残留思念の影

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コラム
元々は何の基準も価値観も条件も縛りもなく、ただ現象が存在し、

何も感じることがなかった無の時間と無の世界。



生命がこの場所に数々の視点や基準、価値観を構築して、

物事に対する無数の感性という分離視点を

作るようになったのは、やはり理由がある。



無の時間と場所の中では決して経験することができない、

負の感情を含めた様々な感情を味わうために、

人間として生を受ける状況を、そして感性という分離視点を持って

感情が湧き上がってくる状況を作り上げた。



ルールが設けてあるスポーツや、ゲームの中で厳しい縛りを自発的に設けて、

無限に遊び方を作って楽しんでいる様子があるように、

特定の基準や条件を付けると、

その縛りの中でしか味わえない魅力や喜びも誕生する。



競い合いや勝負事、戦略、逆転劇、挑戦、

成長、進歩、救済などはその代表例で、

何の縛りも条件もなく、全ての生命が常に全知全能であるとしたら、

そういった時間を経験することはできない。



縛りや異なる感性や特質などを作ることで、

考えること、選ぶこと、生き様にも違いが生まれて、

それぞれに違う結果や現象が起こるようになって初めて成立する経験。



人間が一人であらゆる物事を完璧にこなすことができなかったり、

長所、短所という意味を作ったり、善悪という見方を作ったり、

人は支え合って生きていけるという設定を

作ったりしたのは、そのためだろう。



短所、悪、欠落感といった一般的に

人が不快に感じやすいものがあるからこそ、

できるようになる魅力的な体験も確かに存在する。



そういう意味では、一般的に善と捉える傾向があるものと、

悪と捉える傾向があるもの、その両方が存在してこそ、

バランス良く人が経験したいことを経験できる

世界が成立していると思われる。



個人の目に映る世界に残しておくかどうかは、それぞれの好みによるが、

無数の世界線の一つとして一般的に

悪と捉える傾向があるものも存在している方が、

世界全体にとっては調和が取れていると言えるだろう。



感情が大きく生まれるところは、

人が必ず特定の基準や価値観などを強く握りしめている部分でもあり、

人々の自ら求めて経験しに来た何かと密接に関係している。



無の時間と場所の中では経験できない多様な感情を味わうために感性を作り、

価値観を握りしめて、感情が起こる世界に存在しているのなら。



幸せに思える時間に限らず、

今起こっている違和感や否定的な想いなどの不快な感情も

経験することを自ら願ったものであり、それを味わい切ることが

今そこで生きている理由、今の出来事が起こっている理由とも繋がっている。



何かを非難している心が違和感や不快な感情が起こっている

時間軸との繋がりを作っているが、そのような感情を直視するのは

苦しい、恥ずかしい、大変という印象や見方を持っていることも多く、

その感情を体験し切ることを避けていることも多いだろうか。



そもそも、その感情に気付けず、

認識できないまま無意識に過ごしているケース、

感じないように理性を働かせて過ごしているケースもあるだろう。



これは残留思念とも言うべき影。



この影の影響が生き辛く否定的に見える世界線に留まっている要因、

そこから移動できない要因の一つになっている。



抵抗感や目を背けたい気持ちが出てくるかもしれないが、

元々の無の世界と同じように感情も元々は意義はない。



ただそんな想いになったというだけで、

感情を味うことや出すこと自体は悪でも、

誰かを傷つけることでも、苦行でもない。



もし抵抗感などが出てくるようなら、

それは自身の経験や他者の影響、生み出されてきた歴史の記憶から、

抵抗をするべき意義を作り上げただけで、

元々は人が解釈しているような意義はどこにも存在しない。
(これは他の事例にも当てはまる)



残留思念を全身から味わって体験し尽くした上で、

苦しめられてきた残留思念を経験できたことに真の喜びを感じられた時。



自ら求めて経験しに来た何かが見えてきて、

残留思念が作り上げていた世界は役割を終えて姿を消し、

想いを向けてきた現象と世界が入れ替わりで訪れていることに気付くだろう。
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