こんばんは、チベットです
今日は、伊藤亜紗さんの著書『目の見えない人は世界をどうみているのか』の話をしていきたいと思います。
この本を気になったきっかけは、本のカバーにヨシタケシンスケさんという絵本作者が可愛らしい絵を書いているんです。
余談ですが、私の妻がヨシタケシンスケさんの絵が好きなんです。
なので我が家では、ヨシタケさんの新作があると私が妻に伝えるって習慣があるんですね。
たいてい伝えた時には購入していることも多いんですが、、、笑
そんな形でカバーに目を惹かれ、そして目の見えない世界とはどんな世界なのかを知りたいという探究心から購入しました。
読んだ感想は一言で言うと私たちは多くの「情報」を得ていますが『意味』の捉え方はそれぞれ違うと気づきくれる素敵な本でした。
視覚障害者さんにインタビューをして書かれた本なんですが、家での生活のことから、空間の把握の仕方、感覚の感じ方、絵画の楽しみ方や運動についてなど、目からウロコのことが多いんです。
普段私たちは、視覚から多くの情報得ていて、その他の感覚器を使っていないことを思い知らされます。
そして、視覚情報に踊らされていることも。。。
それでは本の内容に入っていきましょう!
まず最初にこの本でも書かれてた素敵な一文を紹介します。
「私たちと目の見えない人の違いは四本足の椅子か三本足の椅子かのようなものです。」
目をつぶることと見えないことはまったく別物なのです。
目をつぶることは四本足の椅子から足を一本取ることで、つまり欠如していることと言えます。
見えないことは視覚以外の感覚器を少しずつ違うように使用して、いわば視覚なしでもしっかりと三本の足でバランスをとっているんです。
バランスの取り方が違うと、世界の見え方が捉える意味が違ってくるんですね
なので、意味に関して目の見えないことに差異はあっても優劣ないと話される著者のたとえ話が優しくて素敵だなと思いました。
このことを前提に情報と意味について書いていきます。
「明日は降水確率が60%です」という情報がニュースで流れています。
情報は客観的な事実ですよね。
ですが、明日の運動会を楽しみしている小学生が明日の降水確率を聞いたら運動会やるのか不安になりませんか?
コンビニの経営者だったら明日傘が売れるかもって思いませんか?
農家だったら明日の水やりは控えようとか思うかも知れません。
つまり情報って受け手によって意味が違ってくるんです。
目の見えない人だからこその世界の捉え方、生まれる意味を紹介していきましょう。
私たちは情報を使っているのか、踊らせているのか?
SNSや街の看板や広告など、私たちには刺激が多い世界です。
コンビニによって買うつもりのなかったものを買ってしまったりしていませんか?
目の見えない人は買うものを最初からリストを作って買い物をするそうです。
そうしたら余計なものを買わなくて済みますよね。
と言うことは、私たちは、マーケティング戦略によって踊らされているといってもいいでしょう。
ちなみにこういうマーケティング戦略は、いたる所に張り巡らされている網みたいなものですよね。
衝撃ではありませんか?
視覚情報に踊らされて、行動を意識的や無意識的に決めさせられている。
あなたが好きそうな映画ですとか、この商品を買った人はこの商品を買ってますとか見覚えありませんか?
それだけ、視覚情報から取る情報量が多く、CMタレントさんやYouTuberがお金を持っているのも納得ですよね。
情報過多の時代だからこそ、情報を遮断して自分の時間やお金を守ることが大事になってくる。
自分のペースで踊りたいので、IPhoneのスクリーンタイムでSNSの時間制限を設けました。
私は、目に見えない人は情報には踊っていなくて、自分のペースで生きていけるという側面があるんだなと思いました。
明日は、目の見えない人には死角がないってタイトルで話していきたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
ではまた明日!