SDGsに踊らされる人たち

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私が今社会を生きていく中で最近よく耳にすることがある。それは「SDGs」という言葉である。「SDGs」とは、簡単に言うと国連総会で採択された持続可能な開発目標のことである。それには17の目標、169の達成基準、232の指標が定められており、2030年までに達成しなければならない行動計画となっている。
今回の記事で挙げる点としてSDGsとして社会問題が抽象化され、より身近なものとしてキャッチーになった反面、SDGsと謳えばそれがあたかも絶対正義であるような風潮が生まれているように思える。

私が感じた社会問題を抽象化してしまうことの問題点として、表面的な理解をする人が増えてしまい、それがマジョリティーとなって正しい行動と思い行動を起こす人が増え、結果的には地球すら滅ぼしてしまうのではないかという、懸念がある。
例えば、極端な例でいうと雑誌のプレゼントの企画で1冊買うごとにエコバック5個もらうことができる。というものがあったとする。エコバックを持つことに関しては確かに環境破壊を止めるためには重要なことなのかもしれない(アメリカではエコバックを使って買い物を進めたため、レジ袋の利用を廃止した。結果、排泄物などがそこら中に存在し、かえって環境が悪くなった例も存在する)しかしながら、何が環境にやさしいのか自分で批評的に判断しないため、環境破壊を促してしまう。
理想論として、社会問題一人一人が取り組むための具体的目標を議論し、合意形成を図った上で行動していくことが適切なのではないかと感じる。しかし、初めからこのような議論を形成していくことは難しいと感じる。そのうえ、問題を解決できる土台が一見整っているように見えて実は、企業が主催として取り組み、経済の利益を求めるために踊らされていたりする例も存在する。
ここで大切だと感じたことは、コミュニティーに属さず個人個人が議論できる環境を構築していくことが大切だと感じている。個人で自分なりに社会問題をどう解決したらよいのか主体性をもった考えは、コミュニティーに属さないことで生まれる。なぜなら、コミュニティーに先に属してしまうとコミュニティーにある統一された考え方や方向性が存在し、少なからず受動的になって社会問題に対するリテラシー能力が薄くなるためである。では、どのように個人個人が主体性をもって取り組めるようにしていくかに関しては、日本の教育について変えていく必要があると感じる。それは後日記事にまとめたいと思う。

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