“私はイブでありリリスなのです”…「女性にとってリリスは秘めた魅力であり、一般社会から追いやられ抑圧された女性性の一部」と言う話がありました。

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占星術のホロスコープのリリスとは 12星座別あなたの深い欲求

占星術のリリスの意味とは【秘められたエネルギー】や【欲求】

「リリス」とは、エデンの園に住んでいたアダムの最初の妻の名前と言われています。

リリスは、アダムが男というだけで女性である自分より上位であることに反発し、同等の地位を要求しました。

しかし彼女の求めは認められず、彼女は悪魔となったという逸話があります。

現代では、リリスは「男性を魅了する悪魔」というイメージが定着しています。

そんなリリスとは、占星術ではどんな意味があるのでしょうか?

女性は「母性」「メス性」というエッセンスでできていると考えてみましょう。

母性は、月であらわすことができます。

これに対して、その裏にあるブラックムーンとしてのリリスは、秘められたメス的な魅力=メス性をあらわします。

ところが、この社会では、母性は崇め奉られ称賛される要素である一方、

メス性という女性の魅力は、どこか「はしたないもの」として排除される傾向にあります。

つまり、リリスは一般社会から追いやられ抑圧された女性性の一部ともいえます。

アダムにとって、イブが理想の妻なら、リリスとは抗えない魅力を持った女性です。

また、後天的な要素によって汚されることのない衝動や欲求でもあります。

そういったことから、女性にとってリリスは秘めた魅力であり、それを発揮することで人々を魅了することが出来るポイントであるとも解釈できます。

それは何も恋愛に限ったことではなく、ビジネスにも活かせるでしょう。

また、リリスからセックスの好みも読み取ることができます。

欲求が癒され、秘められたエネルギーをうまく解放できると、性的な魅力として表れます。

その魅力は、なんだか分からないけれど不思議と惹きつけられるものとして表れ、本人は無自覚であることが多いようです。

つまり、私はイブであり、リリスでもあるのです。


だって私は「月」なのです。

月には、表側も、裏側も、あるのです。


***

私の7人目のツインフレームの彼女もHPで、

「ツインレイのアダムとイブとリリスの関係性」

について述べています。

私がリリス(アダムの最初の奥さん)の話をどっちで先に知ったのかもう覚えていません。
同時期だったのは確かです。


アダムとイブの神話を少々もう少し詳しく調べてみる必要性に駆られて、ツインレイとの関係性を考えてみた。

そのなかで、アダムは6日目に同様に生み出されたリリスという女性がいる。アダムにとっての最初の妻は対等性のあるリリスであった。しかし、その後、リリスはアダムの男性優位思想に反してはサタンの妻となったようである。

ゆえ、アダムの肋骨から生み出された女性がイブであり、ツインレイの関係性はアダムとイブに依存されるとして考えられた。
・・・
人類初の女性であるリリスは『男をたぶらかす』のか、それとも『女性としての自立的姿』なのか。このふたつの両側面のうち、リリスの話は悪魔的な側面が独り歩きしているような気がしてならない。

また、創世記のなかで語られているこの話も、私たちの『裏側』を話しているように思う。
・・・
この世は『アダムとイブ』の関係性が男女の関係性である。

私たちはアダムという神から生まれた女性という命を持っている存在がツインレイ女性として考えている。

当初も私はそんな感じで捉えていたんだが、実際のところ、アダムとイブの関係性は主従関係にある。

アダムに逆らうことが出来ない純粋なイブを求めているのがアダムである。女性に求められている、ツインレイ女性に求められていることが純粋性なのである。

しかし、女性のなかには『リリス』という自由奔放な気質もはらんでいる。ツインレイ女性はイブであり、リリスではないかと考える。

ツインレイたちは、先ずは『アダムとイブ』という関係性を構築し、次に『アダムとリリス』という関係性を構築する必要性があるということだ。

この段階を負うにも、ツインレイ男性であるアダムに問題があるとも考えることができる。リリスと対等に立つ覚悟のない状態となっているのがアダムである。男性性とは女性よりも強く——とかあるのかもしれない。私は男じゃないからわからんが、ツインレイ男性はツインレイ男性になりのプライドみたいなもんがあるんだろう。

その気質を支えることができるのがイブである。イブはアダムのプライドを守るだろう。

しかし、リリスはアダムのプライドをぶち壊すだろう。ツインレイ女性は『イブでありリリス』である。

純粋さからツインレイ男性をぶち壊していくのがツインレイ女性ということでもある。
・・・
私たちは『象意』である彼らと共に心を定義しているようなものだ。ツインレイとして結ばれるために——だ。

つまり、どの人物も『自分』である。そして、その断片である。

ツインレイ男性がアダムであり、ツインレイ女性がイブだと断定する必要性もない。私たちはひとりの人間のなかに『アダムとイブ、リリス』のすべてがそろっているのである。
・・・
どれも私たちであり、どれも私たちではないっていうこと。

どこかで一枚かんでいる自分はいるけど、でも、どれに当てはめて自分がどの役割かなんてどうでもいい。私たちはすべてを内包しているし、そしてすべてを凌駕しているときにツインレイと結ばれる。

ふたりが持つ神話は、自らが生みだせばいいだけの話で、私たちは多くの神話に縛られているけど、その束縛からも解放されるべきではないかとも思っている。

それは『心理に縛られない』ってことでもあり、そのために私たちは心理に縛られるべきなのである。



自分が誰なのかなんて誰も知らないし、誰もわからない。その答えを神話の中に探してもやっぱり私は『誰でもあるけど誰でもない』っていう結論になってしまったから、私はやっぱり『みんなであり、わたしである』という感覚になってしまっている。

この感覚がどこまで正解なのか、いつまで続くのかはわからないけど、だけど、私は『世界』であり『個』でもあり、役割もあり、そして役割のない自分をも持っている存在でもあり、どこまでも自由でどこまでも不自由な自分である矛盾をはらむ自己を抱いて生きていく。


ちょっと長いんでまとめまで途中を端折ってぶっ飛ばしてしまいました。
彼女の最終的な着地点の話を端折ってもよかったんですけど、まぁ、これも必要かなと思ったので入れました。

最後までくるともはや通り越して「すべてであり・すべてではない」みたいな話になってくるのですが……。

その辺は大元のお話です。
これはもう余談にして、本題に戻ります。


***

私が「女性」として生きているところでは、

女性は「母性」と「メス性」があり、
 ・母性は、月…イブ
 ・メス性は、ブラックムーン…リリス
として考えられる。
母性は崇め奉られ称賛される要素である一方、

メス性という女性の魅力は、どこか「はしたないもの」として排除される傾向にあります。

つまり、リリスは一般社会から追いやられ抑圧された女性性の一部ともいえます。


また、私の7人目のツインフレームの彼女の、
ツインレイ女性は『イブでありリリス』

と言う話で行けば、

私には昼の顔も、夜の顔もあるのです。

どっちかを否定してはならないのです。




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