怖くない自己破産。

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法律・税務・士業全般
わたしは、20001年に創業したシステム開発会社を2011年に自己破産、倒産しました。
横浜で創業し、2005年頃恵比寿に移転しました。
横浜時代は、年商が1億こえることがなかったのですが、倒産な末年前ごろからようやく年商が1億円超えるようになり、順調になってきた。
そのてめ、人手が足りなくなり。従業員も十数名から30名に増員することによって、単月赤字が大きくなり、且つ忙しくなり数字をみてませんでした。忙しいのを言い訳にしてました。本当は、数字が悪いのが薄々分かって他ので見たくありませんでした。銀行残高が30万付きの支払いが300万。完全な資金ショート。銀行に行くがすでに借入があり、追加融資は、難しいと断られ。
家族や友人に頭を下げ回る。
当然、皆んなに断られる。
そんな時、銀行から連絡があり、追加融資が可能だと言われた。
ここには、ここには、書けない。闇があります。
で、リストラも行い。家賃が高いので、事務所を狭いところに移転して、延命処置をする。しかし、リストラした後なので、結局残った人たちに負担がかかるし、会社の空気も悪く、新規も取れずに転がり落ちるだけ、そんな状態だったが、納品したシステムの障害がいっぱい出て、頭を下げ回る日々。
そろそろ、たえさんの準備をしようかと。弁護士をさがす。その時の負債は、1億で、とても返せる状態じやないので、自己破産を考える。
支払いを送らすことができるところから、支払いを遅らせていく。
個人の外注や小さい会社から優先的に支払いを行なう。
この時、リーマンショックだったので、売上の会社も数社入金が遅れる。取立てに奔走する。
もう、モチベーションが上がらない忙しい毎日を過ごす。
とうぜん、自分の給料は未払いにする。社会保険や市民税などの支払いを遅らせていく。これらは、会社ではなく、個人に残る。自己破産しても、これらの支払いだけ残る。
リストラの仕方、倒産の刺せ方、自己破産の仕方は、コツがいるなとおもった。
この経験を活かせレバと思う。
義弁護士と相談し管財人が入り、銀行などの凍結が始まる前にら有線的に支払いするところの支払いが完了し、管財人どの調整に入る。全ての通帳とカードを提出、それ以外に資産がないか、ひありんぐされ、リストを作る。資産とは、20万以上のものが該当する。当然嘘のリストは、後で罪になると思う。しかし、わたしは、借家で車も持ってなく、パソコンも安いものだったので、紙産が全くなかった。で、自己破産の裁判が行われた。さいばんには、債権者は、だれも出席なかった。銀行は、政府のセーフティネットを使ってたし、あとは、大手ばかりだったので、どこも来なかった。裁判は、5分で平和に終わる。
破産後たいへんだったのは、市民税の支払い。これは、個別に交渉のため。市役所に行き話をするが、ゴネてたら、どんどん利子がかさんでいく、80万の未払があっという間に120万になる、しかし、支払いができない。あと、卵で嗅ぎつけたかやからないが、チンピラが「お金の借り方おしえるから、1500万借りよと言われる。500万を貴方に上げて、逃がしてあげると言われれ、話を聞きに行く。しかし、お金の借り方は、私の方が数倍知識があり、ヤバいと思い。電話でお断りするが、恫喝される。基本恫喝は、禁止なんですぐに、「大きな声を出してごめんね。」と言われる。
本当に色々なことが起きる。しかし、全てが経験であると、前向きに捉える。
このような経験を今現在進行中で経験されてたり。将来に不安カマある方は、お気軽にご連絡ください。
そのあと、こまったのは、携帯電話の契約の審査がとおらなくなったことぐらい。当然、クレジットカードは使えないが、楽天のビットカードの審査は、通った。
そのくらいである。
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