スピ的用語解説します。「流れに乗る」ってどうすればいいの? ~”やり始め”のタイミングを心に任せてみる~

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占いとかスピリチュアル系の書籍とかでよく見る定番の言い回しってあります。グラウンディングしましょう、とか、手放しましょう、とか、波動を上げましょう、とか。
その時は一瞬わかったような気になるけど、でも結局よくわかってなくて、だいぶ後になってから悟ったときに「え~あの時ぜんぜんわかってなかったわ、実はコレって、こういう意味やったんか」とわかることが多い。
過去を振り返ると「あの時はわかった気になってただけで、全然分っとらんかった」てことばかりでした。
悟ってみると、案外シンプルなので、それを話したお客さんからは「その説明めっちゃわかりやすい」「初めてその言葉の意味がわかった」と言われます。なので、ここではその言い回しについて「結局どうしたらいいの?」ってことを、自分なりに解説しようと思います。今回は、「流れに乗りましょう」って言い回しについてです。
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「流れに乗りましょう」これ「焦りぐせのある人」(過去の私)には難しいです。流れに乗るとはつまり「タイミングを待って動くこと」なのですが、
「焦り」がやってくると、タイミングを待てない。ですから焦って動いているうちは、流れには乗れていないということです。
私が「流れに乗る」ことを初めて実感した時のことを紹介します。
私はそれまで掃除が嫌いでした。
いつもせっせと掃除する母に育てられ、家じゅうが常に綺麗に整った状態でした。私は整った部屋を乱すし、言われるまでは掃除をしないので、頻繁に「片づけや~、掃除しぃや~」と言われていました。
今は自分の家庭を持ち、人から「掃除しなさい」と言われることはないけれど、ある日、台所のホコリを見ながら、焦りと憂鬱のまざった、とても嫌な気持ちで居りました。頭の中で「片づけなきゃ、掃除しなきゃ」と思っていて、それにあおられて焦っています。でもめんどくさい。そんな自分を「掃除のできないダメな自分」と感じ、ますます憂鬱になっている。
いつもならそこで無理やり掃除をしていたのですが、その時は「ちょっと待てよ、掃除ごときに、ネガティブすぎやしませんか」と思いました。なので「しぶしぶ何かをするのはやめよう。しんどいし。もっと汚れたら汚れているほうが苦になって、掃除をしたい!掃除をさせろ!お願いだから私に掃除をさせてくれ~!ってなる時が来るかもわからない。それまで待ってみよう」と考えて、わざと何もしないでおきました。
その時は「掃除嫌いの私が掃除したくなるなんて、だいぶ先じゃないか?ゴミ屋敷になる直前まで、そんな日は来ないんじゃないだろうか」なんて思ったのですが、驚くことに、その日はすぐにやってきました。その翌日、前日に憂鬱になっていた同じ場所で、ホコリを取り除きたくてたまらなくなりました。ホコリを拭きとってきれいにしたら、どんなに気持ちいいだろう。気がつけば雑巾を絞り、拭き掃除していたのです。掃除の中でも拭き掃除が一番大嫌いだった自分が。
たぶん10分くらいだと思いますが、夢中で掃除しました。すごく気持ちよかった。そしたらいきなり「もういいや、すっきりした。これ以上はめんどくさい」と思いました。この瞬間が「気が済んだ瞬間」です。気持ちよく満足して掃除を終えられました。
じつは、これも自分にとっては驚きで、こんなに掃除を終える時の「終わりぎわ」がわかりやすく、気持ちいいことは初めてでした。
それまでは、どこまでやればいいのかわからないまま漫然と掃除をする。
(先生に掃除しろと言われてしぶしぶやっている生徒みたいな)
最後は「掃除をやめたくてたまらない自分」が、こんなに頑張ったんだからもういいでしょ!?、といって逃げ出すわけですが、「もっとちゃんとやらないとダメなんじゃないの??」とぶつぶつ言う自分が残る。
こういう心境で掃除を終えるのがいつものパターンでした。
清潔になった気持ちよさよりも、だらしない自分を取り逃がした敗北感ばかり感じる掃除。
当然、掃除道具の片付けも雑に。結果、いつも雑然とした掃除道具。それを見るだけでも嫌になる、ますます掃除を嫌いになるという悪循環。
「掃除よりも、そういう顛末が嫌」なこともわかりました。自分の内面で、「掃除しろ!と急かす自分(口うるさいエゴ)」と、「それを嫌がる自分の心」との戦いが起こり、最終的には必ず敗北感で終わっていたわけです。必ず負ける。だって両方自分なんだもの。
