父親と娘。

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コラム
父親との関係。

これはとても複雑だ。

父は私に優しかった。姉と妹にも優しかったが
私は特別枠だった。

姉の写真アルバムが一冊なのに対して
私のアルバムは6冊もあった。

このあたりから姉は小さい頃から私を
虐めていたのだろう。

小さい頃から遊び相手をしてくれていたのは
父だけだった。

純粋に優しい父が好きだった。
絵を描いてもらったり公園に連れて行ってもらったり
何も言葉を発しない母親とは大違いだった。

しかし思春期に入るとその考えは
一転した。

今までも一緒にお風呂に入ったことは無かったし
私は妹と一緒に入るのが常だったので
大きくなって一人で入るようになってから
父親はおかしな行動をとるようになったのだ。

私がお風呂に入っている時間にしか
タバコを吸いに外に出て行かない。。。

最初はこの時間帯に吸う習慣なんだろうと思っていたが
声をかけ、覗こうとして来てから考えは変わった。

毎回「○○ちゃん、お風呂入ってるの~?」と
声をかけドアを開けてくるようになったので
私はドアを必死に押さえるようになった。

そして「うるさいな!分かってるでしょ!」と
返答していたが、ソレさいも喜んでいるように感じたので
私は無言になった。

そしてこの偏見が間違いであってほしいと
試してみる事にした。

今まではお風呂に入るのはご飯の後。

それをご飯前にしたり
家族の中で一番最後にしたり時間帯を変えてみたのだ。

しかし私の予想は残念なことに当たっており
何時に入っても必ず、私のお風呂を確認し
玄関から出て外の茂みの方に行って10分~15分帰ってこない。

何かをしているのは明確だった。

抜きに行っているのだろう。
そう思うと私はスカートを履かなくなり
いつもボーイッシュになった。

このやり取りは私が高校になって
家を出て一人暮らしをするまで続いた。

母親の虐待、ネグレストについで
父親の性的遍歴が加算された。

もう家の中には妹しか私の味方はいなくなった。

しかし妹もか弱い立場で繊細で
私を助ける事も擁護することもできない。

ただ誰もいない時に一緒に遊ぶ程度だ。


これで家に居る必要性も
家と縁を切る覚悟もできた。

熱心な神様信仰しているおじいちゃんにも
歯向かった。
「私はキリスト教に入る!」と

母親と父親は物凄く怒られていた
どういう教育をしているんだ!?と。

おじいちゃんは仏壇の他に
大きな神棚二つと家の小さな神棚と
外に弘法大師の像を祀り
山には金毘羅様を祀っているので
毎日、これらの神様に祝詞をあげていたのだ。

それを拒否した私は異端児だ。

戦時中、外務省に勤め、戦後は市会議員と農業を
やり続けていたおじいちゃんだ。
厳しく、話す事も戦争の事か
私の取った賞やテストの点数、くらいだった。

80を過ぎたころには小泉純一郎総理から
勲章を授かった。
長い間、自民党市議として活躍してきた功績を認められてだ。

そのころには私は息子を産んだ位で姉妹から
贈り物をするよう親に言われた。

私はもう大人の対応が出来るようになっていたので
素直にそれにしたがえたが息子を産んでいなかったら
違う対応をされていたかもしれない。
唯一この家の男子を産んだのだから。


しかしやはりお爺ちゃんも頑固なので
私がこの家と縁を切ると言われて激怒し
ずっと会っていなかった。

このおじいちゃんも小さい頃
お風呂に一緒に入ると股間をよく洗え、と
しつこく言っていた。

変態は遺伝か。

私は今では色々あったおかげで
やっと普通に親と交流できるようになったが
やはり父の前ではパンツルックしか着ない。


跡継ぎは妹。とおじいちゃんが決めたので
私は自由だが妹は毎回、
公務員との見合いを勧められ
心が壊れてしまった。

姉に関しては長男の嫁に行ったので
外されてたのだが「自分が子供を虐待するかもしれないから」と
跡継ぎを作らない自分勝手な嫁になっていた。

父親は話すのを好むので退屈はしないが

やはり私の中で
中学位からのお風呂事件がまだ消化しきれていないので
なるべく2人にならないように気を付けている。

女性保護施設に入った時には
性的暴行する親から逃げてきた女の子がいたが
家から出れないようにするために
髪をバリカンで丸坊主にされていた。

このように実の親であっても
見てくれが良ければ性的対象になるのだろう。

このような人種が少ないことを願っている。





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