いつ死んでもかまわない。そんな生き方。

記事
コラム
私はもともと小2で自殺を考えていた。

死んだ後も母親に恨まれるのが怖くて実行できなかったが
常に死にたがっていた。

初めて「それまでは生きていたい」と思ったのは
高校生1年の時のマイケルジャクソンの
ファイナルツアー決定を知った時だ。

ドームツアー全部、回れるように
バイトを始めた。
校則違反だが担任も他の先生も
私の生きがいがマイケルだけだと知っていたので
許してくれた。

親はもちろん反対したが引き下がらなかった。

ツアーの事はもちろん秘密だ。
高校を休んで行くしかないからだ。

これも担任は「テスト期間中じゃないから行ってもいいわよ」と
許してくれた。

担任は三年間変わらず、私の精神病や
家の事情も知っていたのでマイケルを取り上げたりしなかった。

だがチケットが送られてきて引き出しに閉まっていたのを
母親は見逃しはしなかった。

私の前にチケットを投げつけ
「高校は休みのひじゃないでしょ!!」
と言って来たので
「担任の許可は取ってある!」
と反発したが許しはしなかった。

全てのドーム公演10万円分を
たった一万でゆずって来た。
価値も知らない馬鹿どもが!と
私は5分で完売しその上アリーナ席だったのを
何も知らない馬鹿どもが騙されて
1万の価値しかない。と
言われて売って来たのを恨まずにはいかなかった。

その日から私は家を出て
友達の家を渡り歩いた。
そして高校を辞めて働くことにした。

家から通うのは到底無理なので
寮付きの美容室に働かせてもらう事にした。
しかし、その寮が半年延期になったので
高校に通うしかなくなった。
なのでやはり辞めて県外に出て
寮付きの水商売をしようと決めた。
学校に行くと
「退学届けの紙ちょうだい。」と
言うと、担任や他の先生たちは止めに入った。

私は授業に滅多に出ず
保健室で遊んでいるか中庭でゴロンとしているか
だったが大事な時は先生が迎えにきて
皆をまとめるのが仕事だった。

友達も多く、権力も強かった。
先生が学級崩壊している状態の時に
私をよく使った。

テストもそれなりに点が取れていた
教科書を一切開かないので化学と生物学、三年の数学では
0点から20点程度だったが
それ以外は赤点ギリギリか現国は漢字以外正解なので
クラスで2番目だった。

私は友達が大好きで毎日グループの中の誰かと
遊んでいた。

リストカットもしていたので
先生や親友達の心配してくれるのが
とても嬉しかった。

そこで担任と精神科の先生が
両親に「高校を卒業させたいなら一人暮らしさせてくだい」
と掛け合ってくれたのを知った。

そして世間体を一番に重んじる両親は
私を一人暮らしさせる事に渋々、承諾した。

私は一番の親友の家の近くの物件を選んだ。
実家より通うのが遠くなるがそれでもかまわなかった。

そんな、こんなで何とか卒業し
中洲でホステスをしてNYの美大に行こうと考えた。

画家になりたかったのだ。

しかしDV旦那にまんまと騙され結婚し
毎日、死ぬか殺されるかの日々を送ったが
私が死ねば旦那は両親に嘘をつきお金を巻き上げるだろう、と
思い自殺できなかった。
〇暴だったのだ。
頭はキレ、力も強い。

身体的暴力、金銭的暴力、精神的暴力
全てを使ったDVだった。

一度血が止まらず病院に連れていかれたが
同席しているので何をされたか言えずただ
気をつけなさい。で終わってしまった。

世はDV憲法の導入1年前でまだ広く認知はされていなかったので
警察に飛び込んでも「夫婦喧嘩でしょ。帰りなさい」で終わっていた。

それから半年6回全国に家出したが
毎回淋しくなり公衆電話から連絡し
「もうしないから帰って来て?」の
甘い言葉を信じては家に入ると
豹変し殴られる、蹴られる、ガラスの灰皿を投げつけられる、などといった
暴力を受けまた家出するしかなかった。

親友も失った。

地元では一人だけ味方になってくれ続け
中洲の友達に助けられ
施設に入り家裁にきちんと調停、裁判を行ったが
裁判の途中で旦那は欠席し
私が家裁に来るのを見張りをつけて
追いかけてきて「つけられている」と
弁護士が気づき私を何とか逃がしてくれたが
私が免許更新に試験会場に行ったがゆえに
捜索願いを出していた旦那に
まんまと引き渡された。
どんなに警察に「離婚裁判中!」といっても
「弁護士を呼んで!」と言っても
警察は
迷惑がってさっさと帰るように促すのだった。

私は黒いカーテンが前面に張られたバンに押し込まれ
逃げ出す勇気をそがれ結局家に連れて帰られ
いつもと変わらない対応を受けた。

私は偽造でも離婚届けを出して受理されれば撤回できないのを
知っていたので出す事にした。
他人になれば暴行罪に問われる。
きっと殺しに来るからその時に捕まえてもらえばいいと
思っていた。

最近では偽造の離婚届けは撤回できるようになると
法律が変わったようなニュースを見た気がするが
その当時は公文書偽造に当たるものの撤回はできなかったのだ。


そして私はまた逃げ、見つかった所で
暴行を受け、届け出を出し、又見つかった所で殺されかけ
友達に1分たっても携帯が鳴らないようなら通報して?と
お願いし家に入り待ち受けていた旦那に殺されかけ逮捕してもらえた。

