ワンネス感覚とは一体どんなもの?

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ワンネス=全ては繋がっている、全てはひとつという感覚。どんなものなのかを私の感覚について、ですが説明していきたいと思います。

まず、小さい頃から人が幸せな姿を見て喜んでいました。人の喜びは自分の喜びでもある、という感覚よりも、もっと自然と身体に沁み込む感じでした。人の喜びで自分も元気になる。逆も然り、人の悲しみで自分も悲しくなる。

小学生の頃は同級生の周りの子供の悪口を聞いてゲッソリしたものです。

基本的にひとの良いところがよく見えるので、皆がキラキラしているのに、その人達の悪口を聞いても理解出来ず苦しかったです。

でも同調しないと仲間はずれにされるので、最低限は同調して、お腹がいたい…となっていました。

かと言って私自身、全てを受け入れてきたか、というとそんな事はありません。嫌いな人も苦手な人もいました。

でも、人の良いところが基本的にはよく見えるので、嫌いな人も同時にキラキラしているのです。この愛と憎しみを同時に持つ感覚が気持ち悪くて苦悩しました。後に何故そうなのかが分かるまでは苦しかったです。

そして、この嫌いな人や苦手な人、怒っている人などは、私と喋ると優しくなったり怒りが溶けて柔らかくなる、もよくありました。今でもですが。
ヒーラー体質と指摘されるまでは、不気味なパターン…と思っていました。

なぜこうなったか、もワンネス感覚の影響です。誰と関わってもまずはその人の中の愛と光が入ってくるので、そこを感じながら関わるので自然と相手の愛と光が強調されます。そして人の喜びは自分の喜びでもあるので、相手の喜ぶ姿を望みながら関わるので、相手はその影響を受けます。
それで自然とヒーリングをしているようでした。これは個人的な分析ですが、謎を解くまでに相当色々と試して理解に努めてきました。

次に、孤独感について。孤独感は誰かと一緒にいれば紛れるものだと思うのですが、人がたくさん居れば居るほど、私はいつも寂しい寂しいと感じていました。

一人ぼっちももちろん寂しい、でも人と居るときも寂しい、どうすりゃいいんだ!?と思っていました。

後に分かったのは、ワンネス感覚=全ては繋がっている、全てはひとつ、という感覚が強いので他人を見ると自分と分離している姿を目の当たりにするから分離感を感じて寂しくなる、との事でした。

これを知った時は、目から鱗でした。
だからなんだ!だから地元、そこそこの都会にいると孤独感が凄まじかったのに、小さな街で知り合いも少なく暮らすと孤独感が少なかったんだ!と。

ずっと、優しい人たちや家族のいる地元に帰るのが嫌で、何が問題なのか自分でも分からず辛かったのですが、出身地そのものの問題じゃなかった、多くの人を目にする場が問題だったんだ!と。

今もそこそこの都会暮らしをしていますが、寂しいです笑 家々の見える窓から毎日寂しさを感じています笑 郊外の静かなところで暮らすと寂しくないのに。。

そして次に、自分のことをずっと無情な人間だと思っていました。何故なら愛が何なのか分からないから。世間でいう愛について読むと、自分を犠牲にしてでも、あれをやってあげたい、これをやってあげたい、という気持ち、などと書いているので全く理解できませんでした。

理解出来ないと言うことは、愛を感じられない無情な人間なんだ、と思いこんでいましたが、後々それは条件付きの愛だから理解出来なかったのだと分かりました。

私にとっての愛とは、「全てはそのまま」という感覚です。そのままで愛だから、どうして○○をするから■■というものが愛なのかさっぱり分かりませんでした。無条件の愛の事を愛と思っていたので、条件付きの愛を【愛】だと理解できませんでした。

自分の好きな人から嫌われるのは悲しい事ですが、相手がどう思うかより私が好きということ、それが全てだから相手がどう思うかは関係ない、という思いもあります。

なので、相手に好かれていないから、嫌われているから、自分も嫌いになる、というのは分かるようで…え?自分の気持ちは? ん?となっていました。
今思えば自分軸ですね。

そして、この愛を理解できない無情な人間として究極だな、と思っていたのが死ぬのが怖くないことでした。ここで死んでも次がある、という感覚もあるし、前世や未来世、という言葉じゃなくて感覚的に自分というものはずっと続いていく、と思っていました。たぶん魂のことを見ていたのだと思います。

誰の死だって知っている人の死はもちろん悲しいですが、どこか感覚的に人間として亡くなってもこの肉体が無くなっても魂はいつもそこにあるから、完全に消えないし、という感覚でした。今もですが。

それから、家族愛というのもよく分かりませんでした。皆繋がってるのに何故、家族というもので分けたがるんだろう?と。
特に血筋、血統、ご先祖様、というものについては、言わんとすることはもちろん分かるけど、何がそこまで大事なことなのかよく分からない、と思っていました。

もちろん家族も大事だけど、家族以外のひとも大事ではないのか?と。皆同じくらい大事だよね?と。

そもそも、未だに自分の身体と名前を他人事のように思っているので、身体のこともふわふわとした感覚で、どう扱えばいいのかずっと分かっておらず困っています。

血筋や血統に価値が置けたら分かるのかな?と思いながら…

でも、理解するために頑張って家族や親類とも交流をはかり、身体的に似たものや素質的に似たものを見つけては、家族だから、血縁があるからなんだ、と何とか自分に言い聞かせています。

親類のことを自慢する人を見て、自慢したほうがいいんだな!と思ったので、自慢してみて、確かに気分は良いけれど、半分はだからどうした、私の事じゃない、と自分に突っ込みを入れては不思議な感覚だな…と思ったりもします。

