新年(なのに)思ったこと。

記事
コラム
年始から、少々物騒な話をします。

 実家にて、テレビのニュース映像を眺めていた時の事なのですが、70代後半の親族と戦争の話になったんですよ。(その親族は、終戦時は幼少期でした)

その親族が語っていたのは、
★日本は自給率を上げなければいけない。
(物資や石油等の輸入を止められて仕方なく戦争となったのだ)
★周辺国から自国を守るために防備をちゃんとしなければいけない。
(周辺国から攻撃される可能性がある)
というものでした。それに対して、私も軍需産業が~とか代理戦争が~といった、どこかで見知った言葉を返しつつも、全体的にモヤっとしたんですよ。

そのモヤの正体は、以下の2点のような気がしました。
①話していた内容が、真実ではない感じ。(作られたものに感じる)
②在るべき視点が無い。

それらを紐解くとこんな感じになりました☟

①自給率や防備等に関して、昭和90年代頃のTV等のメディアでそのような論調が多かったことを思い出しました。つまりは、メディアからの情報を、そのまま話していることに違和感を感じたんだと思います。(私もそれらを信じていた時期がありました。私が親族に返していた言葉も、そういった部類に思えました)それら全て本質逸らし、刷り込みといった感覚がして、モヤっとしたんだと思います。

②戦争に巻き込まれた庶民としての意見が無い。という点が引っ掛かりました。実際のところ、その親族の父親は戦死していて、戦後の生活が大変だったことからも「戦争=悪」という認識はあるのですが、他国に意識が向いていて、自国の国民への対応に関しての意見(批判等)が無かったということにモヤっとしました。

これは、近年のコロナ騒動を経験したからこそ気付いたことなのですが、国や組織における大きな動き(流れ)が生じる時、

A.推進(扇動)した側
B.推進(扇動)された(巻き込まれた)側
C.推進(扇動)されなかった(反対した)側
というものが存在し、
A+B=大多数
C=少数
という構図が形成され、Cは排除や非難をされる。例えば、コロナ禍ならば反ワク、戦争時ならば非国民、としたレッテルを貼られ、流れを妨げる存在として扱われる。(だから、Cになるには抵抗が生じるんでしょうね。というか生存本能が刺激されているのかも)

 この事象が生じる上で鍵となるのがBなのですが、Bはその自覚を持っていない場合が多い気がしています。

BはAによる被害を受けても、被害者とは自覚せず。BはCに加害をしたとしても、加害者と自覚せず。という傾向があると感じています。(付け加えると、自覚はしていないが無意識に両方を持っていたりもするので、どちらも見ないようにしてしまう→その結果(無意識の)逃避行動により事実から目を背け、誰か(外側)のせいにしてしまう。という行動をとりがちです)

といっても、Bが悪いと言いたい訳ではなく、自覚がないと同じことを繰り返す。という事に気付いて欲しいなぁと思います。

繰り返して、繰り返して、繰り返した分だけ大きくなって、いずれ自分に返ってくる。それが嫌だったら気付くしかない。(因果応報というやつですね)

繰り返さないことで、救われる人がいる。(多少の犠牲は仕方ない。なんてことを思っているとしたら、それは加害者の言い分だと気付いて欲しい

そして、なによりも、繰り返さないことは、自分を救うことになるんです。

(つづく)

SORA
※予想外に長くなったので、記事を分けます。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す