繊細さって。

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若いころの私はとても繊細だった。
繊細すぎたといっていい。
最近は繊細さは何かいいことのように言われることが多いけど、ううん、そんなことない。
繊細さって、言葉を替えれば、周りの人たちの目を気にして生きることと同義だから…
周りの人たちの意見に振り回されて、自分を殺して、ひたすら目立たないように生きていく。
そんな人生が楽しいって思える?
周りからの評判はいいかもしれない。
だって、いつもびくびくしているような気弱な人間を嫌うような人なんていないから。
特に周りの人たちを自分に従わせたいと思っている連中にとって、私は格好の餌食だったに違いない。

一度、こんなことがあった。
小学校のころ、私には好きな男の子がいた。
彼はクラスの人気者。
いつでも友達に囲まれていたわ。
そして、彼はいつもその輪の中心にいた。
私はいつも彼のことを見つめてた。
授業を受けるときの彼の横顔。
放課後、サッカー部で何人もドリブルでかわしていく運動神経の良さ。
彼のすべてが好きだった。
次のバレンタインデーに彼に手作りのチョコを渡そうと思っていた。
私には親友の朋美がいた。
朋美とはなんでも打ち明けあった。
朋美はバレンタインデーの3日前、私に彼のことを好きだと言った。
「私、バレンタインデーに翔君に告白しようと思っているの」
私はもちろんその時、衝撃を受けた。
でも、朋美に嫌われたくないから、私は手を引こうと決心した。
「そう、翔君、人気者だから、頑張ってね」
私はその時でさえ、心の底から朋美がうまくいくことを願っていた。
バレンタインデーに他の子からもチョコをもらったみたいだけど、
結局、彼は朋美を選んだ。
そして、二人は付き合い始めた。
その時になって、ようやく私は彼に何もしなかったことを後悔した。
だけど、もう遅かった。
あの時の私自身にもし、アドバイスできるなら、こういうだろう。
「朋美のことなんかほっといて、彼にぶつかってみて。それでだめだったら、納得いくじゃない」

今の私はどうだって?
そうね。多少はずぶとさも身につけたかもしれない。
私もいつまでも若くはない。
年の功ってやつね。

この「ずぶとさ」にはいろいろと助けられたわ。
まずは失敗をさらりとかわせるようになった。
繊細なころの私は、失敗を正面からまともに受け止めていたから、それで落ち込むことも多かった。
失敗をまともに受け止めちゃうと、どうしても自分が嫌いになってしまう。
そして、時に自分を破壊してしまうまで、自分自身を責め続けてしまうから…
いいかげんに生きるんじゃない。
まるで軟体動物のように自分が失敗したという事実の受け止め方を少し変えてみるだけ。
どう? 私の「繊細」談義?
もし、少しでも「繊細」なあなたの役に立ったと思えてもらえたらうれしいけど。
また、いつかどこかであなたと「繊細」談義ができたらいいわね。
待ってるわ。
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