日々、耳を傾ける。。~多様性② 人と意見が違うことが当たり前になる~

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コラム
おはようございます。
はるつぐです。

昨日は、耳を傾け続けることで、
人の“多様性”に気付いたことまで書きました。

最後の方に書きましたけど、
100人、200人と聴き続けるウチに、
「みんな違って 当たり前」
になっていくんですね。

コレですね。
“傾聴し続けないと分からない”んですね。

理屈では、
「みんな違う」と
理解していても、
潜在意識の中で、あるいは無自覚的に、

「自分の感覚は一般常識的」
と認識してしまうんですね。

或いは、逆に
「自分の価値観は社会一般のモノとはズレている」
と感じている人は、
逆に「社会一般的な常識がある。自分以外の人間は、自分と違った常識的な価値観を持っている」
と思っちゃうんですね。

コレですね。
そう認識しちゃうんですね。

なぜなら、
“人は自分が認知出来ていることしか、認知できないから”。。。

何を言っているんだ?笑
分かりづらいことを。苦笑

正に、
『7つの習慣』に書かれているパラダイム(ものの見方)。
どのようなレンズ(眼鏡)で世の中を見ているのか?
ということなんですけど、

自分がどういう眼鏡で世の中を見ているのか、
“自覚できない”んですね。。。
他の人の眼鏡でモノを見てみようとする
(=話し手の目で見て、耳で聞いて、心で感じるように努めて傾聴する)
まで、
自分が眼鏡越しに世の中を見ているだなんて、
そんなこと、認識できないんですね。
少なくとも、私は、認識出来ていなかった。

そう。
モノの見方は、みんな違う。
事象の解釈は違う。
価値観も違う。
使っている言葉は同じでも、
言葉から解釈している“意味”すら違う。
言葉から感じていることが違う。

みんな“違っている”
(“間違い”じゃないヨ。“異なっている”ってことだヨ)

そういう風に感じられるようになってから、
人と意見が違う時に、腹が立たなくなった。
「自分の方が正しい!」といきり立つことも少なくなった。

違うことが当たり前になると、
ちょっとズレているように感じていた自分の価値観も、
受容出来るようになっていく。
「なんだ。みんな違っているじゃない。
 自分だけじゃないんだ。
 自分の価値観は、数多ある価値観の中のひとつにしか過ぎない。
 だけど、尊重すべき唯一無二の価値観なんだ」

そう思えるようになった。




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