伊福部昭さんの評価の変化

記事
ビジネス・マーケティング
先日、「緊急地震速報には元ネタがあった」と言う内容を書きました。

今日は緊急地震速報から離れて、伊福部昭さんについてお話ししたいと思います。

私は伊福部昭さんが大好きで、それはアイヌ音楽の影響をうけつつも、日本古来の雅楽や歌舞伎という「いったいかにも日本の古いものを持ってきました」というのが入っていないところ、それが入っていないのに日本を感じる雰囲気があるからです。

伊福部昭さんのすごさは前回書きましたが、彼が評価されだしたのはここ20年程度のことです。

私が小学生だった高度成長期は、日本人の音楽は不協和音がほとんどの曲やメロディーのない現代音楽が、「これからの音楽だ、これからのクラシックだ」ともてはやされていた時代です。

高度成長期で景気も良かったため、曲の編成もオーケストラの楽器をとてもたくさん使う曲が多く、50人から100人程度幅はありますが、かなり大規模なオーケストレーションになっている曲が多いです。
特に打楽器の人数が当時はとても多かったです。
ほとんどの曲が高そうな楽器をずらりと並べて、派手に効果音を奏でる、当時はそれがかっこいいと思ってやっていたのでしょう。
そんな時代、伊福部さんの曲は「ダサい」「時代遅れ」などと言われていました。
子どもながらに、「なんでこんなにカッコいい曲が評価されないんだろう」と当時思っていました。

しかし、時代が下り、前衛的な作風が次第に寄り付きにくくなるにつれ、伊福部さんの音楽の価値が見直されていったのです。
伊福部さんのアイヌ音楽の影響もあり、力強くそれでいてモダンな音楽言語と溶け合う日本人らしい繊細な感性と魂が宿っていたことが認識され始めたのです。
舞楽や歌舞伎といった日本古来の伝統文化をとは一線を画しながらも、日本人の心の奥底に通じる何かを持っていた。
そんな伊福部さんの音楽は、近年になってようやく正当に評価される存在となりました。
前衛的な作風一辺倒だった時代から解放され、改めて日本人の心に響く名曲として、伊福部昭さんの音楽は見直され続けているのです。
そしてそのことがおじさんになった私はとても嬉しいです。

今日は伊福部昭さんのお話しをしましたが、昭和の日本の作曲家には、良い曲を書いていながら、時代の先を行きすぎていたり、政治的な理由で正当な評価をされなかった方がまだまだいます。

伊福部さんのように、「ダサい」と言われていたのはまだ良かった方で、存在を記録から消されてしまった、「いなかったこと」にされてしまった作曲家もいます。

また機会があったら、この方々たちについて書きたいと思います。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す