「経済の仕組み(企業)においての法令順守の歴史について!💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓😎😍

記事
コラム
💎法律が定める制度は、内容が社会の実情に適合し
個人や企業の側に法律を遵守する意識が定着していれば
その機能が十分に発揮されます。
この場合、法律違反行為に対して、その程度と悪質性に応じた制裁を
科すことが違反行為を抑止し制度を健全に維持するうえで
大きな役割を果たします。
しかし、従来の我が国のように、法律に基づかない行政指導によって
個人や企業の活動がコントロールされ、非公式な話し合いによる解決が
常態化している場合には、法律で定める制度は、しばしば社会の実態と
乖離(かいり)し、違法行為が常態化することになります。
そこでは、法律に基づく制裁を科することで法律遵守を確保するという手法は
用いられず、法律に定められた罰則が実際に適用されることもほとんど
ありません。
ところが、たまたま内部告発などで違法行為が表面化すると
行為者や企業に対して厳しい社会的非難が浴びせられ
ここぞとばかりに刑事罰などの制裁が科されることになります。
しかし、それだけでは本当の問題解決にはなりません。
それ以上に重要な事は、法律が十分に機能していないという現実とその背景となっている構造的要因をどのようにして是正するかなのです。


💎法令やその運用と経済実態との乖離が一層深刻な状況になっている
背景には、国家公務員倫理法などの影響で、
法令の作成や執行を行う官庁の公務員と民間人との接触が少なくなり
官庁側の認識が経済社会の実情とズレてしまっているという現実が
あるのです。
そして、そのようなズレを是正することができず
それを一層ひどくしてしまうのが
官庁発表報道、法令遵守的報道を垂れ流す御用マスコミの存在です。
官庁とマスコミが結び付いた圧倒的なプレッシャーのもとでは、
企業側には、単純に法令遵守を行うことしか選択肢がないように思えます。
こうして世の中が「法令遵守」に埋め尽くされる状況の中で
多くの賢明な組織人たちは、法令遵守という意味のコンプライアンスが
多くの弊害をもたらしていることに気づき始めています。
抽象的に法令遵守を宣言し、社員に厳命するだけの経営者の動機が
命令に反して社員が行った違法行為が発覚した場合の「言い訳」を
用意しておくことにすぎない事、
法令遵守によって組織内には違法リスクを恐れて
新たな試みを敬遠する「ことなかれ主義」が蔓延し
モチベーションを低下させ、組織内に閉塞感を漂わせる結果になっていることを感じている次第です。


💎日本は、決して無法国家ではありません!
明治期以降、欧米から近代法が輸入され
大陸法と英米法が混合した精緻な法体系が確立された「法令国家」です。
しかし、戦後の経済復興、高度成長を支えた官僚統制的経済体制のもとでの
法令は、現行憲法下での天皇と同様に「象徴としての存在」にとどまり、
その間、市民社会、経済社会における現実の機能は限られたものでしか
なかったのです。
それが日本が本当の意味での法治国家とはなりえない要因となったのです。
日本は、戦争による経済の崩壊の危機から、わずか四半世紀余りで
世界第2位の経済大国へと経済復興を遂げました。
しかし、それを支えてきた官僚統制的経済は、
一方で「市民社会・経済社会と法令との乖離」「法令と実態の乖離」という
副産物を生じさせました。
それが「非法治国家たる法令国家」という、例のない奇妙な組み合わせを
生じさせたのです。
このような状況のもとで、
「法令を守ればよい」
「法令に従って物事の是非を判断すればよい」という
通常の法治国家においては、当然の法令遵守を単純に推し進めていけば
社会の混乱と矛盾が極限に達することは確実です。
その結果もたらされる国家の衰退は、
第二次世界大戦後の奇跡の経済復興と同程度に、
歴史上まれな出来事として後世に語り継がれることになるかもしれません。


