ツインレイは魂で繋がっているからこそ肉体が離れていても平気で、それぞれに必要なことをしているのです。
記事
コラム
そこに、
「信頼」と言う「愛がある」
と言うお話でした。
この方はひっそりと生きていたいと言うご希望があるので、引用元の表記はしません。
私なりにまとめてあります。
ちなみに、こうも述べられています(原文のままではありません)。
あなたが「統合できていない」「一緒になれていない」と、そう信じているからこそそれがちゃんと現実化してる。
人生に“問題”はない。
「信じたい事」が現実化するのではなく「信じている事」が現実化する。
こう言うのを巷では「引き寄せ」とか言っているのでしょうか?
そもそも、宇宙には時間の概念はないそうです。
それでいけば人間の言う10年とか、関係ない訳です。
ちなみに、私の7人目のツインフレームの彼女もこんな記事を書いています。
全文は長いので、まとめに向かって必要分を引用します。
この記事の前提の、
「ツインレイ女性は共依存で、ツインレイ男性は回避依存」の話はこっちに引用してあります。
「ツインレイ女性が共依存・ツインレイ男性が回避依存」…言わば、これがランナー&チェイサーと呼ばれている所以にあり、結局のところ2人の関係は「依存にある」らしいです。
https://coconala.com/blogs/2997019/392176
途中を端折りましたが、~中略~はなくしました。
その代わり区切って引用します。
ツインレイの再会を早めたところでサイレントの二の舞にしかならない件について
ツインレイたちが望んでいることは『ツインレイの再会』なわけだがツインレイ女性は共依存でツインレイ男性は回避依存。
けっきょく、ツインレイ女性だけが再会を望んでいるような構造である。
ツインレイ男性も努力しているとか、そのような語りによってツインレイ女性に寄り添うようなこともできる。
が、私はあまっちょろい幻想や妄想により事実を見誤り、ツインレイ男性への期待を強くもつことのほうが大問題だと感じている。
希望と絶望は同時に存在する。
ツインレイ女性が再会を望んでいるとき、ツインレイ男性はツインレイ女性へ再会を望まない。
理由はひとつ。ツインレイ女性と再会すれば結婚になるだろうが、回避依存にとっての結婚なんざただの地獄である。
自分のプライベートに逐一文句を言われたり、自分のプライベートに介入されたり、自分の領域に踏み込んできて荒らしていく存在と結婚なんかしたくない。
けっきょく、ツインレイ女性(つまり私なんだが)は常に敵なのである。敵と結婚したい、化け物と結婚したい人など存在しないわけである。
おおいにツインレイ男性はここから逃げ出す機会があれば、ふたりの関係性から逃れていくだろう。
で、残された共依存側のツインレイ女性は「なんで捨てたのか」「きっと彼は戻ってくる」「彼と私はツインレイという運命だから」という幻想(というか、ただの妄想)を繰り広げていくが、実際に戻ってはこないと思われる。
どっちにも言えることは、なにか自分の中で変えていかなきゃ元の木阿弥だよってこと。
回避依存のツインレイが戻ってきたところで、再びおなじ問題が生じたとき、ふたたび回避依存してくるし、共依存が苦しむ。
結婚すれば、回避依存が苦しみ、共依存が楽になる。
自分のなかにある問題を克服していかないと、上手くいかないよ、誰かが苦しむよってことなんだ。
自分が傷つきたくないから回避するわけなんだが、それで相手が傷ついている自覚がないのだと思われる。意識が自分にばかり向いて目の前の人が傷ついた顔していることに気づいていない。
だからこそ、傷つけている自覚を持つべきなんだと思う。
逆に、共依存側は傷ついている自覚がないように思う。だからツインレイの再会を望んでいるように思う。
無意識は逆のことを思っている。こんなに傷つけてくるやつとは一緒にいたくないって。
だけど傷ついている自覚がないのと『結婚がしたい』ことや『ツインレイへのこだわり』とか。多くのエゴイズム的な視点で、傷ついている本心を無視している。
無視したら無視したぶんだけ、ツインレイの再会を望み、ツインレイは同じように苦しんでいるんだろうとか、ツインレイは同じように自分と結ばれるために頑張っているとかの妄想や幻想が始まっていく。
その努力になんの意味があるのか。相手はポテチ食ってると思うぞ。なんなら楽しくバスケしてんかも。
許せないだろうか、そりゃそうだ。だって共依存は『相手にも同じだけ苦しんで欲しい』んだから。
だからこそ、ツインレイ男性も同じように苦しんでいるとか、ツインレイ男性もツインレイ女性のために努力をしている、悩んでいるとか妄想や期待が始まる。
そこに愛はあるのかい?
大事なのは、
『ツインレイと再会したくない自分』と、ちゃんと対話し、向き合っていくことにある。
愛と依存の違いに気づく。
これが共依存側のチェイサーと呼ばれるツインレイに必要なことなんだと思う。
それは幻想や期待に気づくことでもある。
妄想や想像により構築されたツインレイは、それはツインレイの相手ではないという事実に気づいていかなければならない。
冒頭に戻るが、ツインレイの再会を早めたところで、過去の二の舞にしかならない。
なにかの変化が自分のなかになければ、再びおなじ経験を繰り返すだけ。
もし、再会し結婚したとなるならば、回避依存側が苦しむだけ。
だとしたならば、再会できていない今はとてつもなく重要な時期なんじゃないかと考えなくてはならない。
早く会いたいが為に、問題から目を背けることはあってはならないと思っている。
2人の縁が依存的であるならば、それは受け取ってはいけないものだと思う。お互いのためにならないからだ。
もしそうだとしても、愛したこと。愛されていたことには違いあるまい。
***
長くなりました。
まぁ、私が言いたいのはタイトルで述べたものです。
ツインレイは魂で繋がっているからこそ、肉体が離れていていることを「分離」「統合していない」とは言わない。
それぞれに必要なことをしている。
そこに、
ワンネスの世界には分離は存在しない。
己の中に「分離感」を生みだしてしまっている。
と言うお話です。