それが、「掃除をやりたくなるまで待ってからやる」ということを実行しただけで、自分どうしの戦いは起こらず、ゲームでもするような「やりたいことをやっている」という楽しい気分で掃除をやって、最後は気が済んで「ああすっきりした」と言いながら終わることができたのです。
そこには満足した自分が居るだけで、自分にガミガミいう自分も、ガミガミ言われてしぶしぶ働く自分も居ませんでした。なんと平和なことか。
このケースでは「掃除をしたい気分」が「流れ」で、その気分に押されるに任せ、無理なく掃除することが「流れに乗る」だと思います。
実は、流れに乗っている時は、知らないうちにやっていて、「やり始めたこと」にも気づかないものです。あとからだれかに言われて初めて「やっていた」ことに気づきます。
だから、逆に言いますと「掃除したほうがいいかな」とか「この資格とったほうがいいかな」などと考えている時点で、流れには乗っていません。流れに乗っている時というのは、「流れに乗ろう」などと考える余地もないのです。ホンマに掃除したかったら、とっくにやっとるやろうし、ホンマに好きな分野やったら、とっくにその資格持ってるでしょう。
「どうやれば流れに乗れるだろう」というのはナンセンスで、それを考えれば考えるほど流れは感じられません。
大縄跳びに「いつ入ればいいだろう」と考えあぐねていては、入れないのと同じです。ただテンポを合わせ、気持ちが乗ってくるに合わせて体を動かせていれば、知らないうちに輪に入っているでしょう。
スケジュールに合わせてお腹がすいていないのに無理してでも食べたり、太ることを恐れて食べたいものを我慢したりするのではなく、しっかりおなかが空いてから食事をとり、食べて満足したら、それ以上食べ続けないで満足した時点でやめる。
(※終わり際、引き際については、こちらの記事に書いております。)


将来を案じて資格を取ったほうがいいだろうと考えて通信教育を始めるのではなく(なかなか進まない自分に落ち込みながら課題をこなし、結局最後まで終われないのがオチ)自分の興味のまま調べ物をする、知らない間に詳しくなっている分野、その分野に関する資格ならラクに取れるでしょう。
流れに乗っている状態とはそういうことです。
どうやれば流れに乗れるか?
この問いはナンセンスではありますが、あえてコツを言いますと、迷った時は、「しばらくじっとしてみる」ことをすすめます。なにかの欲求があがってきて、何かをやらないと我慢できない…という気分になるまで、つまり、流れがちゃんとやってくるまでは、じっとして、流れが起こってくるのを感じてみるといいです。
私が、掃除をしたい気分が沸き起こる体験をしたことがなかったように、「口うるさいエゴ」が心の中に居る人は、流れが起こるまで待ってはくれない、せっかちなエゴが、自分(の心)に早く行動をおこさせようと、はやし立てます。(この時に起こるのが「焦り」です)その焦りに負けてしまうと、流れが来る前にフライングして動いてしてしまうので、流れが起こらないんですね。結果、流れというものを一度も感じたことないまま、「口うるさいエゴにせかされるがまま行動するパターン」が出来上がります。口うるさい親の言いなりになっている子どものような人生です。
口うるさいエゴは、自分の心を信頼してないんですね。口うるさい親が「うちの子は何もできないダメな子だから、私が見張って、やらせないと」と思っているかのように、自分の心にまかせていたらダメになってしまう、と思っているのです。
これだと沈むことを恐れて必死に足掻く水鳥のようになってしまいます。いちど足を止めて、それでは沈まないのだ、ということを体験し、それでもじっとしていると、お腹が空いてきたり、何かをやりたくなったり、というような「流れ」がやってくることに気づくことができます。
すこしずつ支障のない範囲から、自分の心を信頼して、流れを待ってみてはどうでしょうか。私にも、ちゃんと「部屋が汚れたら綺麗にしたくなるセンサー」が備わっていた。それは、センサーが働く前にフライングして、むりやり掃除しているうちは、わからない。でも、ちゃんと自分が掃除したくなるかどうか、待ってみれば、それがわかる。実際はほんの数日待つくらいで、流れがやってくるかもわかりません。
流れが来さえすれば、それに逆らって「じっとし続けることのほうが困難」になりますから、そうなれば無理せずに、動き出せばいいと思います。もうその時点でリラックスできていますから、川の流れに乗る水鳥、気流に乗るトンビです。そのまま楽しく、やりたいように、すいすい行動してください。
流れに乗るとは?これを頭で考えると、どんどん遠ざかります。音楽のリズムに乗ることと似ていますので、ぜひ感じてみてください。そのヒントになれば幸いです。
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