☘どんな結果になっても大丈夫、進もう。って思えた期間

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ライオンズゲートが今日から開幕ですが、
去年の私はこの時期、死にかけるくらい魂の底から燃え尽きてた。

右腕左腕くらい、当時部署の中で勤務歴が長かった同僚が家族の感染→本人も感染で出勤できなくなり、それに加えて上司陣がご家族の学校関係で出社不可。

出社可能な先輩もいたけれど、いろいろ掛け持ちで仕事してる先輩だったので、同部署の後輩や業務委託スタッフの相談を受けたり、後輩に作業の振り分けや指示ができるのが基本的に私だけ。

何かを質問や相談したかったら、本社勤務してる関係部署の人に遠隔質問。
(本社で一番話しやすい先輩も、上長の一人であったんだけど、同僚より少し早く休みに入ってて出社不可)

そしてその期間だけ、私たちだけでなく業務委託スタッフも巻き込んだ仕事が新しい仕事が爆増w

みんなで手探りで新しい仕事を覚えて。

それでいてそれまでの仕事もこなして。


いろんな質問をいったん私に集めて、回答可能なもの・本社に確認するものを選別して、昼と帰り際に定時連絡のように長々と大量に質問して、回答結果を各所に展開して。
(お金に関わる仕事をしてたり、ヘタすると一つのミスで訴訟されかねない仕事だったので、かなーりマメに動きまくった)

シフト勤務だったので、私が休みの日は当初は質問を一日二日そのまま溜めてて。

一部は仕事に慣れてる人しかしてない作業もあり、それはそのまま私の休み期間中滞留。

休み明けにどんだけ質問溜まってるんだろう??つか何から手を付けてどうする??と、ひたすらおそるおそる駆け抜けてた約二週間。

8月の初旬に、本当はマジで楽しみにもしてた関西への出張が、一緒に出張予定だった本社の話しやすい先輩含めての出社不可だったり、現地の感染状況から中止に。

目の前の仕事にひたすら向き合っているしかなかったけれど、心の底から何やってるんだろう??って想いがめちゃくちゃあった。

何しても時間に追い立てられてて、何しても気が休まらなくて、いつ誰に何を質問されるか臨戦態勢になってて。
(みんないい人だったから闘わないけどw新しい仕事含めて、仕事内容が鬼苦手なものばかりだった)

上司たちも誰も状況把握できなくて、これこれはやってこうなってます、みたいなのは報告もちらほらしてたけど、

うん、この期間中駆け抜けてた頃、評価された記憶もない。


自分も評価されたかったっていうのはありつつも、それ以上に出社できたみんなでなんとかやってきた日々が、なんだったんだろう??ってなった。

8月の最初に、「明日から○○さん来れるよ」って同僚の復帰が決まったのを、上司に聞いた瞬間から、糸が切れてしまって。

そこまで駆け抜けてきた分が、どっと疲れてしまって。

まだ本調子じゃないけど、復帰した同僚の姿を見たら安心して、ひたすらに胃なのかどこなのかよく分からないところが気持ち悪くて、午前中で早退して帰宅。

この頃には急に増えた仕事も落ち着いてきてて、あれはなんだったんだろう??とか、なんでこのタイミングだけ??とか、ここまで掛けた時間が一気に虚無になったような感覚もあって。

ぼーっとしながら家に帰って、起き上がれなくてずっとベッドで横になりながら、すごい遠くなった感覚の、大好きなみなとみらいのライブカメラをYouTubeで観てた。

当時はコロナが広まってから何年も県外に出てなくて、出張で出られるかなと思ったけど叶わなくなって、これはもう二度と県外に出ないまま死ぬかもしれないな、と本気で思ってて。

そのくらい生きてることに燃え尽きてしまって、その日は早めに休んでまた翌日から出社再開したけど、そこから2,3週間くらいぼんやりとした心地で仕事して過ごしてた。

今思うと、プチうつくらいは入ってたかもしれない。

もともと私は希○念慮を抱くこともちらほらあったんだけど、当時それすら思わなかったというか、○にたいってより、「○ぬかも」って思ってて。なんで生きてるか分からなくなってきてて。

