【源頼朝】の宿命解説。

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【源頼朝】の宿命解説。

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ここでは、歴史上の人物を活用させていただいて、どんな形で算命学の技法を使ってその人の宿命を読み解いていくのか。という参考にしていただければと思います。

また、基本的にその歴史上の登場人物の経歴はWikipedia情報を参考に記してまいります。年齢も現代に合わせた読み方で進めていきます。

まず、一人目の偉人は、2022年の大河ドラマでも重要人物の一人として登場する、「源頼朝」公を取り上げていきます。源頼朝という名前は小学校の歴史で確実に太字で学ぶ人物なので、どんな人物かということを覚えて名前くらいは聞いたことがある歴史上の人物の一人かと思います。

算命学の勉強がメインではないので基本的にはサラッとポイントだけ記していきます。専門用語などもどんどん出てきますが、スルーして読み飛ばしてください。なんとなく雰囲気を感じてもらえればそれで充分です。実際個人鑑定の時はもう少し分かりやすくお伝えさせていただきますので、この場ではこういうものなんだなぁと感じていただければ幸いです。

では本題に。
(※3回くらいに分けて解説していく予定です)
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まず、頼朝の日干は「辛」。

辛い(つらい、からい)と記して「辛(しんきん)」です。
日干はその人の魂の様子を表していますので、非常に重要なポイントの一つです。

今回は、日干が「辛」の人のポイントだけお伝えいたしますね。
辛は五行で表わすと、金性です。
各五行には陰と陽がありまして、金性の陽が庚、陰が辛となります。
日干、金性の方のこの世での役目は、【自然淘汰】です。

淘汰とは、【秩序】をもたらすことです。
庚は直接的淘汰、
辛は間接的淘汰となります。
これが、金性の陰陽の大まかな違いとなります。
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間接的淘汰とは、例えば、王様の「王冠」です。
王冠や衣は王様、王家のシンボル、象徴となり、古代から畏怖されております。
この王冠の荘厳さが王の威厳を表しています。
これによって、相手の心を威圧します。
これが間接的淘汰の一例です。
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今でいえば、原価千円で作ったティアラをつけてパーティーに出るのと、一億円するティアラを付けて出席するのでは、そのアクセサリーへの気配りの差にはっきりと違いが出てくると思います。
それが辛の持つパワーです。

辛は自然界では宝石に例えられますので、日干「辛」の方は、宝石のような威厳を持った魂であることが望ましい生き方となります。

話が戻りまして、王冠の威圧感が結果的に平民に頭を下げさせ、秩序が生まれ、治安が安定する。というのが「辛」の間接淘汰の理屈となりますので、歴史上に出てくる【源頼朝】という存在は、まさにそういった位置になった人物であります。

源頼朝は、源氏の嫡流であり、
時の朝廷に「大将軍」の位を要望した人物であり、この頼朝の元に坂東武者が馳せ参じました。
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頼朝亡き後も、政子の号令で「いざ鎌倉!」と御家人たちが駆け付けたという史実からも、見事に「辛」の役目を果たしたのではないでしょうか。
ちなみに、こういった歴史に名を残し文化文明を創出した人物の魂の余韻はその後続きます。

というように、日干の性質を知るだけでも、自分の今世の生きざまが見えてきます。

算命学、面白くないですか?

日干の種類は10種類あるので、魂の色が10個あるとざっとそう捉えてください。
 →ちなみに龍神祝詞の一、二、三、四、五、六、七、八、九、十はこの十干を表してると言われてます。
 →他にも祝詞に、ひとーふたーみーよーと神様の御前で神主様が奏上されているのも、もしかしたらそうなのかなぁと個人的には、勝手にそう考えております。

ちなみに、「丑遥巳禄格」というのが頼朝の人生を象っていますし、守護神が透干していなく、忌神「丁」が透干しているというのも、頼朝の人生を表しています。この「丁」は、後白河法皇を示しているのではないかなとここではそう読み取ってます。つまり、後白河法皇(ざっくり天皇家)が頼朝にとって忌神だということです。