💎高度成長期までの日本(談合システム)
「談合システム」は、入札・契約制度の不備を補って円滑な調達を
可能にするだけでなく、高度経済成長の果実としての富を
当時の社会・経済状況に適した形で合理的に配分する
「富の配分システム」としても、大きな機能を果たしていました。

①建設技術の高度化
②地域の経済振興、中小企業の保護・育成
③天下りによる公務員の待遇の補填
④政治コストの負担

①建設技術の高度化
日本の高度経済成長の原動力となったのは、
傾斜生産方式による鉄鋼、重化学など
重工業へのヒト・モノ・カネの集中がもたらした産業の発展ですが、
それを支えたのが建設技術の高度化でした。
新幹線などの鉄道や高速道路の建設など
交通網の整備、都市での高層ビルの建築など、
建設技術開発の高度化によって社会資本の整備がすすめられたことで
産業の基盤が確立されたのです。
そのような国際的にも高いレベルの建設技術の開発が可能になったのも
官民一体となった談合システムの構造のもとで
大手建設業者に相当程度の利潤がもたらされていたからこそです。
その利潤が潤沢に技術開発資金に振り向けられ、これが
建設技術の高度化につながったのです。
会計法の建前どおりに入札における価格競争が行われ
受注業者は、最低限の利潤しかえられないという状況であれば
このような開発コストを捻出することは、困難だったものと思われます。
東京など日本の都市に立ち並ぶ高層ビルも、建設技術の進歩がもたらしたものなのです。
そういう意味で、建設産業への富の配分は、高度経済成長を支える
大きな機能を果たしていたといえるのです。


②地域の経済振興&中小企業の保護・育成
談合システムは、高度経済成長によって生じた富を
都市部だけではなく、地方にも振り向け地域の経済振興を図るという機能を
果たしていました。
傾斜生産方式による基幹産業へのヒト・モノ・カネの集中に伴って
集団就職、出稼ぎなどで大量の労働力が農村部から都市部へ移動しました。
それによって地方の経済が疲弊して過疎化するのを防ぐうえで大きな役割を果たしたのが公共工事による地方への利益配分でした。
工事を行うこと自体による経済的波及効果より、むしろ重要だったのは、
地域の雇用促進や税収確保でした。
それは談合システムによって受注業者が安定的な利益をえられるからこそ
可能だったのです。
このような地方への富の配分の恩恵にあずかったのは、地方の中小企業でした。
中小企業の保護・育成も、談合システムが果たしてきた重要な役割でした。
発注者側でも、ひとつの工事を分割発注したりして中小企業の受注を可能にしたうえ、中小企業のみを入札指名するというような方法を活用して
中小企業の保護を図ってきました。


③天下りによる公務員の待遇の補填
戦後の経済復興と高度経済成長を支えた大きな要因が
有能な官僚による政策立案と実行でした。
官庁がそういう人材を確保するためには、それなりの待遇が必要ですが
公務員給与は、戦争によって疲弊した経済状況の下で
極端に低く抑えられていました。
また、官僚組織として合理的なピラミッド型の人事体系を維持することに
関しても、年功序列制、終身雇用制の日本型経営が主流で
退職した公務員が個人で再就職先を確保できるような労働市場の流動性が
乏しい日本では、官庁組織をバックにした官から民への労働移動
すなわち「天下り」がもっとも合理的な方法だったのです。
それを公共調達の分野で制度的に支えたのが官民一体となった談合システムでした。談合システムは、少なくとも高度経済成長期までは、
法律上公務員に与えられる待遇の低さを補填し、
一定レベルの経済的保障を与えることで官僚の世界に有能な人材を
確保することに関して、一定の機能を果たしてきたのです。

