夫☆ぐらとの不思議な出会い・なれそめ

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こんにちは✿
今日は、夫婦ユニットの相方夫ぐらとの出会いについてお話しようかと思います。
出会った時期もちょうど8年前の3月。春の時期なので、思い出しながら・・・

私と夫ぐらが出会ったのは、病院です。
病院と聞いてどう想像されましたか?
私が、ナースだから、同業?それとも病院関係者かな?

そのどれも違うんです!正解は、私は入院患者、夫ぐらは同室で仲良くなった方の息子さんなんです。 正解を当てられた方いましたか?笑

夫ぐらと何故出会うようになったかのいきさつを。

私は、母からの母子感染で生まれつB型肝炎を患い、20代前半の時に、職場の健康診断で肝臓機能の検査結果が高く、それがきっかけで、消化器肝臓科のある専門医がいる病院に紹介されて、そこから肝臓病との病院の付き合いが始まりました。

数値は少し高いだけで、全く体は、症状がなく元気そのもので、
よく、飲み会や、夜勤続きのハードで暴飲暴食の日々を過ごしていました。
「肝臓は沈黙の臓器」と言われていますが、症状が出た時には、体はかなり悲鳴を上げていると思ってくだされば✿

20代後半、慢性B型肝炎で。とうとう発症し、そこから病気の進行を抑える飲み薬や副作用の強い、インターフェロンという注射での治療が開始されました。治療や症状がひどい時に、入退院をしていました。

母も、母の弟も同じ病気で亡くしました。
だから、私も、きっと早く亡くなるんだろうと、30代になると半ば自暴自棄で、生活も気を付けませんでした。

10年前に、母を自宅で看取った後、同じ主治医の先生から、「お母さんを看取って少ししたら、今度は君の治療の番だよ。頑張りましょう」と
母には、内緒での入院・治療が控えていました。一人で闘病を思うと不安でいっぱいになり、娘が傍にいる母の状況が、恨めしくもありました。

そこから、1年間。強い副作用で、脱毛や車椅子生活を味わいながら
やっとこさ乗り切った矢先に、その1か月後、右わき腹の激痛で
緊急入院しました。

やっとやっと、治療から解放されて、ずっとガマンしていた生刺身を堪能できるようになったのに・・・
肝臓の数値が通常は、40以下のところ、私の結果は、500以上と高くなっていました。緊急入院だったため、いつも入院していた専門の病棟が空いておらず

整形外科との混合病棟に急遽入院しました。

そこで、夫のお母さんと出会い、夫と出会いました!!

同室になった時は、大部屋あるあるで、カーテンは閉め切ったまま。
だけど、そこは、整形外科。
内科と違って、体は元気なので、カーテン越しに皆で会話が弾んでいました。

私は、一人内科で具合も悪くて、最初は嫌だなと思っていたし、先生方も状態が悪いから、部屋を移すか検討していました。

入院も1か月を超えて、長期に残ったのが夫になる彼のお母さんともう一人でした。カーテンも明けて、毎日おしゃべり。夫とも面会にくると、あいさつや少し言葉を交わしたりしていました。

ある日から、夫のお母さんより、「うちの息子どうかな」と猛アピール。
その当時の私は、長く付き合っていた彼がいましたが、親御さんより、病気のこと、両親が他界していること、実家の跡継ぎのことから反対を受け婚約が破棄された過去がありました。

だから、新しい恋愛そのものが怖くて、嬉しいお話をいただいても不安でした。何度も、夫のお母さんが口説いてくださっても笑

マイナスなとこばかりの私をまるっと受け入れてくれて✿
隣県で遠いため、面会の来ない私のことをいつも気にかけて、話し優しくしてくれました。

退院後、息子である夫から電話をもらい、やりとりをした2日後に、お付き合いをすることになりました。

それが、8年前の今日でした!!

お付き合いしたことを夫のお母さんに報告すると、「ほんとにほんとに息子でいいの?!」と驚きながら、猛アプローチしたけど、まさか実際に付き合うとはと、喜んでくれました♪

入院中、数値が1000を超える日々で、先生たちも毎日回診ごとに私の今後や治療について話あい。一時期は、「急激な肝臓の悪化だったので、万一の場合手は尽くすけど、厳しい状況になるかもしれないと」病状の説明を一人で聞いて、病室でこっそり泣いていた時もありました。死も意識しました。

でも、毎日続いた血液検査で、数値が自然に劇的に下がる奇跡が起きました☆
自分の免疫力が勝ったようです。先生からの先ほどの説明の時に
万一の肝不全になっていくか、免疫の力が働いて奇跡的に数値が下がるか。

死か生かの選択。数値が下がってきた日の回診では、先生方も、私も部屋の方も、ナースさん方も嬉し泣きしていました涙

きっと、にぎやかな部屋・笑っていた日が多かったのが良かったのかも。

主治医の先生に、お付き合いしたことを伝えたところ、とても喜んで下さり、
「大変な闘病、入院生活だったけど、最後に、ご褒美もらえたね(*^^*)」と。

自分の病気をまるっと受け止めてそれでも付き合ってくれた夫に感謝です。
そんな初デートの夫からの第一声は「洋服きている」
病室で、すっぴん・パジャマの私を見慣れていたから、出た言葉。なかなかないですよね。

夫と出会わせてくれた夫のお母さんは、婚約が決まり、一番挙式を楽しみにしていたのに、お付き合いした翌年の夏、急死しました。

まるで、私たちを、出会わせくっつけて、見届けたかのように・・・

長々と読んでいただきありがとうございます。
これが、私たちの、なれそめです✿✿



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