「『足るを知る経済』とグローバル化」上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科推薦入学試験(公募制)2021年

記事
学び

(1)問題

次の文章を読み、続く「問い」に答えなさい。(800宇)

① (前略)経済成長を遂げることを強く求めた結果、21世紀のグローバル化はいくつかの小国を経済的または文化的植民地の標的にした。(1)といえるだろう。さまざまなコミュニティや地方、そして世界そのもののデリケートなエコシステムに対して憂慮すべき脅威が迫っている。そのような脅威は、先ほど述べたような国の人々に直接的な影響を及ぼし、持続可能な発展など達成できないのだと思い込ませているのである。

(中略)

② タイもグローバル化とグローバル経済によってもたらされる恩恵にあずかっている。科学と技術の向上は、グローバル化を推し進める主要な力として、世界をより身近なものにし、また国と国との境を消し去りつつある。地球をまたにかけたコミュニケーションが、かってないほどの速度で行われている。「発展」や「文明」を身につけた生き方ができるように、知識は迅速に伝達される。しかし、グローバル化によってタイ人の生活様式が変われば変わるほど、それは持続可能な発展からますますがけ離れてしまう。結果として、発展の格差が拡大し、社会的、政治的混乱を招いている。しかし、その元凶はグローバル化の下での科学と技術の向上にあるわけではない。なぜなら科学と技術の向上は、持続可能な発展の推進力としても機能しうるからである。この21世紀の状況を打破する最善の解決策は、我々がグローバル化から持続可能な発展を引き出すべし、というものである。我々はグローバル化を拒絶することはできないのである。

(中略)

③ 「足るを知る経済」は持続的な発展を成し遂げるための一つの手立てである。(2)プミポン・アドゥンヤデートタイ国国王陛下は、30年以上も前に、この哲学を国民のあいだに導入し、またタイが経済危機に直面していた1997年にも奨励された。この概念は、節制、合理性、弾力性を土台にした発展におけるガイドラインを提供する。この生活様式が依拠しているのは、知識と道徳であり、これによってタイ人は、いかなる危機にあっても生存しうる免疫力をそなえ、持続可能な発展の道を歩めるのである。「足るを知る経済」は、個人、家族、地域、組織または国にいたるまで、誰に対しても適用可能なのである。

(中略)

④ 「足るを知る経済」は、個々人の行動(品行)にとって最適な道筋として中庸*を取ることを強調する哲学であると理解することができる。それは、景気不安や環境上の脅威がとりざたされる世界における「生き残り戦略」である。

⑤ 「足るを知る経済」は、次の3つの原理を含む。
1.節制(moderation)。これは、人が自分自身あるいは他人を利用しないことを含む。人はある程度の水準の範囲で生産もしくは消費をしなければならない。もし、人があまりに消費しすぎた場合、人は病気に苦しむことになるかもしれないし、天然資源を浪費するので、人が社会を利用することになるかもしれない。
2.合理性( reasonableness )これは織細さと慎重さを含む。自分の決断が自分自身と社会に影響を及ぼす場合があることを考慮し、人は、それが自分自身と社会に悪影響を及ぼさないことを確実に決定を下す前に、あらゆる結果を徹底的に検討する。例えば、人は天然資源や地域のアイデンティティや文化を壊したりしない。
3.弾力性あるいは自己免疫( Resilience of self-immunity )。これは、十分な考察と共に知識を賢明に使用することにより内部的および外部的ショックの負の影響から自分自身を保護する。したがって、それは自分自身と社会における将来の不安定さを防ぐことができる。

*偏ることなく、常に変わらないこと。過不足なく調和が取れていること。

(出典:スワタナ・タダニティ「『足るを知る経済』の思想とグローバル化下の持続可能な開発:タイのケース」河村哲二ら編著『持続可能な未来の探求:「3・11」を越えて』御茶の水書房、2014年、73-77頁、一部改変)

「問い」次の2つに従い、合わせて800字以内で論じなさい。
太字(1)に関連して、ある一つの国の状況を取り上げ、その国を小国と呼ぶことのできる理由も記した上で、自分の知っている事例を記せ。なお、タイを含めても良い。
太字(2)に関連して、「足るを知る経済」が持続可能な発展(開発)を達成する手立ての一つと、なぜ言えるのか論ぜよ。なお、「足るを知る経済」原則からは異なる概念を使っても良い。

満足.png



(2)解答例


下線部(1)に関連して、ある一つの国の状況を取り上げ、その国を小国と呼ぶことのできる理由も記した上で、自分の知っている事例を記せ。なお、タイを含めても良い。
(経済的事例)

1997年におけるタイの国民一人当たりGDPは約2,468.2ドルで、一人当たりGDPランク99位の小国であった。
 タイの通貨バーツは米ドルの為替レートを一定割合で保つドルペッグ制をとっていた。経済基盤の弱いタイは通貨相場の安定を目的として、ドルと連動させることで自国の通貨の安定を図っていた。
 ヘッジファンドは金融技術の急速な発達やグローバル化に伴って、世界の金融市場で投機的な取引を繰り返し、巨額の運用益をあげてきた。アメリカのドル高政策に連動してバーツも高くなり、タイの輸出が減少するなかでさらにバーツ高が進行したことに対して、投資家から、バーツ高はタイの実体経済から離れた過大評価ではないかとヘッジファンドは目をつけた。1997年5月中旬、ヘッジファンド等の機関投資家は突如、タイ・バーツの大量の空売りを続けた。タイ中央銀行はドルペッグ制の維持のためバーツ買いの為替介入を実施するが、外貨準備のドルが枯渇し、ドルペッグ制から変動相場制へ移行した。この結果、バーツは対ドル相場で暴落し、タイ経済の地盤を大きく揺るがした。こうした通貨の急落は、タイ一国に留まらず、同じくドルペッグ制を採用していたマレーシアやインドネシア、韓国にも波及した。
タイ経済を直撃したいわゆるアジア通貨危機は、グローバル化の進展に伴って、膨れ上がった巨額なマネーが、経済体制が脆弱な小国を標的とした好例である。

👇オンライン個別授業(1回60分)【添削指導付き】





サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す