一般的なこと、人間的なことをやってみて生きてる実感が欲しい!と思っているので、そういうことも積極的に心がけて真似ています。それなのにワンネス感覚がベースにあるので、人間的な感覚と同時に使うといつも気持ち悪く感じます。。

例えば、人の見た目についてかなりはっきりと違いを認識します。ここは人間的な感覚。でもエネルギーの方、魂の方もしっかりと感じるので人種で人を区別したり差別するのを見ると、二つの感覚が同時に起きるので気持ち悪くなります。

厳密に言うと、エネルギーのほうが強くその【個】として感じるので、多国籍文化や異文化が混じった場所で暮らしてきた身としては、人種の違いは言われてみれば確かにちゃんと認識してるけど、どちらかというとエネルギー重視なので、人種差別の意味が分からなさすぎる…💦となります。

人種以前のエネルギーの部分は皆気になならないのか?と。それ気づくのにも時間が掛かったので、苦労しました。。

また、他に苦しんだ事と言えば、人に情報を公開したり与えたり、また手伝ったりすることを驚かれることです。

見返りなんていらない… ただ良いと思うから伝えてみるだけで、相手がどう思うなんて私には関係ないし…と思っていました。

ギブアンドテイクの発想がないので、それを基準に話をされると混乱しました。

実はギブして何かの見返りを貰うなんて、自分の荷物が増えるようで、重みが増すので、むしろ困る!と思ってるのにギブにはテイクがつきものらしい…

ギブしすぎると気持ち悪がられる上に、テイクを過剰に期待する人もいる。

ギブなんていくらでも出来るのですが、持っている情報を人に渡せば減るもの、と考えるひとがいるらしい、、!だから情報は小出しなんだ!と気づいて驚いたり。

私にとっては減ることなんてなくて、無限にあるし、何故自分の情報を隠しもつのかも分からない。だって私達はみんな繋がってるのだから良いものは共有すればいいのでは?の感情が強いです。

でも、自分でも生きてる実感が欲しい!と感じるので、そのためには人間らしく、人間的な感覚を大事にしないと、と情報を隠したり有料にしてみたり。
すると、むずがゆいのです。
何の為にやってるのだろう?
変な感じ。
でも人間をやりに来てるから、ちゃんと習得しよう!となります。

泥臭いことをすると、気持ち悪さと、コレコレ!生きてる実感!人間っぽい!が合わさってよく分からない気持ちがグラデーションのように混ざり合い、もうヤダー!となるときもありますが、人間として生まれてきた意味!
と思いながら習得を心がけています。
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ここまで読んで頂いて、ワンネス感覚と人間的な感覚を両方持ち合わせて気持ち悪さを感じていたんだな、と思っていただけたかと思います。

ここで、引き寄せるのが得意で人生なんて思い通り、となぜ思っていたかについても書いていきたいと思います。

引き寄せに必要な、潜在意識の望みを知っていること、引き寄せを加速するための感謝や感動、五感を楽しむことを行っていたからです。

なぜ潜在意識の望みを知っていたか、は直感の従って生きてきた、それだけです。
なぜ感謝や感動をして五感を使うのを楽しんでいたか、はやっぱり小さい頃から、この人間として生きることがいつも不思議と発見の連続だったから、と常に自分のワンネス感覚が世間からズレていて、何をどうしたらいいか分からなくて常にベストを探していたからです。

ベストを見つけるために物心付いたときから、とにかくずーっと考えて、観察して、分析して、ある時ふと、自分の気持ちを支えてくれている人や環境の存在がいかに重要か気づきました。

そこから感謝の旅が始まったと言っても過言ではありません。あの時に気づいたおかげで、どれだけ生きづらかった気持ちが癒やされたか。10代の若いうちに自分一人で出来ることなど何もない、と気づいたことは恵みだったと思います。

これはワンネス感覚のおかげです。でも同時に苦しんで来たので生き辛さを感じていました。でも、上手く立ち回ったり人間としての人間が大事だと思う感覚も理解していたので、世間から見ると何も問題なく、要領よくやっていると思われていると思います。

要領よく、は確かに自分をかなり助けてくれている、とは思いますが、自分らしさ=ワンネス感覚を持ち合わせた自分を思いっきり外に出して生きていくと、苦労するのが目にみえているので微調整をしながら出来るだけ自然体でいるようにしています。

こういう風に書いていくと、まるで私だけが特別で、我慢して、苦悩して…という風に見えますが、そんな事はもちろんなくて、皆一人一人が悩みながら我慢して、生きています。

形はそれぞれ違っても、皆がそれぞれ特別で、長所も短所もある。
そう思うと自分の変わっている部分で苦労してきた人は、少し楽に思えるかもしれません。

…というのもワンネス感覚かもしれませんね💦

自分の事を特別、と思い始めると自分の重さが増して分離感を強く感じるので、苦しくなります。。

私はこんな設定をして生まれてきましたが、皆さんはどのような設定をお持ちなのでしょうか。どれが良いも悪いも、優も劣もない。

個人的な設定は、ワンネス感覚を残して、人間的感覚を楽しむために、学ぶ為に生まれてきたのかな?と思っています。逆に、人間的感覚を強くして、ワンネス感覚を思い出す順番の方もいるようですし、人によって違いが大きい気がします。

とりあえず、人様の愛と光を存分に視ることが許されて、生きづらさの経験を生かせるのでヒーリングとチャネリングなどをやっております。

ご興味があれば見てみてください。
ピンと来なければスルーで。
自分のピンとくる感覚が一番大事。
自分のチカラを信じる事こそが大事です。


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