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むかしPTA新聞に「やらない善より、やる偽善」について書かれていた記事がありました。
その筆者はこの言葉に衝撃をうけたそうです。
偽善のはびこる世界になってはならない。偽善は混乱を招き、不信感が増幅する。人を責め立て日頃のうっぷんをはらす人々、今、本当に大切なものは何かを考えるべきだ。まずは大人が心をとり戻す必要がある…。
という内容の記事でした。
あなたはこの言葉をきいてどう感じましたか?
あなはの考えはどのようなものでしたか?
私もこの言葉について少し考えてみました。
結論から言うと私自身は
「やる偽善」派です。
もちろん偽善がはびこる世界を良しとするわけではありません。
ただ、「やる」ことの方が大切だと感じたからです。
「やる」ことで自分の中に沸きあがる感情にしっかりと目をむけれたら。そこが大切だと思うのです。(それを感じずにずっと偽善を続けていたら、偽善ロボットになってしまいそうで怖いですが。)
最初は偽善でも、
人の笑顔が見れて自分もうれしくなった
人の喜ぶ顔をもっと見たくなった
もしそう感じて次に繋がるのなら、それがいずれ偽善という姿を本物の善に変えていけるのではないのかな?
どれほど大きな善を抱いていても、それをやらなければ相手に伝わる事はない。アウトプットすることで世の中が回っていくんだと思うんです。アウトプットして初めて心の触れ合いが生まれるんだと思うんです。その心の触れ合いこそが大切なんだと、、私は思うんですよね。
けれど、やる偽善にとどまり続けることを推奨するわけでは決っしてありません。記事の筆者の言う通り偽善にあふれた世界にはなって欲しくない。
「やる偽善」を入口として、自ら模索し「やる善」という出口を探して行って欲しい。逃げずに自身の感情と向き合う事で必ずその出口が見つかると信じています。
あなたは、、、
どのように感じましたか?