016中央総武線で連続した怪事故 

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オリンピックイヤーの中央線、総武線に気をつけろ!

1946年 (昭和21年) 6月4日 中央線乗客転落突事故
【 状況 】
中央線大久保駅・東中野駅間を走行中の上り東京行き列車のドアが外れ、乗客が神田川へ転落、3名が死亡した。
【 事故の原因 】
ドアが木製で老朽化しており、満員の乗客の圧力に耐えられなかったため。
【 事故後の対策 】
応急策として外れ止めの金具を取付けた、さらには恒久作としてドアを木製から鋼鉄製に交換した。 しかし、この対策が災いして5年後の桜木町事故を招いた。
1964年 (昭和39年) 1月14日 中央線東中野駅追突事故
【 状況 】
中央緩行線東中野駅にて停車中の列車に中野行き列車が追突した。 7名が負傷した。
【 事故の原因 】
詳細は不明。
【 その他 】
東京でオリンピックが開催された。
1968年 (昭和43年) 7月16日 中央線御茶ノ水駅追突・脱線事故
【 状況 】
中央線御茶ノ水駅にて、乗客がドアに手を挟まれたことより緊急停車中の豊田行き快速列車に、高尾行き快速列車が追突した。双方の車両各5両が脱線し、210名負傷が負傷した。
【 事故の原因 】
後続列車運転士による信号無視および速度超過 (見込運転)と見られる。
【 その他 】
メキシコシティーでオリンピックが開催された。
1972年 (昭和47年) 3月28日 総武線船橋駅追突事故
【 状況 】
総武線船橋駅にて追突、停電よる信号機故障によって停車中の中野行き列車に三鷹行列車が追突し、後続列車の6両目が脱線した。 758名が重軽傷を負ったが、死亡者こそ出なかったものの、被害者数としては日本の鉄道事故史上最悪のものとなった。
【 事故の原因 】
後続列車運転士による運転操作ミスと見られる。 直射日光の影響や、ATSのスイッチ操作に気を取られた上での操作ミスとみられる。
【 その他 】
ミュンヘンと札幌でオリンピックが開催された。
1980年 (昭和55年) 10月17日 中央緩行線東中野駅追突事故
【 状況 】
中央緩行線東中野駅にて停車中の列車に中野行き列車が追突した。 12名が負傷した。
【 事故の原因 】
詳細は不明。
【 その他 】
モスクワでオリンピックが開催された。
1988年 (昭和63年) 12月5日 中央緩行線東中野駅追突事故
【 状況 】
中央緩行線東中野駅にて停車中の津田沼発中野行き列車に千葉発中野行き列車が追突した。 後続列車の運転士と乗客2名死亡が死亡し、116名が重軽傷を負った。 JR発足後初めての死亡事故。
【 事故の原因 】
後続列車運転士による信号の見落としと、不適切なATS操作のため。
事故当時はATSが作動しても「確認」扱いをすれば列車を一旦停止させることなく、そのまま運転を継続することができた。
また、東中野駅手前からの区間は次の中野駅での折り返しが控えているが、その為の時間が非常に短く、運転士らは当該区間から準備に追われることが常態化していた。 さらにこの駅の手前はカーブで見通しが悪く、下り勾配の悪条件が重なった結果の事故と見られている。 この事故を含め3回同じ場所で同じような追突事故が発生しているが、すべて中野駅止まりの列車であった。
【 その他 】ソウルでオリンピックが開催された。

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