海外移住のススメ

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私は、2016年に家族3人で台湾に移住しました。
移住を決意したのは、息子に「英語話せたら世界中の人と話せてが良いよね?」と聞いた時、彼は「日本で良いじゃん」と、答えた。ちょっとヤバいなと思いました。胃の中の蛙だし、視野が狭いなと。私の嫁は、中国人だ、いわゆる彼は、ハーフなんです。ハーフで母親のルーツである中国語を話せないのは、カッコ悪いなと思い。中華圏に移住を決意しました。中華圏の何処に移住するか、調査に私一人行きました。中国大陸。中国大陸は、丁度反日運動が激しいのもあり、ナシにしました。次は、香港。香港を考えたとき、物価が高く感じ、悩んで、台湾に行ったとき、台湾の友人が台湾が良いじやないと?確かに。親日だし、近いし。また別の日、日本人学校などを見学し、台湾の台北市の土地勘を高めてました。次に家内が1人台湾に行き家を探しに。にまだ息子が小6ってのもあり、不安もあったので、日本人学校の近くを検討しましたが、日本人の駐在が多く家賃が高めでした。不動産屋のアテだけ作り、日本に戻って来て、そこからは、メールでのやり取りで。息子の小学校卒業も終わり、4月に移住日を決めました。とりあえず300万有れば、どうにか数年は、生きれるかなと考え家族3人300万を握り締め。日本の家を全部整理し、船便で荷物を送り、すぐ使うものだけスーツケースに入れ、台湾へ!!!まだ家は、決まってません。台北に着いたら、知り合いのお母さんが空港までベンツ出迎えに来てくれて、そこから、不動産との待ち合わせ場所剣潭に行きました。そこで不動産屋が用意してくれてた家を見に行きました。日本では、40平米の小さな家に住んでて、台湾では、130平米の家に、初めての海外に緊張しながら、家に向かいました。向かう途中、セブンイレブンがあり、少し安心しました。

剣潭は、台北最大の紳 士林夜市があるところで、とても賑やかでした。家には、何も家具もなく。空港に迎えに来てくれたお母さんの親戚の家具屋さんに全てお願いすることにしました。冷蔵庫からテレビから、ベッドも。
とりあえ図初日は、寝袋で寝て、次の日から買い出しです。
次の日、近くのホームセンターに行き、人数分+お客様用の6足のスリッパを買い。息子にレジに行かせました。そうすると、彼は6足のスリッパを抱えて戻ってきました。その頃(2014年)の台湾はすでにお店でレジ袋は有料でした。中国語でレジ袋いるか?と聞かれたみたいだけど、彼は、分からず、そのまま、スリッパを抱えて戻ってきました。
その日の夜ご飯。夜市に行きました。とても賑やかでびっくりしました。毎日お祭です。その日は、駅に1番近い薬膳スープ屋さんで軽めのご飯を食べ。散歩しながら帰りました。次の日。毎日外食というわけにはいかないので。市場にいきまし。夜は、夜市ですが朝は、全部片付けて掃除して朝は市場です。
掃除した後で地面は水で濡れ。ブタの首が転がってたり、絞められた鶏が吊らされてたり、こんな光景は、アジアの市場では普通である。しかし、日本しか知らない彼にとっては、衝撃的だったようで。凄いしかめ面で「汚ねっ」と。こんなんで、汚いと言ってたら、世界見渡せば、もっと汚いし。如何に日本が恵まれてるか、だと思う。それしか知らない彼にとっては、良い経験だと思いました。
それから彼は台北の日本人学校に通います。
日本からの荷物が届きません。
東北大震災の翌年で、日本からの物は、放射能を浴びてるってことで、私つの荷物が港で洗浄を受けてました。家内は、先に書いた通り中国人で家族ピザが出にくく、彼女だけ日本にもどり永住権は、もってるので、日本の中国大使館で台湾滞在の申請をしてました。
よって、最初の数週間は、私と息子の2人の生活。日本からの荷物の中に炊飯器があったので、ご飯が炊けずに、毎回、ご飯を買いに行くことになりました。だから、ご飯を買うことは、できるようになりました。
あと、息子の昼ごはんをどうするか?弁当だったのでら時々は、学校に来るがいしょくにしてました。学校にマクドやロイホが弁当を届けまます。でも、毎回だと可哀想なので、近くのスーパーで冷凍食品を買って、盛り付けて持たしてました。
息子も私も中国語できないのでら慣れない土地で悪戦苦闘です。
ようやく家内が戻って来て、楽になりました。日本人学校に親が行く行事も多く部活の集まりや、やたらのよびだされては、行ってました。
彼も中2になり高校生をどうするか?を決断スペ巻き日が
近くづきました。日本人学校は、高校がないので、いやーナショナルか現地校か、日本に帰国するを選択する必要があります。
いんーナショナルは、めちゃ高いので、却下、日本に帰国するのも、ようやく起動に乗ってきたので、却下
よって、現地校を選ぶことになります。日本の学年末はさや月で、台湾の学年はじまりはら9月、この6ヶ月のギャップを利用して、彼は、中国語をもう勉強します。塾に家庭教師に。母親のもう勉強に、話せるようには、なりましたが、近くの中学の現地校に留学生を受け入れた経験がなく、最初断られたます。友人に相談し、友人が支援してくれて、どえにか入学できました。台湾の子たちは、とても社交性が高いので、わたしの息子をちゃんとうけいれてけれます。日本だとそういうことには、なりにくいですよね。台湾を選んで良かった。
彼は、頑張って中国語で授業を受け、見事中学を卒業し、高校受験をクリアします。こうやって、彼は見事中国語を使いこなすことができるようになりました。
1番喜んだのは、家内の母親でした。
かの字は「孫が一人増えたと、とても喜んでくれました。
息子も異国の地で逞しく育ちました。
この経験をもとに、わたしは、小学生高学年から、海外に行くことは、とても人生感に影響を与えることとなるとおもいます。特にアジアは。近いやうで、遠い国ですよね。
是非、海外に移住とは、いいませんがせめて海外旅行をお勧めします。
きっと子どもたちに良い影響を与えることとなると思います。
息子が高校三年生の時、50万円を上げるから、どっか行って来いと話したところ、一人でネパールのカトマンズに、震災の復興支援に行って来ました。本当に逞しく育ちました。

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