この話にはもっと複雑な警察の事情や
検察の事情が関わってくるが長くなるので割愛する。

そしてその時暴力団の手配書に載っているかなど
色々、助けてくれていたのが今、24歳になった息子のパパだった。

一件落着したものの、すぐに妊娠してしまい
死ぬことが出来なくなった。

自分の物ではない命を殺す事は出来なかった。

それからはすっと息子の為だけに生きてきた。


息子には関東はきつすぎると、占い師に言われたが
私は関東しかなかったので居続けたら
息子は引きこもりになった。

息子の願いで田舎に移り住んで
息子の為だけに生き貯金も使い果たし
4~5年たった所でバイトを考えてくれ面接も受けた。

落とされて今度はネットで引きこもりが採用されるアルバイト、で検索し
スーパーの品出しに応募し、雇ってもらえたが
初日から目をつけられ酷い扱いを受け次の日から行けなくなった。

それからは家事を全部することを
条件にお小遣い5千円で暮らすようになり
自分で1万円でパソコンを組み上げたり
ゲーム機を購入したり動画を見て筋トレを欠かさない毎日を送っている。

モデルをやっていたが身長は166cmで止まり
高校も中退しているし田舎なのに免許を持っていない。
出来る仕事は限られているが働こうと思えば働ける環境だ。

私は今は安定していると考え2年前からフルタイムで
働くことになった。

職場でも色々あるが私は今でも薬を飲み続け働いている。
親とも色々あって何年かかけて普通に話せるようになった。
しかし親は自分の話は一切しない。
妹が跡継ぎになる事が決定している。

このように全く普通の生活をしてきたことが無い私だが
いつも最善を考えその道を選び
息子にもママの人生こんなのだったと話せる状態にある。

旦那から逃げていた時も、
関東でパパがギャンブル依存症になって
300万以上使われてきた時も
パパを追い出した時も
昼の仕事を始めた時も
店長と喧嘩し辞めた時も
全く後悔していない。

婚約を2度したが別れたのも
田舎に引っ越したのも後悔していない。
もちろん関東に帰りたいが
息子が一人立ちできるその日まで待つつもりだ。

そしてその時が来た時の為に
時給の高い派遣で働いているのも
見分が広がったと思っている。

毎日、一生懸命、働き息子の事をいつも考え
お菓子を買ったりアイスを買ったり
息子に恥じない人生を送っているつもりだ。

息子はまず、私と2人で近くのスーパーに買い物に
行くようになり、今では一人で買い物に行けるようになり
引きこもり学級の中学時代の友達と
県外まで遊びに行ったり、買い物に行ったり出来るようになった。

私はいつの日か仕事が出来るようになると
信じているので何も言わない。
お互いの好きなアニメやお勧めのマンガ、
映画、ドラマの話をする。

時々辛いと、もらす事もあるが
俺は毎日幸せだ!という事も多々ある。

雨風を防げる家があって
お風呂に入れて
食べ物もあって
友達も一応居て
ゲームが出来て
ママがいる。

それで幸せなんだそうだ。
息子は死にたくないと
真っ暗な部屋に引きこもっていた時も
言っていた。
私は一緒に死にたかったが死ねなくなった。

だから毎日何があっても最善を選ぶようにし
後悔を一ミリもしない毎日を送っている。

毎日ハグし、何日かに一回は
「好きよ」「愛してるよ」と告げ
仕事に集中している。

パパと息子を養い
手持ちのお金が250円しかなくなり
六本木から泣きながら高円寺まで歩いて帰ったこともあった。
でも次の日には日銭を稼ぎ
非合法だが働きお金を又、貯めたりしていた。

電話が怖くて面接に行けない事も何度もあったが
それも数を重ねると慣れていき
電話が怖くなくなった。

毎日毎日、必死に生きてきたからだと思う。
その時、その時を一番最善策だと思う道を選んで欲しい。
そうすればいつ死んでも後悔しない。

息子には高校時代からの写真や
色んな話を聞かせてある。
私の経験で重要な所は全て話してある。

だから私は美味しいものを見つけたらすぐに息子に買って帰るし
何か教訓を得たら話して聞かせる。

息子も悩んでいる時や
寂しい時は私に話してくる。

性的な好みの女の子の話も私たちはしている。

これが後悔しない人生だと思う。
私には息子が居る限り叶えたい目標もできたし
大きな夢もある。

その為に最善を尽くして頑張っている。
息子はそんなママの背中を見て
「ママみたいに強くなりたい」と言う。

いつも「明日から…」とか
「後で…」「来年は…」では遅い。

きっと後悔する理由が出来てしまうだろう。

いつも考えて欲しい。
今取るべき最善の道は?!
どうすれば後悔しない?!

私は組事務所で若頭と「指切りげんまん」を
した事がある。
もう小指を無くす覚悟も出来ていた。
一瞬、一瞬で判断するしかないのだ。

どうか迷わない人生を送ってほしい。
分からない時は私に連絡してみてもいい。

波乱万丈を40年以上生きてきた。
息子は引きこもりだから普通の家庭ではないが
私には今が一番、普通で楽しい毎日だ。

日本がこのまま平穏な国家であれば私たち親子は
毎日が幸せだろう。


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