第二章

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コラム
(ポートフォリオでは、英文で執筆した記事のみを掲載しました。米国での教育やキャリアを反映し、英語でストーリーを綴るのは得意ですが、日本語でも書きます。当ブログでは、その紹介も兼ねています。)

全米に名をとどろかす芸能人をめぐる訴訟が職場に持ち込まれた日があった。原告は彼の一ファンである。些細な出来事を皮切りに恨みを抱き、挙句の果てには法を盾に無駄な大騒ぎをしているのだろう。私はそう解釈した。

(興味深い内容の訴訟なのだが、プライバシー厳守なる義務があるので詳細は書けない。)

「私の見方は違うのよ」。先輩の弁護士Tが真摯な表情で言った。私には無謀とも不遜とも思えた原告に対してTは意外な同情を示し、彼の言い分にも正当性があると主張した。

Tと原告は共にあるハンディキャップを乗り越えて生きていた。その共有体験がTの弁護士としての視点にも反映していたのだ。人は皆それぞれ世界に唯一の「歴史」を背負って旅を続けているのだと思い知らされた。

私自身の歴史を思う時、例えば父が若くしてガンで逝った事が自分の生き方に深く影を落としてきた事に驚愕する。「誰もがいつか死ぬ。」この事実の認識が、人生観のみならず日々の子育てにさえ無意識のうちに影響を与えたのだ。
しかし、肉親の死といった劇的な体験は長い人生においても限られる。来た道を振り返れば、満員電車に揺られつつテニス部をやめようかと思案したり、呼び出しをくらった職員室でふてくされながら担任のお小言を聞いたりといった屈託のないシーンが目につく。そんな風にさりげない日常のドラマが無数に重なり合い、点が線となって、良くも悪くも今の自分の生き方を形成しているのだろう。

封印しようにも出来ない記憶もある。「ママ、子供の時いじめられたことがある?」おやつのお餅を頬張りながら息子が突如として尋ねた。「あるよ。」事務的に答えながらも、泣き腫らした目で家路につく11歳の少女が脳裏を横切った。誰にも言えない悩みの重さに堪えかねて下唇を噛んだ早春の放課後。あの日は今も私の中でひそやかに息をしている。

「僕がいたらよかったね。いじめっ子をやっつけて守ってあげたのにね」。心なしか息子の頬にほのかな赤みが加わる。「あのね、どんな人にママになってもらおうかなって探してたんだよ。ママを見て、この人がいいと決めたから生まれてきたの」。

返す言葉も無く彼の手を握る。嬉しいより気恥ずかしい。こんな欠点だらけの人間を全身で愛してくれる子がいる。かつて洩らした溜息や流した涙さえも、意義のあるものにしてくれた。母となり、私の人生の第二章が幕を開けた。そんな気がしてならない。
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