「丑遥巳禄格(ちゅうようみろくかく)」

の宿命を持つ人は、人生全体で親戚や縁者からの様々な援助や支えが多く、福(幸福)、禄(財産)、官(地位、名誉)に恵まれやすい運勢となります。頼朝のケースは特に、申・酉・戌が巡ると吉運となり、巳・午・未が凶運となります。
これもまた、頼朝の人生そのままという感じがします。

次に、地支の位相を見てみると、月支の「巳」と日支の「丑」が半会となっています。
半会はざっくりとした意味を読み取ると、異なる価値観の者同士が同じ目的に向かってまとまるというような内容となります(もちろん他にも意味がありますが、ひとまずこれを覚えておてもらえれば)。

頼朝が鎌倉を拠点に築き上げた武家政権までの道のり。まさに、同じ目的に向かって、違う価値観の者たちが集まって打倒平家に向かて進みだした感じがしますよね。

また、本人の心の場所と、妻の場所の半会にもなります。
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政子と頼朝。

いつまでも目的を一つにまとまり、そしてそれが大きく広がっていくさまがこの宿命に描かれています。この二人の人物がいなければ、この後700年以上続く武家政権は存在しなかったかもしれません。


○○星と記された、8つの星が集まっている部分を陽占とい言います。
この陽占では主にその人の性格を占っていきます。現実に起こることは陰占で読み解いていきますので、陽占のみで運勢を占うことは、基本的にやりません。
【以下余談で】
つまり、○○星があるから、あなたはこういう人生になるよ!
というのは、基本的にウソの鑑定です。こういう占い師と出会った方は、何故そう言う鑑定になるのかちゃんと質問されると良いかと思います。きちんと答えられない人でしたら、気にされないことです。特にひどい人は、○○星があるから早死にするとか病気になるとか言いますので、それは全く根拠のないいい加減な鑑定となりますので気にしなくて大丈夫です。

占術は未来を切り拓くツールです。
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希望の光を自身の魂に通し心を輝かせるための手段です。
その為だけにお使いください。


本題に戻ります。

真ん中の星(主星)が石門星となっております。
石門星は思想で人々をまとめる性格を持っています。また、陽転するとその業界全体のことを考えるようになります。ですので政治家に向いていると言われています。ちょっと悪く出ると、自分と他人も同じ感覚だと勘違いしますので、自分が好きなものはあなたも好きでしょ?っとなりがちです。

そして右斜め下に、天極星があります。天極星は死人の星。つまり、肉体から精神が離れたばかりの状態を表しています。自分の欲望や思いで人生を歩むことができず、主体性を持つことも、理念を実現することもあり得ない世界が眼前します。一切皆空の世界を生きるエネルギーです。

そしてそれが、天中殺現象で一生涯中殺(辰巳天中殺・生月天中殺)されています。

中殺されると、枠が無くなるあるいは、不自然になるという意味合いになります。ですので先述した石門星と、天極星の性質が不自然な性格となるわけなので、分け隔てなく平らかな(天極星)思想で(石門星)人々をまとめていくはずが、豊かな情感を持ち、けじめをつけられない(公平性のない)判断をつけやすくなります。逆を言えばけじめをつけなくていい環境では成功しますので、公私が一緒になりやすい仕事に向いていたりします。

例えば政治家や独裁者は公私がまじりあいやすい環境に置かれてますので、あっちを立てればこっちが立たずで悩むような環境でも、けじめがない分自分の情勢に任せて裁定できます。しかも枠の無い石門星がプラスに働くとカリスマ性が増しますので、常人が決断することができない、大英断ができる逸材と判断されることもあります。
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この性格、まさに頼朝の決断の物差しになっていそうですよね。

こういった状況を『鎌倉殿の13人』では見事に描かれて放送されております。
また、上には(北方・頭の場所)車騎星があります。車騎星を有効的に使うには正義感を意識することが一番良いとされてます。その正義感は自分の中での正義感を発揮することが多いですので、頼朝が持ち合わせている正義感から他人への情に流されず決断できる性格の持ち主。と読み取ることもできます。
→だからこそ、頼朝には冷徹さを垣間見ることがあるのではないでしょうか。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の一話で描かれている、千鶴丸が川に沈められて殺された運勢までを残りの部分でこじつけて解説してみましょう。
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おさらいになりますが、頼朝は日干支が辛丑ですので、辰巳天中殺の人となります。

