世の中を見回した際に、不意に寂しさを感じることがありました。
それが何なのかを考えた時に浮かんできたのは‥
こちらでした(笑)☝
時代劇で裁かれていたのは、権力(力)や、お金を持つ者が多かったと記憶しています。(お代官様、金貸し屋、番頭、お殿様も時折あった気がします)
力の使い方を間違った者に対して、それは間違っているよと指摘し、懲らしめる。勧善懲悪というシステムがあることを、時代劇は教えてくれていたように思います。
しかし、時代劇が地上波で見かけなくなった昨今。
・弱い者か悪い
・誰かのせいにするな
・それぞれに正義がある
・持つ者は、持たざるものを守る筈だ
・権力者に従えば間違いはない
といった事象を見かけることが増えました。
これらは、時代劇には無かった概念であると感じます。
時代劇には、「権力や欲を持った事により起こされた間違いを、権力や欲を超えた上位存在が懲らしめる。」という世界観がありました。
その世界観が日本人の中から無くなりつつある。
時代劇が地上波でほとんど観られなくなったことと、無関係ではないと思います。
外側の世界=内側の世界ですから。(故意か偶然かは関係ありません)
力と欲が起こす過ちは確かに存在する。
そして、それは自分の中にも存在する。
そのことを認識できますか?
認識出来るのならば、見えている筈です。
見えているならば、自分の中に上位存在(水戸黄門)がいる筈です。
SORA