④政治コストの負担
公共工事によって受注業者に提供される利益の一部が
国や地方の政治家に還元されてきたことも、そのことの是非は、
ともかく、一定の社会的機能を果たしてきたことは否定できません。
談合システムによって経営上のリスクから免れ、安定的な受注と利益が
確保されている公共工事の受注業界は、その中の一定の割合を
公式・非公式の政治献金・選挙資金として議員や首長等の政治家に提供してきました。
戦後、民主主義が社会の価値観の中心に据えられ、国も地方自治体も
少なくとも建前上は、選挙で選ばれた政治家によって運営されることに
なりましたが、日本の民主主義は、個人中心の政治献金によって
政治コストを賄うほどには、成熟していませんでした。
それに代わって、国・地方の政治コストを負担してきたのが
談合システムによって安定的な受注と利益の確保が可能であった
公共工事の受注業界だったのです。

💎公然と行われた違法行為(談合システム)
公式の入札・契約制度を補完するだけではなく
一定の社会的・経済的機能をも果たしていた談合システムは、
少なくとも高度経済成長期までは、日本の社会にとって
「半ば公的な性格」をもったものでした。
そのような性格に対応して、談合のやり方も「半ば公然化」していたのです。
地方の建設業者間での話し合いは、建設業協会などの正式に認可を受けた
業界団体の場で開かれ、大手ゼネコン間でも業者間の新睦団体の場などで
会合が開かれて、発注に関する情報交換と受注予定者の決定が行われて
いました。少なくとも業界内部においては、談合システムの存在を
認識していないものは、ほとんどいないほど公然の違法行為だったのです。
その当時も、刑法には談合罪がありましたし、
独占禁止法の規定も談合に関しては今とほとんど変わっていませんが
そのような規定に基づいて談合に対する制裁・処罰が科されることはほとんど
なかったのです。
刑法の談合罪が適用されない原因としては、談合罪の処罰規定が
昭和16年に刑法に導入されたとき、
帝国議会での審議をえて、
「公正なる価格を害する目的」「不正の利益を得る目的」
のいずれかの主観的要件を充たす談合だけが処罰の対象とされたことです。
談合の中に「犯罪になる談合」と「犯罪にはならない談合」の二つがあるという事が認められたのです。
犯罪に当たる談合の典型的なものが
「不正の利益に当たることが明らかな談合金の授受を伴う談合」です。
何のシステムもなく談合を行うとすれば受注をあきらめる業者への見返りとして談合金の授受などが必要になります。
談合システムとは、その工事の受注に最もふさわしい業者を業者間の話し合いで決めるという事ですから、通常は、談合金の授受は伴いません。
つまり、処罰される恐れのない談合として理想的なものだったのです。
また、「公正なる価格」というのは、「競争が行われた場合の価格」だというのが判例ですが、談合システムが安定していると「競争価格」というのが
そもそも存在しないので、「公正なる価格を害する目的」での
談合罪の適用も容易ではなかったのです。
「犯罪にならない談合」というのが、認められたことで
警察もこうしたシステムによる談合は談合罪で摘発しない方針でした。
建設業協会で行われた談合のあとに開かれる懇親会の席に
地元の警察署長が招かれるということさえ珍しくなかったのです。