物語を逆算して推測すると、八重姫と通じて千鶴丸を設けたのは、25歳(壬辰)の時から、27歳(甲午)の間だと思われます。ドラマでは(大河ドラマは、実際の役者さんが何十年分も演じるのであてにならないと言えばあてになりませんが)千鶴丸はどうみても一歳児には見えませんでしたので、推測が正しいと仮定すれば、頼朝が26歳くらいで生まれた子どもとみてもいいかもしれません。
となれば、彼は頼朝が天中殺の間に生まれた天中殺子ということになります。
また、宿命から見て頼朝の子供は己になります。ですので基本的に頼朝は子供で苦労が必要(苦労しない場合は不幸が必要)というようになります(己は頼朝にとって忌神)。
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そして、結婚はしていなかったようですが、八重姫と結ばれたのもおそらく天中殺期間中ですので、天中殺で始めたことは続かないという理由もあることから、天中殺が明けた時に千鶴丸の人生に何かしらの禍は起こりやすいとみなしていきます。
→実際の現代の鑑定では千鶴丸のような結末になるとはいたしません。
 →その理由はココでは記せないのでご容赦頂ければ、、、

少し経歴をさかのぼります。
頼朝は13歳の時(数えで14歳)、伊豆へ流刑となりました。庚辰年です。この歳もまた、天中殺です。頼朝はそれまで貴族の一員として生活していたのにもかかわらず、ここで(史実からではなく、運勢上の話で)罪人の身分となってしまったのかというのも運勢にしっかり明記されているのですが、ココでは省略いたします。
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さて、壬辰と大運の癸卯の二つに注目です。
卯と辰は「害」です。ただし、自分の宿命の外で害が現れていますから、自分の意志の範疇外でもこの害が発動します(害が発動するにはある一定の条件がありますが割愛します)。範疇外でもというのは、頼朝の年支にも卯があるからです。このことにより、頼朝の運勢としては伊豆へ流刑となったと仮定できます。(害は災害にあうという意味もありますし、自分と異次元の人(あるいは場所、環境)に遭遇するという意味もあります。)

今までと全く違った環境に頼朝が移ったのは辰年(天中殺)。ですので、次の辰年にその結果(成果や評価)が出てもおかしくありません。また、天中殺で始めたことは続かないので、次の天中殺の期間に、監視下に置かれていた頼朝の心境にも多少なりとも自由になりたいという気持ちが湧いてもおかしくありません。また、壬は第一守護神でもありますので、自分が監視下に置かれていた場所で出会いがあってもおかしくないのかもしれません。という勝手なこじつけから、25歳の時に八重姫と通じ、その後千鶴丸が生まれたとみてよいかと思います(天中殺中なので歯止めが利かなくなりやすい)

そもそも不自然な出会いと不自然な子どもであった千鶴丸ですが、頼朝にとっては縁のある子です。ですがこの縁は不自然なものであり、縁があるからこそ、千鶴丸を苦労して面倒をみたほうが良かったのですが、恐らく頼朝は面倒をみていたとは言えないでしょう。そこで、千鶴丸に悪因縁が飛びやすくなります。その年が、乙未年(1175)です。この年は、頼朝にとって、日干支天剋地冲の年となります。これは、千鶴丸がではなくて、千鶴丸が頼朝の日干支天剋地冲の現象のきっかけになったとみてよいと思います。つまり、頼朝の運勢消化のために、千鶴丸は必要だったとみてよいでしょう。この一件で、頼朝は八重姫とも、伊東家とも縁を切ることになりました。13歳の頃より積み重ねてきたことが全て壊れた年となったのです。

過去の清算を図らずも払った頼朝はここからまた運勢を大きく稼働させていきます。

その様子が、『鎌倉殿の13人』の第二話で描かれていましたね。
今回の解説はここまでといたします。

次回は挙兵をしていく時期を中心に、【源頼朝】の宿命と人生を読み解いてまいります。

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