競争ではなく、共生へ。

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こんばんは。占い師&スピリチュアルカウンセラーのクランベリー茉凛です。

今、段々戦争が世界的に増えてきている実感がある方も多いかと思います。
国際情勢は各国の姿勢が如実に反映され、それに翻弄される形で罪のない人々の命が危機に晒され、悲しい出来事に直面させられています。

いったい私たちはこのような時代に生き、何を思えばいいでしょうか。
自分の国が安全なら、それでいいのでしょうか。
たった一度の人生で、それを「人との争い」に費やすことの意義とは何なのでしょう。

ちょっと身近なお話で考えてみたいと思います。
例えば、残念な例として、勤める会社で、自分さえ上司に気に入られればいいという姿勢の人がいたとしましょう。
部下が困っていても知らんぷり。仕事は押し付けるだけ押し付け自分は楽をすることばかり。こういう人に限って上司が見ている前でだけ有能な上司面をする。
このような人は、自分で自分をどう思うのでしょうね。決してかっこいい生き方だって思えないはずです。周りをごまかせても、自分の心は決してごまかせないから。そして人心が離れ、いずれ孤立を招くリスクもあります。

でも、「自分は別に出世とか興味はない。それより、一緒に働く人が気分よく働けるように、一緒に過ごす仲間が少しでも幸福を感じられるように働こう」こう思えたら、きっと一緒に働く仲間で心ある人は必ずあなたの清らかな心を感じ取ります。そして、一緒に働けてうれしい、と思ってくれるようになります。
こういう仲間との共生がこれからの時代大切な財産となっていくと思います。競争でもって出世して、それで孤立したら、果たしてそれは幸せですか?誰も、本当の心がなく肩書だけ偉くなった人を尊敬などしません。
肩書などなくても、いつも熱心に動く人、こういう人が本当の意味で幸福だと思えます。何故なら、自分は周りの役に立ちたい、という純粋な気持ちは、必ず助けられた人に深い感動を与え、その暖かい輪がその人を暖かく包みます。それだけで幸せなのです。見返りではなく、相手が楽になったならそれでいいという慈悲の心。

人を押しのけて、陥れてまで自分が評価されよう、優遇されよう、他人よりもっと幸せになろうという心は捨て去りましょう。
そのような心でいては、誰も寄り付かず(悪意のある人からは人は遠ざかります)、いつか応報が大きなブーメランとなって戻ってくることもあるのです。

仲間ということをきれいごとと思われるかもしれません。
でも、だからといって、競争論理の中でどっぷり生きていて、足を引っ張りあって、嫌がらせをして本当の幸福を感じられますか。嫌なことをされたら嫌なのは、みんな一緒です。そのような気持ちを周りに与え続ける人は、果たして幸福な生き方をしているといえるでしょうか。

善因善果という言葉を信じ、愛を持った行動で、仲間と助け合って働く、という気持ちを忘れないで生きたいなと思います。

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