💎生じ始めた弊害(談合システム)
昭和40年代後半の石油ショックに続く50年代の長期不況の到来により
日本の高度経済成長は終わりました。
そして、バブル経済の崩壊によって右肩上がりの成長も終焉し
デフレ経済を基調とする経済情勢になりました。
それとともに、公共調達が「富の分配システム」としての機能を果たす時代も終わり、それまで談合システムが果たしていた機能は、逆に大きな弊害を
もたらすことになりました。
インフレ基調の経済では、前年ベースの単価で設定される予定価格は、
受注業者に厳しい経営努力、合理化努力を求めることになりますが
デフレ経済では、逆に予定価格が業者にとって旨味(うまみ)のあるものに
なります。
その分、入札における価格競争が行われないことによる非効率性、不合理性が
顕著になります。
また、規制緩和が進められ、経済官庁の許認可権も大幅に削減される中で
官僚の社会的役割は大きく変化して、その価値は、相対的に低下しました。
長期化したデフレの影響で公務員給与の割高感が目立つようになり
現在では、法的に公務員に与えられている待遇の手厚さが問題とされ、
天下りによる公務員の待遇の補填を正当化する余地は、なくなっています。
しかし、自分の力では、退職後の再就職が期待できない公務員にとって
発注官庁から受注業界への天下りができるかどうかに老後の生活がかかっているため官庁側は、その先を確保しようと必死の努力をします?
どんな内容の努力.....?
中高年の雇用情勢が厳しさを増す中で、
民間企業と公務員との退職後の再就職の格差が国民に強い不公平感を
もたらすことになります。
公共工事の受注業界による政治コストの負担も
55年体制のもとで政治的安定が維持されていた時代には、
大きな批判を受けることはあまりありませんでしたが
経済が低成長に移行する頃から、政治と業界の癒着として
問題にされることが多くなって行きます。
そして、1990年代に入ってからは、自民党分裂による政治の流動化
小選挙区制導入などの政治情勢激変の中で
政治コストの負担の形態が変わっていきました。
政治家が談合システムに介入して、
具体的な工事受注の見返りとして建設業者から資金提供を
受けることが多くなったのです。
こうした性格の事件の摘発が相次ぎ、その都度に政治資金規正法が改正され、
資金提供に対する罰則も強化されたのです。
小選挙区制の導入に伴って政党助成金が導入されたこともあって、
かつてのような公共工事受注業界による政治コストの負担は
実質的に正当化の根拠が失われていきました。
その一方で、不透明な談合システムを背景とする政治献金、選挙資金の提供
が行われる構図は変わらず、それによって政治が歪(ゆが)められるという弊害が一層大きくなったのです。
地方の経済振興という政策目的も、経済構造改革の流れの中で
地方財政の自立化の方向性が顕著になり、公共工事の発注を地方への利益配分と捉える考え方は、ほとんどとられなくなっていくのです。


💎「隠蔽(いんぺい)」を生んだ制裁強化(談合システム)
談合システムは、その後の日本の経済社会の状況変化によって
急速に実態に合わなくなり、弊害の方が大きくなって行ったのです。
そこで必要な事は、これまでのシステムが、
もともといかなる社会的・経済的機能を果たしてきたものなのかを明らかにして、それが、社会経済情勢の変化に伴ってどのように実情に合わなくなって弊害が生じているのかを確かめた上で、日本の公共調達システムのあるべき姿を再検討することだったのです。
日本の公共調達で維持されてきた談合システムは、
戦後の経済復興と高度経済成長期の経済情勢の下での調達の実情に適合する
ひとつのシステムでしたが、それはある意味、特殊な状況でのみ妥当する
「仮説建設」のようなものだったのです。
その場しのぎ的な仮設建築として使う事はやむをえなかったとしても
そういう特殊な状況が終わった段階で撤去すべきだったのです。
高度経済成長が終わった段階で、談合システムという仮設建築を撤去して、
本格的な建築物、すなわち、
公正な競争による適正かつ効率的な公共調達制度とその運用を確立して
法令と実態の乖離を解消することが必要だったのです。
しかし、実際には、解消の動きは全く生じませんでした。
その一つの原因となったのは、昭和50年代以降、徐々に進んで行った
談合に対する制裁強化の動きだったのです。
経済成長期には、非公式の談合システムは、一定の経済的・社会的機能を
果たしていて、その一環としての個別の談合行為に関わる事も公共工事に関する一つの「仕事」であり、決して「犯罪行為」ではありませんでした。
刑法の談合罪の適用も入札参加者間で談合金として分配する事案に限られ
業者間で慣行的に行われている談合自体には、ほとんど摘発さることはなかったのです。
しかし、「自由競争の促進を目的」として競争制限行為を禁止する
「独占禁止法」にとって、会計法などで「入札における競争」が制度上予定されているにも関わらず、実際には、「入札での競争が全く行われていない」
ことを前提にしている「談合システム」は、容認できない違法行為になるのです。
その独禁法に照らして、談合システムを「違法」とする動きが
昭和50年代以降徐々に生じてきました。
そして、平成に入って以降は、それが大きな流れとなり
最後には、ほとんど制裁強化一辺倒に偏っていきました。
談合システムの形式上の違法性ばかりが強調されるために
その違法行為に関わっている側は、談合システムを極力隠蔽しようとしたのです。その結果、実態が明らかになることが妨げられてきたのです。
そのような談合に対する制裁強化一辺倒の動きの原動力となったのは
独占禁止法の運用機関である公正取引委員会の存在でした。
奇跡の経済復興を遂げた日本の戦後の経済史の中で
公取委という官庁は、特異な生い立ちを歩んできました。
その中で生じた日本の独占禁止法の歪みも一因となって
談合システムの問題は、不幸な歴史をたどることになったのです。


