私にしかできない才能 NO6-①

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こんにちは。

今回は、バスケの指導をしていること。

また、鳥取県スポーツ少年団バスケットボール連盟を設立したことについて書いてみたいと思います。

私が、バスケの指導者を始めたのは、24歳。結婚をした年でした。
19から付き合っていた彼女と結婚。今の妻です。

その頃、20歳から始めた飲み屋の経営も順調で、何か体を動かすことをと考えていた時、ボクシングジムが出来ました。
直ぐに、入会☆
「よし、体を動かそう。体力には自身がありました。」
初めて、3ヶ月。
ある日、近所の小学校の保護者さんが訪ねてきて、
「男子ミニバスケの指導者をお願い出来ませんか?」
なぜ僕?教えた経験なんか全くありませんでした。

でも、面白そう・・・
うちに帰り妻に相談しました。
「ボクシングか、バスケか、どっちかにしたほうが良いいよ。」
だよな~。

結局、バスケの指導者になることにしました。
それは、在籍中の指導者がほとんど出て来ない。
また、試合で、勝ったことが無い。

(よし、俺がなんとかしてやろう!)
それだけの気持ちで、始まることになりました。
まぁ、ひどいチームでした。

でも、色々、子どもたちと頑張って4ヶ月で県内上位のチームになりました。

そこで、2年間それなりに型が出来た頃、ある頃から休んでいた指導者が顔をだすようになりました。
練習中、練習を止めて
「この練習は、どんな意味があるのか」
なんて、子供の聞いている眼の前で、私を馬鹿にするような問を幾度となくしてくるようになりました。
丁寧に、応対していたのですが、ある日事件がおこりました。

その年の新人戦で、内のチームは4年1人、あとは3年生ばかりで望みました。
しかし、試合は負けたものの新聞に絶賛の記事が掲載。
(このチームは、凄い。低学年しかいないものの、どの子も前向きな姿勢に今後の指導者の力量が問われる。)
みたいな感じ。
当然だ! 一緒に頑張っているから!
保護者さんと一緒に喜んでました。

そんなある日、「今日から、私が指導を仕切る。」
休んでいたはずの指導者が、声をあげたんです。
(はぁ~~~?)あり得ないことが・・・。

数日後、
「申し訳ありませんが、あなたが練習を仕切るのなら私は辞めたいと思います。」
「辞めたいと思うなら、もう体育館に入らないように。元々、このチームは私が創ったのだから」
ありえませんでした。
その夜、子どもたち全員に手紙を書きました。
(コーチは仕事が忙しくなったので、辞めます。本当にごめんなさい。)
初めて、子どもたちについた、(嘘)でした。
本当に悔しかった。もうバスケの指導者は、やらない。

それから、半年後。私が、フリーになったことを聞いた他の女子チームの保護者さんが依頼に来られました。何年も、練習試合でも1回も勝ったことが無いチームらしい。
検討し、受けてみることに。結局、1年教えさせてもらった頃、県体に出場が決まり中学生と練習試合をするまでに育てさせてもらいました。

また、そこでも事件が・・・。
教えて3年後、新人戦で優勝。そんな時、
(練習が、きつすぎる。もっと、休みを増やして欲しい。)
ありゃ?
その年の保護者さんの要望。
キャプテンが、バスケを辞めたいとのこと。
キャプテンが辞めるなら、数人辞めるらしい。
「なら、私が辞めるので子どもたちにはスポーツを辞めさせないで上げてください。」
それまで、どの保護者さんともコミニュケーションは取っていたはずなのに、どこでどう路線が変わってきてしまったのだろう。
その時の保護者会長は、コーチが辞めるならわしも降りると辞めてしまわれました。
その後、チームはまた、弱小に。数年後、チームは解散してしまいました。
それから数年後、私を首にした保護者さんから謝罪を受けました。
(子どもを甘やかせすぎてしまい、後悔しています。)

当時、まだ私達夫婦には、子供がいなくて不妊治療に挑んでいました。
「コーチには、子供がいないから、子供がいる私達の気持ちが解らない。」
その言葉が、辞める一番の気持ちになりました。

それから数年後、また弱小男子チームからの依頼。
もう無理(笑)
でも、知り合いの息子がいて、ご夫婦ともとてもお世話になってる家族。
結局、2年目で初の県体に出場。かなり強くなりました。
本当に楽しかった。
そこでも、3年目に事件。
県体に出場をかけた試合で、うちは当然、勝利。
1度も負けたことのないチームの監督が、SNSに投稿。
(ルールを無視したプレーに腹が立った。自分のチームの子どもたちが可愛そうだ。そんな指導者はあり得ない。)
Facebook上で、私への誹謗中傷が次々と・・・。
全く見に覚えがないので、試合の映像を連盟役員に何枚もやいて渡しても、対応なし。
あらゆる、バスケ経験者に見てもらいました。
全く私に非はない!当然だ。
結局、私が指導を続けることでチームの印象が悪くなるのを避け、辞めました。
それと同時に審判のシャツとズボンをゴミに捨てました。

もう、バスケの指導はしないと決めたんです。

でも、最後のチームを見てる時、家の娘が3歳位でした。
数年が経ち、
家の外で、近所の子どもたちと遊んでいる娘になんちゃって運動教室をしていている時、新しいドラマが始まったのです。
全然、バスケとは関係ない運動教室。
気が付けば、10人位集まっちゃってました。
わいわいがやがや。外だから、雨の日は、おやすみ。
冬になり、寒くなって来た時、近所の会議室を借りて運動をさせていました。
(友達も来たい。うちの子も見てほしい。)
気が付けば、15。20。と・・・。
体育館を借りることになり、
結局、(バスケを教えて!)
となってしましました。

今回は、話が長くなったので、①・②と分けてみます。

次回は、ホットハートスポーツ少年団結成したわけ。鳥取県バスケットボール連盟をなぜ私が立ち上げたのか。をお話したいと思います。

今回も、ブログを見に来ていただいて、ありがとうございます。

宜しければ、感想なんかをいただけると嬉しいです。

引き続き、よろしくお願いします。


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