私が、博士課程卒業後に企業就職することを決めた理由

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コラム
研究歴7年、28歳男性で生物系研究者の「めいす」です。
博士(医学)の学位を取得しています。

私は現在ポスドクをしており、
来年度から大手製薬企業の研究職として就職します。
なんで卒業後すぐに就職しないで、ポスドクをやっているの?
そんな声が聞こえてきそうですが、理由は単に「元々アカデミアに残るつもりだったけど、急遽就職することにした」からです。

製薬企業(最近はその他の業種も)は、博士課程在籍者の新卒採用を、
入社年度の2年前から始めることが多いです。
例えば、2023年4月に入社するのであれば、
2021年の夏頃に就活が行われるといった感じです。

そのため、4年生博士課程で卒業後に入社する場合では、
博士課程3年度に就職活動をする必要があります。
しかし、私は博士課程3年度はアカデミアに残るつもりだったので就活はしていませんでした。

転機が訪れたのは、博士課程4年度の初夏ごろ。
いろいろ悩んだ末、急遽就活をすることに決め、焦りながらも就活を始めました。

これから話す内容は、「なぜ私がアカデミアに残ることを諦めたのか?」その理由です。
これは私の個人的見解であり、アカデミアに残ることを悪とするような意図はございません。

私がアカデミアに残ることをやめた理由は以下の2つです。
1.「研究が趣味ではなくなる」と思ったから
2. 「もっと薬作りにダイレクトに関わりたい」と思ったから

1つ目の理由は、全体の6割ほどを占める大きな理由の気がします。
私にとって研究とは「知的好奇心に基づいた趣味」でした。

車が好きだから車に乗る、ゲームが好きだからゲームをする、
といったように研究が好きだから研究をするという趣味のようなもの。

学生のうちはある意味、親や研究室に守られた存在でした。
研究費の面でも、学費といった生活費の面でも。
そのため、あまり将来のことを考えることなく、
趣味として研究をすることができていたのです。

しかし、いざ来年からポスドクとして、
手に職をつけて働くとなったら?
これからは、自分で研究費をとって研究をして、
競合に負けないようにいち早く成果を出して、
生活を営むために、数少ない常勤ポストを狙って、
次世代の研究者の育成を教育して、、、

今まで守られていた存在であった学生から、
急に独り立ちをしないといけない。

恐らく私のような不安になりやすいタイプの人間には、
将来に対する不安に押し潰されてしまい、
趣味のように好きだった研究が、自分を追い詰めるものに
変わってしまうのではないかと考えました。

実際、博士課程の後半から研究テーマを変えて、
かなり壮大な研究に取り組んでいましたが、
上司が非常にアクティビティの高い研究者であったこともあり、
今まで体験したことのないほど、責任感もあり、スピーディな研究でした。

このレベルで研究をし続けないと、この世界ではやっていけない、、
マイペースな私は、自分で自分を追い込むことは好きですが、
何かに急かされて追い込まれることは苦手、、
私は常に「結果がでないと終わる」という
不安に駆られるようになってしまいました。

こうして徐々に「趣味としての楽しい研究」が「常に何かに追われている仕事」に変わりつつあるのが、非常に悲しかったのです。
私自身の研究能力が低く、ハイレベルな研究についていけなかった
ということは決してないと思っています。
周りからの評価を考えれば、研究者としての素質は人並み以上にあったと
考えています。

私は、趣味としての”研究”が好きだったのです。
研究費の捻出や、ポストを勝ち取るために、
切羽詰まりながらする研究は、私の中で”研究”ではなかった。

そのような悶々とした心でいた頃、上司が旧帝大の教授選に出る
ということで、その上司から信頼されていた私は、
助教授として来てほしいと言われていました。

前述のように、研究が趣味ではなくなりつつあるけれど、
漠然と「企業にいったら、企業の方針に従った研究しかできないし、
アカデミアの方がやっぱり自由だろうな」という気持ちもあったため、
博士卒業後すぐに旧帝大の助教授になれるのであれば、
まだアカデミアでもがいてみようかな、という思いがありました。