💎法令遵守が市場をダメにする⁈「証券取引法」
市場の実態に即した柔軟な法適用ができないのでしょうか?
最大の理由は、法執行体制を支える人材が決定的に不足していることです。
その背景には、「証券取引法」が長らく日本の証券市場のルールとして
ほとんど機能してこなかったという歴史があるのです。
日本では、もともと、株の世界というものは、危ないもので普通の人は、
手を出すものではない、というような見方が根強く
株に金をつぎ込む人間というのは、「バクチ打ち」のように
見られていました。
そういう「バクチ打ち中心の証券市場」では、
市場の公正さとかルールというものは、ほとんど意識されませんでした。
そのころは、プロの投資家にとって、人よりも早く正確な情報を得ることが
相場に勝つ最も上手なやり方でした。
市場では、「早耳筋」という言葉が当たり前のように使われていました。
人よりも早く内部情報を得て売買するプロもいれば、
内部情報は得られなくても経験と勘で「丁半バクチ」の勝負をするというやり方もあって、情報の公平性とか情報開示の正確さなどということは
あまり問題にされていませんでした。
投資の損益は、偶然に左右される要素が大きかったのです。
市場では、相場操縦、馴れ合い売買などの行為も横行していましたが
それもプロの投資家のテクニックの一つだと見られ
罰則が適用される例はほとんどありませんでした。
少なくとも昭和50年代までは、証券取引法という法律の役割は、
株の事をよく知らない素人の投資家が、そういう「危ない証券市場」に
近づいて不測の損害を被ることがないように
一般投資家を保護することと、不当な営業活動によって一般投資家に
損失を与えることがないように証券会社を監督することが中心でした。
アメリカの影響を受けて制定された法律故に、証券市場のルール違反を
規制する罰則が設けられてはいましたが
肝心の市場の実態とは大きく乖離していたのです。
昭和60年代に入ってからのバブル経済で日本の証券市場は、大きく拡大しましたが、この時も、企業内容の開示、市場の公正さのルールは、あまり、
重視されず「バクチ場」的な証券市場の性格はほとんど変わりませんでした。
バブル経済の崩壊後は、その後遺症で証券市場も長期低迷が続きますが
21世紀に入るころから、金融ビックバンによって金融の自由化、市場化が
劇的に進みました。
証券市場を通じての直接金融も活発になり、東証マザーズ、大証ヘラクレスなどの新興市場が開設され、ベンチャー企業の証券市場からの資金調達も盛んと
なったのです。法の
「企業価値」を計る唯一の客観的基準は株価ですが
その株価が形成されるのは証券市場です。
現在の日本では、証券市場の果たす経済的、社会的機能が
昔とは比較にならないほど大きくなり、それに伴って市場での公正な株価形成
を妨げる不公正取引の積極的な摘発が求められています。
ところが、摘発を行う人材が極端に不足しているために
証券市場の実態に法令の執行体制が追いついていないのです。
1992年に証券取引等監視委員会が設けられましたが
そのスタッフは、財務省や国税局などからの出向者の寄せ集めでした。
証券市場の公正を確保するための法の運用をほとんど経験してこなかった
日本においては、法を執行するための人材と体制が極めて不十分なのです。
こうした状況の中で「法令遵守」的な考え方で行われる劇場型捜査と
それに単純に「法令遵守」的に反応するマスコミ報道によって
日本の証券市場の公正さはさらに大きく損なわれる結果になるのです。


