他人軸になる理由

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こんにちは。
光の翼 ここみんです。

いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪


「他人軸」とは、

「私」ではなく

「他者」が
主軸となっている
在り方のことです。

「私」が主役ではなく
「他者」が主役、

「他人軸」というのは、

何かを
選択する時
行動する時

周囲の他者に
どう思われるか…??

…を
重要視しています。

「他者からどう思われるか?」
恐れが根底にあります。

何よりも
他者の反応が気がかりで

世間の反応や
人目を気にしていて

他者から
嫌われることが怖いので
他者の顔色を伺い

他者の反応が
肯定的になるように

「私」の言動を
決めます。

「私」が、
それを選択するか
どうかは

「他者」の顔色や
反応次第となります。

「他者」に嫌われるのなら

本心から
やりたいことも
諦めたり、
ガマンします。

もう「他者」からの
評価や承認を
もらえなくなるからです。

「他人軸」でいることは、

ありのままの
本質の自己から
かけ離れていきます。

なぜ、
他人の顔色を重視して

「私」の好きなコトや
やりたいことを
諦めてしまうのかというと

その背景は
幼少期の傷にあります。

幼少期の子供は
とくに(母)親からの
養育、愛をもらわなければ、

安心して
生きてはいけません。

親に嫌われてしまったり
見捨てられてしまっては

「私」の生存危機に
関わってしまうので、

親から
認められるように
愛されるように

親の顔色をつねに伺い
「私」の行動を
コントロールすることを
身につけてしまっています。

本当は泣きたいのに
何ともなかったかのように
平気な素振りを
みせたり、

文句を言いたいのに
ガマンしたり、

ときには
「私」のニーズの権限を持つ
上の人間を褒めたり
ご機嫌を取って
嫌われないように
配慮します。

この幼少期の在り方が
おとなになって
社会に出て

他者から認められ
評価がもらえるように

会社から
クビを切られないように

「私」が安心して
生活していけるように

「私」の言動を顧みて
細心の注意を払います。

幼少期の心の傷を
癒やしていくと

まったく違う
「自分軸」の人生に
変容していきますが、

無自覚に生きていると
まさか自分が
「他人軸」の状態とは
気づけず、

自覚できる人は
ごくわずかではないかと
思います。

時代が
移り変わったとはいえ、

まだ他者を
配慮して調和を保つのは、
思いやりの行為だ
という
観念が邪魔をして

自分の喜びを
二の次にしているという
実情に
気づくことも

もしかしたら
困難かもしれません。

周囲の他者たちは
自分と
ほぼ変わらない
「他人軸」
価値観の人間が
圧倒的大多数なので、

同調圧力に
流されてしまい

そうなると違和感すらも
感じられなく
なってしまいます。

まずは、
自分がどうなのかを
客観的に
知っていくことから
人生が
逆転していきます。

死の間際に
やりたいこと
好きなコトが
できなかった後悔を

走馬灯のように
味わうと
聞いたことがありますが、

その悔いの思いが
また肉体を持って
転生してくる
動機となりますので、

その後悔や
虚無感、心残り
喜びを
味わえなかった
強い憤りが、

いずれは
好きなこと
やりたいことに
挑戦する
勇気に変わるでしょう。

魂は
やりたいことを
自由にやるという目的のために
肉体を持って
転生しています。

自分の人生を
より幸せに満ちたものに
していこうと

いつもアンテナを
張っている者に
情報が
やってくるので、

このまたとない
絶好のチャンスの時代に

本質の自己の「自分軸」
開花する機会を
活かして

喜びを実現していく者が
1人でも多く
増えていくことを
願います。









































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