界が成り立っているとしました。これは中国の五行(木・火・土・金・水)論と通じる考えで、後に西洋占星術に取り込まれ、牡羊座・獅子座・射手座は火の星座、牡牛座・乙女座・山羊座は土の星座、双子座・天秤座・水瓶座は風の星座、蟹座・蠍座・魚座は水の星座といったカテゴリー化がなされたりしています。しかしながら、「医学の祖」ヒッポクラテスは『古い医術について』で、エンペドクレスの哲学は仮説に過ぎず、思弁による図式化と一般化による空論であると批判し、事実の蓄積に基づく確実な知識が人間にとって有用な「知恵」と「技術(テクネー)」を生むのであり、この条件を満たしているのが医術であるとしました。ヒッポクラテスは詳細な臨床記録である『流行病について』でも、全ての病人を治すことができるのは奇跡であって医術ではないとし、有効性の限界を認識するところに「技術」は成立するとしており、『誓い』では己の技術を患者の利益のためにのみ用いることを誓い、安楽死、堕胎などに加担することを拒み、患者の私事を口外しないとして、現在でも大学医学部の卒業式などで朗読されています。

デモクリトス:万物の根源は「原子(アトム)」。原子の離合集散の物理的運動として、自然現象の一切を首尾一貫した理論に構成した原子論により、自然哲学は完成したとされます。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す