💎法の失敗が招いた耐震強度偽装事件(建築基準法)
耐震強度偽装事件では、建築されたばかりのマンションやホテルが、
震度5強の自信で倒壊の恐れがある「危険な状態」とされ、大きな社会問題に
なりました。
「今、地震が起きたらと思うと夜も眠れない」と不安に苛(さいな)まれながら、多額のローンを抱えているために転居もできずにマンションに住み続けている住民の事がマスコミで大きく取り上げられました。
この問題の核心は、危険な建物の存在が明らかになったことではありません。
建築したばかりの建物が、「違法建築」であることを理由に使用禁止となり
一部は、取り壊さなくてはならなくなってしまったことなのです。
建築基準法で定めた耐震基準を満たさず使用禁止にせざるえない建物が
建築されてしまったこと、それを防止できなかったという「法の失敗」が
最大の問題なのです。
この「耐震基準」は、日本の建物全体において維持されているわけではありません。
現在の基準が定められた1981年以前に建築された建物には、
今回問題となった建物より耐震性が低いものも多数あります。
もし、地震で倒壊する恐れのある危険な建物の全てが問題というのであれば
日本中の多くの建物の使用を禁止にしなければなりません。
また、この事件では、一級建築士が構造計算書の耐震強度を偽装するという
露骨な違法行為を行ったことが問題となりました。
しかし、耐震基準を満たしていない、地震で倒壊する恐れがある建物が
建築される原因となりうるのは、こうした行為だけではありません。
耐震強度の構造計算は、あくまで一つの計算方法であり
実際の地震による倒壊の危険は、敷地の地盤などの自然条件によっても
異なります。
また、設計上は、問題がなくても、図面通りに施工しない手抜き工事の
危険性もあるのです。
これらの点も含めて、建築基準という「法令」が耐震性の確保のために
どのような機能を果たしてきたのかを考えてみる必要があるのです。
はっきりと言えることは、この法律の機能とそれに対して、
世間一般の人が持つ認識とがあまりにズレていることです。
建築基準法では、地方自治体や民間建築確認機関による
建築確認という手続きで耐震基準を確認することになっています。
マンションを購入する人も、ホテルを建設する人も
建築確認がなされているから大丈夫だと信じていました。
ところが実際には、少なくとも耐震性能に関する限り、
建築確認の手続きは法が定めた基準を担保する機能をほとんど
果たしていないのです。
つまり、建物の安全性は、建築基準法という法令によって
確保されているのではないのです。


💎安全を支えているのは、「信用」と「倫理」です。
建築基準法の内容は、
「建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準」を
定めているにすぎません。
その最低基準が満たされているかどうかを自治体の建築主事が
着工前に確認するのが建築確認制度です。
この法律が制定されたのは、1950年。戦後復興で全国に
多数の建物が、建築されるにあたり、
建築士が設計を行っていることを前提に、行政は、事前に
最低限のチェックのみをするという趣旨で設けられたのが
建築確認制度です。
しかし、建築物は、長期間に渡って使用されるのに
この制度は、自動車の車検制度などのように継続的に
安全性を確保する仕組みにはなっていないのです。
建築確認制度には、それを受けなければ建築工事ができないという効果しかなく、工事が完了した後にどのような状況になっているかはほとんど問題にされません。
また、建築基準の変更があった場合、新基準が既に建築されている建物に
さかのぼって適用されることもありません。
この制度がもともと想定したのは、木造の一戸建てのような単純な構造の建築物でした。
経済の発展に伴って、建築技術も飛躍的に進歩し、建築物も高層
大規模化して、複雑で多様な構造のビルが建築されるようになり
設計を担当する建築士個人と建築確認を行う建築主事が安全性をチェック
することなど到底不可能なことになったのです。
つまり、大規模建築については、安全性を確保するための制度は
形骸化してしまったのです。
建築確認の業務は、1998年に民間に開放されて、地方自治体で
建築主事だった地方公務員の「天下り」を多数抱える民間建築確認業者が
多数設立されました。
しかし、もともと建築確認という手続き自体が大規模建築については形骸化し
単なる「形式的なチェック」にすぎないものとなっていたのですから
その業務を自治体が行っても民間会社が行ってもその実態は変わりようがありません。
にもかかわらず世間一般では、現在のような高層化、複雑化した建築物についても、安全性を確認する役割を果たしているように誤解されてきました。
一般の人の認識と実態との間に、大きなギャップが生じていたのです。
しかし、建築確認が形骸化していたからと言って、
日本の大規模建築物の安全性が低かったという事ではありません。
多くの建物が倒壊した阪神淡路大震災のような極端な場合を除けば
日本の建築物の安全性に重大な問題が生じることはなく
全般的には、高い水準に保たれてきたといえるでしょう。
それは、設計者、施工会社としての信用が大切にされて
技術者の倫理観もしっかりしていたからです。
建築基準法という「法令」や建築確認という「制度」ではなく
「会社の信用と技術者の倫理」が日本の建築物の安全性を
支えてきたのです。


