ATMとしてのプライド

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先日行った美容院の店長さんとの話。

その店長さんの子どもが遠方の高校へ進学し、帰省やら生活費やらでお金がかかるという話をしていました。

その時に、店長さんが言った言葉に考えさせられてしまったのです。
「いやぁ、俺もATMとしてのプライドもあるし…」という一言。

子どもから「〇〇を買いたいからお金が欲しい」と言われたときに大黒柱としてそこはドーンとお金をだしてあげたい、という。

世の中には働く旦那様の事をATMとしか見ていない奥様がいるという話を聞いたことがあります。(その考えに至った背後には、それぞれの諸事情があるのでしょう。ここではそれが良い悪いという話はちょっと置いておいて…。)

ATMとしか見てもらえない旦那様、一生懸命働いて家族にそう言われたらどんな気持ちなんだろう?
「どうせ俺なんてATMでしかないんだろ」…すねる
「ATMだと!!ふざけるな!!」…怒る
「こんなに頑張ってるのに酷すぎる…」…悲しみ
「だれのお陰で食べれてると思っているんだ!」…縛る

そのすべてに「寂しさ」が見え隠れしているように感じるのです。

それゆえにその「寂しさ」とは真逆の、店長の発した「プライド」という言葉に面食らったのです。そう語った店長からは「寂しさ」ではなく、「誇らしさ」や「満足気」な様子がうかがえたんですよね。そういう考えで「プライド」として自分の中にATMを取り込むのであれば、卑下することもなく、家族の中で孤独感を感じることもなく、家族を恨むこともなく…。

その時に私の中に浮かんできたこと。

「あ、、、!

アドラー心理学の「他者貢献」の考え方だ!と。

岸見一郎氏の著書「嫌われる勇気」の中に書かれていました。

●人はどうすれば「勇気」を持てるのか?
→「人は自分に価値があると思えた時だけ勇気をもてる」
●じゃぁ、どうすれば自分に価値があると思える?
→「誰かの役に立てた(他者貢献)」と実感したとき。

しかもそれは「主観」で構わない。

つまり「私は誰かの役に立っている」と自らの主観によって「他者貢献」を実感できた時、自分に価値があると感じ、勇気を持つことができる。こうして人は幸福をつかむことができる。

っという内容でした。
家族の為に皿洗いをする母、この時に
「みんなテレビ見たり好きなことしてるのに、なんで私だけこんなことしなきゃいけないのよ!!」っと思うのか「私のやってること、家族の役に立ってるわ~♪」と思うのかで母の気持ちは随分変わってきますよね。そうすると機嫌も変わってくると思います。プリプリ怒っているのかニコニコ穏やかなのか。

店長のATMとしてのプライドもこの「他者貢献」と同じなんだと思います。仕事が忙しくて家族と過ごす時間は少ないかもしれないけど、ATMとして家族に貢献できている。家族の幸せに関与しているという自負を感じました。

何事も捉え方次第で心のありようが変わるものですね☆








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