しかし、上司が教授選に落ちてしまい(元々出来レースのようなニュアンスで聞いていたので、通るのだろうと思っていたのですが)、
アカデミアに残ろうとする気持ちが一気に薄れました。

企業研究職になったら、それはそれで「趣味としての研究」ではなく
「利益を求めた仕事としての研究」になるとは思うけど、
なによりアカデミアよりは安定的な生活を送ることができる。
「趣味としての研究」ができないのであれば、
少しでも不安要素が少ない方を選択しよう。

そう思った私は、アカデミアではなく、企業就職へ大きく心が傾いたのです。

2つ目の理由は、「もっと薬作りにダイレクトに関わりたい」と思ったということです。
私の専門は腫瘍生物学です。つまり、私の研究の究極の目標は、
がんの治療薬を作るということです。

研究を始めた最初のうちは、がん細胞の神秘的な生存戦略に
知的興奮を覚え、貪るように勉強をしていたと思います。
がんの治療薬を作るというより、がんのことをもっと知りたい
という知的好奇心が私の大きなドライバーでした。

しかし、長いこと研究を続けていくと、昔ほど知的興奮
を感じなくなってしまったのです。
もちろん、先のお話ししたように、研究が趣味ではなくなって
きてしまったために、そもそもの興味が薄れてしまったことも
否めませんが、どちらかというと新しい論文を読んでも
「まあ、がん細胞だったらそうゆうことするよね」というように、色々と勉強したが故に、真新しさというものを感じにくくなっていました。

研究室に入りたての頃は、読む論文全てが新しいことに溢れていました。
どの論文を読んでも、目の前にパッと光りが輝いていました。
その後に訪れるがん細胞の賢しさに対する畏敬の念。

まだまだ私の知らない神秘のメカニズムがあるとは思いますが、
昔ほどの頭を駆け抜けるような知的興奮を覚えることができなくなっていた
ある時、私の上司に一通のメールが届きました。

そのメールは、私は研究対象とするがんの患者さんのお父様からでした。

「息子が助かるいい薬はありませんか?」

残念ながら、私が研究しているがんは希少がんであることもあり、まだ有効な治療薬が開発されていません。つまり、そのお父様に対する答えは
「いい薬はありません」になってしまうのです。

私は、本当に心から自分の無力さに打ちひしがれました。
同時に、きっと息子さんのために藁をも縋る思いで、
メールを下さったそのお父さんと息子さんに対する申し訳ない気持ちで
心が溢れました。

私は実験中だったにも関わらず涙が止まらなくなってしまい、
トイレに駆け込みました。
自分が一生懸命研究していても、何の役にも立たない。
きっとこのまま研究していても、論文投稿という目的で終わってしまう。

アカデミアの研究の全てではないですが、
多くは論文投稿が最終目的だと思います。
がん研究も、がんの治療薬の標的を見つけることはできても、実際に
薬を開発するまで行くケースはほとんどないと言えるでしょう。
なぜなら、目的は「論文投稿」だからです。
薬を作ることが目的ではないので、その手前で終わってしまうのです。

私は元々治療薬開発にはあまり興味がありませんでした。
がん細胞の神秘性に対する知的興奮に浸っていたかったのです。
しかし、徐々に知的好奇心が薄れていくなか、
がん患者さんのお父様からメールが来たことがきっかけとなり、

「もっと治療薬開発に近い研究がしたい」

と思うようになったのです。

こうして私は、アカデミアではなく製薬企業の研究職を
志望することとなりました。

色々とキャリアプランに対して心が右往左往した博士課程の最終年度でしたが、この決断がいいようになってくれればいいなと思っています。
まあ、いいようにするかどうかは、今後の自分次第なので頑張ります。

就職活動については、また別の記事にでも書いてみようかなと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。





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