💎新耐震基準の導入(建築基準法)
この基準は、過去の建築物には適用されず、以降のものだけに適用されることになったため、最低限の基準ではなくなったのです。
最低限の基準であれば絶対に満たさなければならないという認識で
設計・施工が行われ、設計者や技術者の倫理観も十分に働くはずです。
しかし、基準が満たされていない建築物が実際に多数あるということになれば
絶対という認識は希薄になってしまいます。
建築確認が単なる形式チェックにとどまっている実態は変わりませんでした。
複雑な構造計算によって算出される耐震強度が正しいかどうかなど
建築主事による建築確認ではほとんどチェックできないので
建築士が行う構造計算を信用するしかなかったのです。
1990年後半の建築不況の中、企業間での価格競争の激化によって
極端な安値受注が横行し、その結果、工事の質を落として
採算を確保しようとする手抜き工事、粗漏(そろう)工事が横行していると
言われています。
設計の段階で耐震基準を充たしていても、施工段階で
強度不足の建物が建築される危険性が高くなっているのです。
建物の安全性を確保するためにシステム全体に綻(ほころ)びが生じる中で
一人の建築士の露骨な違法行為が起こったのです。
これが耐震強度偽装事件と言われるものです。
独禁法の運用強化によってかつての「露骨」な談合が影を潜めたのと同様
この露骨な違法行為はなくなると思います。
しかし、それは耐震強度不足の建物が今後も建築されるのを防止することには
必ずしもつながりません。
建物の安全性を確保することに関して建築基準法という「法令」がいかに
実体と乖離していたかを再認識し、建物の安全を確保するシステム全体を見直ししていかなければ、根本的な問題解決にはなりえないはずです。
法令遵守の徹底だけで問題を解決しようとする動きは、
日本の国の将来に重大な危険を生じさせていることになるのです。


