続・善悪について考える

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コラム
前記事を書いてからも、色々と気付きがあったので続編です~。内容的には以下の2つ(に絞りました)。

①善=正しい?(世界の歪みの原因?)
②悪≠罪(悪は罪とは限らない)

先ずは①ですが、「善」を検索すると、最初に出て来るのが「正しい」なんですよ。前記事を書いてからだと、そこに妙な違和感があったので、軽い気持ちで「正」という語源(漢字の成り立ち)について調べてみたら‥これまた意外なことが書かれていました☟

「一」は城壁で囲まれた都市、「止」は足あとの象形文字(進むとか行くを表しているらしい)。この2つが合わさると、城壁に囲まれた都市に向かって行進している様、らしいです。(征服にも正の文字がありますね。正義とか正当化といった言葉も政治的なところでちらほら見かけますね。※「政」にも正が入っていますし‥)

善って、そんな意味も含んでいるの?と思いませんか?
ちなみに現在(前記事を書いてから)の私の中での善悪の認識は、
・善=知ろうとする、公平であろうとする様
・悪=知ろうとしない、不公平である様(コソコソ系)
といった感じになっていたので、少々混乱があり、もしかしたら、どこかのタイミングで意味が変わったというか、変えられてしまったんじゃないか?とも思いました。

根本の小さなズレが、後になって大きなズレを生じさせる。善悪に纏わる世の中のアレコレを思い浮かべながら、そう思ったことを否定できない感覚になりました。

そんな疑問を残しながら、その歪みの現象化の一つなのかもしれない、次のお題、②悪≠罪(悪は罪とは限らない)について書こうと思います。

前記事の余談で「悪の起源は人間の無知である」とギリシャの哲学者が言っていた。と書いたのですが、この言葉に抵抗を感じる人、きっといるだろうなぁと思いました。(何故なら私も場合によっては感じるので)

・あなたは悪である。
・あなたは無知である。

誰かにそう言われたら、イラっとしませんか?
『はぁ?そういうあんたはどうなのよ?』
『バカにされている?』
『だったら分かるように説明しろよ!』等々。

抵抗を感じるのは、「悪」や「無知」という言葉に、負のイメージ、負の感情が紐づいているからです。例えばこんな風に☟

★無知=悪、恥、罪
★「他者=善」→「自分=悪」(罪悪感)

言われたくないんです。思われたくないんです。
だから抵抗します。自分を守る為に、言って来た相手に攻撃的な態度を取ってしまう時もあるでしょう。

ちなみに、★は全て思い込みです。
これらの思い込みにより、善への執着悪に思われたくないという怖れが生じ、守りの反応をしてしまいます。

みんな無知であり、みんな悪の部分を持っている。「無知」は当然であり必然。それと同じくらい「悪」も当たり前に存在している。それぐらいの認識で良いのだと思います。

また、悪は「罪」とは限りません。その証拠に、悪の起源(無知)を元にした行動には、笑って済まされることが多くあります。

例えば、小さな子どもが(大人が認識する)悪いことをしても、知らないんだから仕方ないよね。○○な理由でやってはいけないよ。として、大抵の大人は強く責めたりしませんよね?
しかし『無知』や『悪』に対して負の感情を持っている大人に限り、子どもを激しく責め立てることがあります。恐らく過去に、知らないことを恥だと思わされたり、悪いことをした時に理由も教えられず罰(✕)を与えられたりしたんだと思います。(★の思い込みを持つ人が、過去、周囲に居たんでしょうね。)

悪にはグラデーションがあります。罪に問われるまでに猶予もあります。(一人で楽しむだけ、自分だけの悪事なんかもありそうです)周りの人が笑って許してくれる内に気付いて辞めればいいんです。他者や社会に大きな被害や損害を与えてしまう前に気付くことが大切です。

自分の中の悪(偏った)の部分にも、善(公平)の意識で向き合いましょう。自分の中の悪を見ないようにする人、自分の中の悪を否定する人は他者にも同じようなことをします。それは、本来の善ではないと(私は)思います。

主張や意図を(双方、互いに)明らかにして、肯定し、公平にジャッジする。

善悪とは、そんな感じで付き合っていきたいですね。

SORA

※偽善という言葉は、悪(と決めつけられた人)が善(善人だと思い込んでいる公平さを欠いた人)に対して放った言葉なのかな~?(俺の話を聞け~的な。あんたこそ偽善じゃねぇか!つって。)

※善悪が時代や場所によって、コロコロと簡単に入れ替わったりする理由も、歪みが根本にあるからなのかもしれませんね。勝ちは正義、負けたら悪とかね。
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