「イケおじ」になりきれない僕と「価値観の相対化」

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コラム
僕は、子どものころは割と「いい子」の部類に入っていたようで、
「無難でつまんないやつ」という自覚がなんとなくありました。
中学・高校と進んでもスポーツやなど特段秀でていた何かがあるわけでもなく
ルックスも人並みか、下手をすればダサいほう。
当然「モテるタイプ」ではありませんでしたし、自己肯定感は低めでした。

そこで、アイデンティティーを確立し、自分が自分たるための何かを
作り上げようとした方法が、
「多数派の中に埋もれるのではなく、少数派に身を置くこと」でした。
これは両親の生き方にも影響された面はありましたが
無意識のうちに自分なりに身につけたものでもありました。

僕の小学・中学時代、
比較的保守的な管理教育の傾向が強い地域で育ちました。
自分でもまだ、アイデンティティという概念がなかったためか
少数派にはみ出す勇気がなく
管理的なものに従わざるを得なかったような気がします。

そして
高校・大学と進むと、これまで当たり前だった世界とはちがう
新しい価値観がどっと入ってきました。
政治のこと、思想信条のこと、マイノリティーと呼ばれる人々のこと…
自分の世界が大きく広がった喜びに満ちた時期でした。

ただ一方で、少数派の道を選ぶということは、
多くの人が歩む道、いわば直球勝負から逃げて
変化球でごまかしているのではないかという引け目も
感じていたのは確かです。

イケメンでもない、高身長でも、高収入でもない、
スポーツもできるわけではない、そんな自分にとって
自分がどんな大人になっていくのか、
できれば「イケおじ」になってモテたい、尊敬されたいんだけれど
メインストリーム的なものから離れるだけでは
小賢しいおじさんになるのでは・・・

そんなことを思いながらも、主流派やその価値観から
距離を置き、時には批判的になりながら年月を重ねてきました。
そして気が付くと、いい年になっていました。

その中で気が付いたことは、
少数派だった頃に輝いて見えた価値観も
多数派になると「経年劣化」するということ。
そして立場が違えば考え方は大きく変わるということ。
絶対的な正義、絶対的な価値観はないということ。

「イケおじ」
ファッション雑誌はマネできても、内面ってどうなのかな?
何をもって「イケおじ」と呼ぶか、人によって千差万別です。
100点満点の完璧な「イケおじ」はあり得ないし、
逆にそんな人実際会ってみたらイヤかもしれないですよね。

僕の選んだのは、(なりたくてもなれないのですが)
だれもが認める主流派の「イケおじ」ではありませんでした。

ゆるやかに、
しなやかに、
完璧ではなくほどほどに
いろんな価値観を尊重しようと考え、
でも受け入れられないこともあって
悩んだり葛藤したり

そんな「ただのおじさん」の道を選びました。
でも、現実にはあり得ない「100%完璧なイケおじ」の
片鱗だけでも纏うことができたらいいなと思っています。

そんな「イケおじ未満」の僕にできることは
誰かの悩みを聞くこと、寄り添うこと、
一緒に考えること…

すぐに答えは出ないかもしれません。
でも、何かのヒントは見つかります。
そして・・・
僕が少しでもお役に立てれば、こんなに嬉しいことはありません。









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