ツインレイ…対応の違いから<ツインフレーム>についてだいたいわかってきました。

記事
コラム
私はあんまりこう言うことを言いたくはないのですが……。
なんでかわらわらと湧いてくるのです。

しかたないじゃないですか。

違うんだもん。

だからまぁ、詰まるところ、そういうことなのでしょう。


***

この記事で引用した私の7人目のツインフレームの彼女の話ですが、
「運命にすがって」生きている時点で、“己を放棄”していると言うことです。それこそ「ありの
まま」と真逆です。

https://coconala.com/blogs/2997019/412856

「親をビジョン化させたツインレイ」と「自分をビジョン化させたツインレイ」はツインフレーム枠です。

で、

親をビジョン化させたツインレイ
・ランナー・チェイサーにこだわる
・己の欲望や感情が制御できない(女性側の崩壊・辛さにこだわる)

→だからツインレイを追いかけている

なぜなら、親との関係で満たされなかったものをツインレイで満たそうとしているから。


自分をビジョン化させたツインレイ
・一見優等生に見える(その己のコンプレックスを乗り越えられていない)
・一見何かの理解があるかのように振舞っている=運命論(築き上げた外面・見た目やイメージの理想のようなものを捨てられない)

→だからツインレイと向き合いたくない(回避している)

なぜなら、己の見たくない一面(ありのまま・例えるならすっぴん・コンプレックス)そのものだから。


と言うことですね。たぶん。

また「己を生きられない=自分の人生に責任が負えない」から、
ツインレイプログラム、ミッション、統合のプロセス、ツインレイの7つのステージ
と言った他の何かに責任を負わせるような言葉が本人に必要になる。


もちろん、学びには段階があります。
本人の理解値で進むのです。
そう言う意味での段階と言うのは確かにあります。

だけど己の人生に責任が負えないから、プログラムと言った何かの言葉に責任を負わせる(逃げ道を作る)のは違います。
「ツインレイは究極・唯一無二・地球最後の学び」とか言ってるはずなのに、そこに【逃げる・諦める】の選択が存在すると思っているような、そもそもの矛盾に気がつけない場合です。


***

それが彼女のこの話に繋がるんですね。

「ツインレイの依存とニヒリズム」
・消極的ニヒリズム
・積極的ニヒリズム
・無関心的ニヒリズム
の3つに分かれると言う話です。

「ツインレイ女性が共依存・ツインレイ男性が回避依存」…言わば、これがランナー&チェイサーと呼ばれている所以にあり、結局のところ2人の関係は「依存にある」らしいです。
https://coconala.com/blogs/2997019/392176
ツインレイの依存とニヒリズム

回避依存の人も、共依存の人も、どちらも根源に『虚無』を抱えている。

虚無たる自分から逃避しているのが回避依存であり、虚無そのものであるため、共依存は誰かに価値を見つけることで寄生する。

つまり、回避依存と共依存の中心は『虚無』が存在し、その虚無ゆえに共依存と回避依存をしている状態にある。どちらも逃避にあるが、根源には『虚無』がある。対応の仕方が違うと言うことだ。
ニヒリズムの克服について

ニーチェさん的には、3種類のニヒリズムに対しての対応があって、ひとつは「なんかもうダメだ。何も信じられない・・・流されるように身を任せよう・・・」という生き方。これが消極的なやり方。たいてい皆、最後は自殺して終わる。(私の闇の刺客のうちの天使的思想だな。)——消極的ニヒリズム

2つ目は「従来の価値観よりも新しい価値観を構築していこう。」となる考え方なんだが、根源的には無意味であることなどのニヒリズムを受け入れる状態のまま、だったら新しい思想を生みだせばいいやっていう姿勢。これがなとり。従来のものに意味がないから新しく思想を構築している。(なとりが超人いわれる理由はここ。)——積極的ニヒリズム

3つ目は、絶望にも意味がない(消極的ニヒリズムを否定)、新しい価値を創り出すことも意味がない(積極的ニヒリズムを否定)。自分では何か行動を起こすこともないし、自分で何も考えない。そして他者に何か言われても「自分には関係がない。」と無視して生きていくっていう思想(闇の刺客の悪魔的思想)——無関心的ニヒリズム

...

~中略~ 自分には価値があると思い込んでいる(価値があるとは思込みに他ならない)場合、共依存や回避依存に傾倒するが、回避依存の場合、無関心的ニヒリズムに落ち着き、共依存の場合、消極的ニヒリズムに落ち着くように感じられる。
つまりニヒリズムの対応は『どれだけ自分を育て上げてきたのか』により結果が違ってくる。

自分が成立していなければ、虚無に対してどのように対応すればいいのかがわからないのである。共依存は自己がないから虚無に乗っ取られ、回避依存は虚無を自己が受け入れられない為、虚無と自己が分離する。


超人へと進む積極的ニヒリズムの人たちは、虚無が創造の根源だと知っている。自己を構築してきたツインレイたちにとって、虚無へ触れることは新しい始まりでもある。

無となれば創造をし練り直せばいいだけにある。それだけの自己を構築し、自己そのものが虚無を受け入れる姿勢があることが重要にある。

根源には『自分には価値がない』という視点をうけいれてきたことにある。これは『他者に価値がある』と考えてきた人たちにより構築されることにあり、未熟な私たちは従来は自分の価値を失うことでしか他者に価値を齎すことができない。

しかし、今回のニヒリズムによる虚無に触れた段階で『新しい創造』をする。そのとき、自分の価値と他者の価値による善悪思想から二極の循環思想へと組み替えていくことにより、私たちは新しい思想を手に入れていくことが出来る。


簡単に言ってしまえば、

ツインフレームは「既にある情報を使い回したような発言をしている」ってことですね。

それは本人が、新しい創造の段階には至っていないから。ということです。


なんか、あれですね。

「大人になりたくないんでしょうね」


***

親をビジョン化させたツインレイは「シンデレラコンプレックス」
ウィキペディア(Wikipedia)
シンデレラコンプレックス
―――――
シンデレラコンプレックス』(英: Cinderella complex)は、男性に高い理想を追い求め続ける、女性の潜在意識にある「依存的願望」を指摘したシンドロームの名称。童話『シンデレラ』のように、女は今日もなお、外からくる何かが自分の人生を変えてくれるのを待ち続けている、としてこう名付けられた。

自分をビジョン化させたツインレイは「ピーターパン症候群」
ウィキペディア(Wikipedia)
ピーターパン症候群
―――――
ピーターパン症候群(ピーターパンしょうこうぐん)またはピーターパンシンドロームとは、1983年にアメリカ合衆国の心理学者ダン・カイリーが著した『ピーターパン症候群』(原題:Peter Pan Syndrome)で提唱された通俗心理学の用語。「誰でも持っている問題の一種」であり、心理学・精神医学の正式な用語ではない。従ってアメリカ精神医学会出版の「精神疾患診断統計マニュアル」には記載されていない。ゆえに診断できない概念であるが、自己愛性パーソナリティ障害と重複することがある。

概要
大人という年齢に達しているが精神的に大人になれない男女を指す言葉。カイリーは著書の中で、ピーターパン症候群を「成長する事を拒む男性」とも定義している。また同作家は、これに関連して『ウェンディ・ジレンマ』(原題:Wendy Dilemma)も1984年に出版している。

に近いものを感じました。


……。
どうして私に、

私、私のフレーム彼女の話全部はわからない( ̄^ ̄゜)クスン涙

みたいな部分を理解させにくるんですか貴女方。


しかもちゃんと、私が理解できて例え話まで述べられてしまったじゃないですか。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す