『小説の技法』~母音の話

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 前々回、母音と感動の話をすると大盤振る舞いの予告をしましたが、確認で調べてみると、難しい。いきなり、音韻説の解説から始まり、私は逃げました。予定変更。
 まぁ、休日なので、私のいい加減な知識を舐めてやろう程度で、ラフにお願いします。

 私は、実は、舞台作家・演出志望です。でした、と書くのも癪なので、「です!」。
 そういうわけで、舞台も結構、書いていないわけではなく、学生の頃は、自分の作品に主演などしておりました(笑)。フィッツジェラルドの「夜はやさし」を舞台化して、主役の二コルを演じました。と自慢!になるかなぁ…ちなみに、「アゴラ劇場」です。
 大人になると、女の身で劇団もなく商業演劇(ミュージカル)志望。世に出る手立てが全くありませんでした。で、代作だったりしたわけです。あまり詳しく書けません。<(_ _)>

 琴音でデビューし、三本ほど、お話を頂いていましたので、充電した後は、劇作家だもん!って、こっそり思っていましたが、見ての通り、大病で15年ふいにしております。
そういう事情で、私、舞台に通い詰め、山ほどビデオテープの時代から観ておりました。

 で、開音と閉音の話をしようと思ったら、合音はあるし、二重母音だの、長母音がどうしたのこうしたのって、難しい話になったわけです。なので、今回は、私が戯曲と言うか、自分のミュージカルの脚本を書く時、見る時に気を付けていたことをちらっと書きます。

 これは、某劇団と仕事をした時の話ですが、脚本上、「シリアスで知的な男」なんですが、板に乗せると「軽い多弁な男」に見えるという現象に参ったことがあります。で、この役の台詞の末尾の母音を数えました。「〇〇だ」なら「あ」、「××だと思う」なら「う」。圧倒的に口開いて終わるんです。私は、「思う」、「ます」、要は、「う」音を増やして、「あ」音を減らしました。い、え、お、にも意味はあったですが、説明していたら、1,000字で終わりません。ただ、この末尾の母音操作だけで、台詞は同じでも、冷静で、知的、物静かな男になるんです。ちょっと、ふうん、でしょう? 

 で、ミュージカルのラストソング、泣きますね? 泣くでしょう? 私は泣く!
 例えば、「華麗なるギャツビー」(小池修一郎作・演出)。ラスト、ギャツビーが殺された後、少年時代のギャツビーが自分の夢を語るシーンが挿入されます。そこに歌いながら、ホリゾンと中央より、青年ギャツビーが登場。

「だから、僕は取り戻そう。あの日の、あの時、懐かしいあの愛の時、朝日の上る前に、朝日の上る前に」(「朝日の上る前に」歌詞:小池修一郎)がサビです。生で演じられると、涙腺に来るんです。で、皆さん、数えてしまいません?「あ」がいかに多いかということを。たしかに、「あ」音のたびに涙ボタン、ポン、ポン、なんですね。

「涙、笑い、悲しみ、苦しみ、長い旅路の果てに掴んだ、決して終わる時など来ない、あなたの愛、この愛」。(「愛のテーマ」だっけ?)これも、小池修一郎潤色の「エリザベート」初演時のラストの歌詞です。「あ」連打。

 皆さん、YouTubeにGO! 「あ」に泣かされているとわかっていても、私は泣きます。
「あ」音は、感動するんです。どうしてか? 知りません。私の生まれる前からです。 




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