💎不正車検事件の本末転倒
2005年鉄道用保守作業車の問題も、法令に違反した人や会社を
処罰するという単純な法令遵守の発想だけでは解決しない問題です。
保守作業車とは、鉄道線路上で保線作業をするための車両です。
作業場所間の移動には、線路上を走るより公道を走行する方が安全で
効率的なので公道の走行機能も備えられているのです。
この事件は、鉄道各社から公道を走る際に大型車免許の必要がない
車両重量8トン未満の仕様で保守作業車を受注していた供給業者が
重量が8トンを超えていたのに、車検を受ける際に一部の部品を
取り外すなどして過少申告して、8トン未満者と偽って車検証を取得した
というものです。
単純にとらえれば、メーカー側が偽装行為を行って不正な車検証を取得する
という「露骨な違法行為」を行って鉄道会社に保守作業車を売りつけたという事件で、違法な作業車を購入させられた鉄道会社は「被害者」です。
しかし、実はそう簡単な話ではないのです。
問題なのは、このような不正行為が行われた原因です。
実際に摘発され処罰されたのは大手業者3社と担当者だけでしたが
他のほとんどの会社も同様の不正行為を行っていたことで
国土交通省から警告などの行政指導を受けたのです。
このような違法行為が業界全体で行われていた背景には何か構造的な問題が
あるはずです。
そもそも鉄道会社側はなぜ「車両重量8トン未満」の仕様で発注したのでしょうか。
そこには、保守作業車が公道を走る場合、「8トン以上」であれば
運転に大型免許が必要になり、鉄道会社側にすればそのためだけに
大型免許取得者を配置することが困難という事情があったのです。
それゆえ鉄道会社側は、そもそも無理な仕様で保守作業車を発注し
ほとんどのメーカーが不正車検を行う事に繋がったのです。ではそういう無理な要求をした鉄道会社側が全面的に悪かったかというと
必ずしもそうとは言えません。
主として線路上で使用される特殊車両の保守作業をごく僅かな区間だけ
公道で運転するのに、一般車両と同じように大型運転免許を要求される
ことが、鉄道会社側の作業員編成の実情に合わない面もあります。
そのため鉄道会社側が「重量機械を搭載しながら普通免許で運転可能な8トン未満」という物理的に困難な仕様で発注することにつながったのではないかと思われます。
この不正車検が表面化したのは、
ある鉄道会社から契約に定められた納期・仕様などを守るよう厳しい
「法令遵守要請」を受けて反発した下請け会社が、その鉄道会社が使用する
保守作業車に関するこうした「違法行為」を国土交通省に告発したことが
契機だったと言われています。
保守作業車というのは、ほとんど線路上で作業をしているので
公道を走行する距離は、ごくわずかです。
その間の公道上の安全を確保するための特別措置を講じた上で
普通免許による運転を認めることの方が合理的なようにも思えます。
しかし、車検は、国土交通省所管の道路を運送車両法の問題
運転免許や公道走行の安全確保は警察庁所管の道路交通法の問題となり
問題解決は容易ではありません。
事件が表面化して以降、不正車検は行われなくなったものの
保守作業車は、大型免許がなければ運転できなくなりました。
その結果、保守作業車の運転手の確保に困難をきたし、
鉄道保守作業が遅れる事にもなりかねないという事です。
道路の安全を確保することを目的とする道路運送車両法を現状のまま
遵守させようとしたことが、大量輸送機関である鉄道の安全に不安を
生じさせかねないという本末転倒の事態を招いた例といえるでしょう。


💎フルセット・コンプライアンス
日本では、単純に法令遵守を徹底しても
世の中で起こっている様々な問題を解決することにはつながりません。
法令の背後にある社会的要請に応えていくことこそがコンプライアンスであると認識してその観点から組織の在り方を根本的に考え直してみることが重要なのです。
多くの人にとって社会とは、これまでは会社中心でした。
会社の利益に貢献することがすなわち社会の要請にこたえることでした。
そして、その会社自体も、戦後の高度経済成長期までは
経済官庁などの行政指導によりコントロールされた経済社会の枠内に属していました。
こうした何重もの構造が定着していたので、個人が社会の要請に直接
向き合う事はほとんどありませんでした。
官庁も企業も社会の要請は何かという事を自ら考えなくてもすんでいたのです。
しかし、そんな状況は変化して、規制緩和の流れで
自己責任の原則に基づいて自由に事業活動を行う事が保証された企業は、
自ら意思決定することを求められるようになりました。
つまり、企業も、企業に属する個人も、社会的要請に直接向き合わなければ
ならなくなったのです。
従来の短絡的な法令遵守の徹底とは異なる
「社会的要請への適応(コンプライアンス)」という考え方です。
社会の中で組織が存在を認められているのは、その組織が社会の要請に
応えているからこそです。
それに反する行為が行われた場合に、企業の事件や不祥事に繋がるのです。


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