あえてぼんやり過ごしてるうちに、だんだん気力が戻ってきて。

そこからふと、「あれ、いろんなことできてたな?」って、7月下旬からのことをやっと振り返ることができた。

いろんな人をサポートしたり、質問や調整したり、タスクの管理をしまくったり。

普段は上司がやっていることも、代理みたいに一部やってたこともあったから、なんかめちゃくちゃ動けてたじゃんよ自分。って、虚無より駆け抜けてた期間の自分をほめてあげられるようになった。

そして同じくらい、あんなに自分を酷使させるのは、がんばらせるのは、もういいんじゃないかな?とも思えてきた。

ピークなときは60時間残業も耐えて、一日4h残業も何度もやって。

熱中できることとか、どうしても持ち越せない仕事だったらよかったけど、そこまで長時間残業する仕事は、近年では苦手で嫌いな仕事ばかり。
(主に○ギと偽○品とハ○キングの調査をしてて、得意と嫌いが両極端だった)

後輩に、人に教える仕事も苦手な作業のものだから、自信の無さがめちゃくちゃ出てストレスフル。

プチセミナーみたいな研修もやらせてもらったりと、経験も積めた分野ではあったけど、よく胃が痛くて頭が痛くて一食で10粒以上の薬やサプリを飲み、残業をエナドリで乗り切る原因のほとんどは苦手な仕事。

もういいかなって、思って。

得意で熱中できる仕事さえ続けられたら、と思っていたけど、その仕事も、その何ヶ月か前に価値観が変わった後だったので、もういいかなと思い始めてて。

ただでさえ得意な仕事は案件数が減っていたことに加えて、極める対象として選ぶには間違っていたかもしれない、と考えてたものだったから。

よくよく思えば、私は同僚に前から恩返しもしたくて、この期間で恩返しした感覚にすごくなっちゃったりして。


いろんな心残りとか、執着することに諦めがついて、9月の始めに退職の申し出をした。

その矢先に、とあるコミュニティに誘われて、ビジネスを学ぶ場を増やした。

そこから退職前にモニターでコーチングをさせていただいたり、退職後も続けたり。

最終出社のあたりから占いのYouTube動画を更新し始めて、さらに別のコミュニティで関東までビジネスを学びに行ったり。

年を越してコーチで活動していくことに迷い始めて、占いでもっといろんな人にメッセージを届けたいと思うようになり、その矢先にライブ配信の仕事で声をかけてもらって。

貯金を切り崩しながら、正直いったん尽きたので物販的なこともしながら、占いを続けているけれど。

あのときがんばった自分を認めてあげて、大丈夫だって言ってあげて、会社の外で生きてくって決めたから、なんだかんだ今があるんだと思う。

金属探知機の向こうに理想が無くて。

人やモノを疑う仕事の中に、未来を感じられなくなって。

誰かのお金や利益を守ることは、そのために悪いやつをぶっ潰すのは、ほんとに天職に「してた」。

でも、疑う中で、いくら相手が悪いやつとはいえ攻撃をする中で、自分で自分を信じられなくなってたし、いつ特定されるかって怖かった。
(前述だけど、ときどき対応に納得いかないお客さまが来社されることがあったから、絶対に所属もいろいろもバレないようにしてた)

それは、ネットで活動したり表現していくことの妨げにもなってて。

経験を具体的に語れないことも多くて、守秘義務の塊で生きていくことは慣れたけど、それだけネットでトラブルに遭遇した人を見かけても何もできないことも、もどかしかった。

それだったら、お悩みの相談を受けて、時にはカードと一緒にお客さまの日々を応援できる、背中を押せる活動を、仕事をしたかった。

まだまだお客さまに選んでもらえるような個人としては、未熟な部分もあるだろうけど、一緒に生きてるカードのことは疑ったことがない。

Tokiwaとしての鑑定結果を、未来に向けてのアドバイスを、お客さまに届ける言葉を、私は一番に信頼してる。

その言葉を受け取ってもらいやすいように、日々どう届けるかも学びつつだけど、なんとか今続けることができている。



だから、あなたも大丈夫。

あなたは望んだ未来を生きられる。

その道は険しくても、決めた人は進んでいける。

自分を信じられる道を進めたら、望んだ未来はどんどん近づいていく。


私も私の理想を叶えるために、日々自分を見つめています。

あなたも「今のままでいいのかな??」と思ったら、

あなたの気持ちを見つめてみてください。
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