善悪について考えてみた

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 これまで、光と闇について考えたことはあったのですが、善悪について考えたことが無かったなぁ、と最近思ったので、ちょこっと書いてみようと思います。

「悪」について検索してみると、善の反対。善の欠如。と書いてありました。

漢字の成り立ち(語源)ではどうかな?と調べてみたら、「亜」は建物の土台や、お墓を上から見たところ。その下に心があるので、心がつっかえるとか、お墓に対するアレコレから、良くないイメージといったことが書いてありました。※その他諸説あり。

う~ん。いまいち掴みどころがないなぁ~ということで、悪については早々に切り上げて、「善」について検索してみると、多くの人が是認する行為、社会規範に沿ったもの、と書かれてました。また、語源について調べてみたら、そこには大変興味深いものが書かれていました。

「善」の漢字に在る「羊」は「生贄」を意味していて、双方が羊を持ち寄り、神のもとに発言する(裁判的な?)といった感じらしいです。

これを知った瞬間に、な・る・ほ・ど~!と妙に納得しました。

実は最近『(無自覚に)利己的な要求を他者にする人』に遭遇しまして、その体験もあったことで、善=公平感、悪=不公平感(一方的)、という印象を持っていたんです。

そう、「悪」には自分しかいないんです。※善との比較になりますが。

「善」のように、自らの大事な羊を差し出して、公平に意見を言い合うという事を「悪」はやりません。

そのような場には出ずに、自らは何も差し出さず、搾取(一方的に奪う)という形を取ろうとします。つまりは、その不公平さが「悪」だったりするのかなと。(悪事って、陰でコソコソやってそうですよね)

その一方、善にも生贄(羊)といった概念が存在していたことに衝撃を受けました。

ということは、つまり、善悪には「犠牲」が付きものなのかなと。

犠牲を出したくなければ、善悪を超える必要がありそうだなと感じました。
他者から奪う必要の無い世界を、一人一人が構築する必要がありそうですね

予想外に深い内容になったことに驚きつつ、以上となります!

SORA

※「悪の起源は人間の無知である」と、ギリシャの哲学者たちが言っていたらしいと知って、ちょっとうれしかったです(わかる~という共感)。そんな単純なものではないとも書かれていましたけどね(^-^;))

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