【京都】伏見稲荷大社よりも古い歴史を持つ、十種神宝ペンダントと隼人の盾で有名な伏見神寶神社。【神社仏閣探訪】

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十種神宝ペンダントで有名な、伏見神寶神社。

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私がずっと、伏見稲荷大社の中で「おとん」と会える場所、と思っていたところはどうも、この伏見神寶神社を遥拝する形になっている場所だったようだ。

それは、いつも通りに奥宮のある場所の定位置で手を合わせて居た時に気がついた事だった。

今まではただの山だと思っていた場所に、伏見神寶神社がある。
そんなのグーグルマップを見ればすぐに分かる事だったのに、本当に不思議でならない。

そうして、やっと伏見神寶神社そのものに参拝することができた。
奥社からこんなにすぐ近くにあるのに、なんで今まで忘れていたのだろう。
子供の頃、確実に何度も連れてこられているはずなのに。

何度も何度も長距離を走っては通ってきた伏見稲荷大社。
なんとも今更ながら悔しい気持ちも半分ありで参拝することとなった。

奥社から千本鳥居の方へ向かって、根上がりの松のあたりで立ち止まると、小さな道標がある。
伏見稲荷大社の案内図にも載っていないので、この道標だけが手がかりだ。

今回は、十種神宝ペンダントと御朱印も欲しかったので、社務所が開いている時間でないと駄目だったし、できれば伏見稲荷大社の駐車場を使いたかった。
なので、伏見稲荷大社の駐車場が開く時間、朝5時着を狙って家を出た。
到着してしまえば、駐車場で社務所が開くまで仮眠できる。
そうして走り慣れた道を通り、見慣れた風景を眺めつつ、予定通りに駐車場についた。

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伏見稲荷大社そのものの社務所が開いている時間等は載っているのだが、伏見神寶神社のこととなると実に情報が少なく、そうしてバラバラだ。

私が朝の9時に行った時には、社務所は開いていた。
けれどももしかしたらもう少し早いのかもしれないし、曜日によるのかもしれない。

千本鳥居は観光客でいっぱい


すでに観光客で賑わっている千本鳥居を通り抜け・・・
いや、ここを通り抜けるのにずいぶんかかったのだけれども。

正直、コロナ渦の時は良かった。
千本鳥居で撮影する人々にこんなに足止めされる事がなくなっていたので、そういやずっとこんな風だったな、という感覚を取り戻すのにずいぶん時間がかかった。

ちなみに、この一週間前に深夜3時に行った時は貸し切りだった。
社務所に用事がなければ、私はやはり人の居ない時間帯を狙いたい。

夜の写真だが目印はこちら。
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千本鳥居を抜けて、奥宮も通り抜け、再度鳥居に入る。
そうして根上りの松のところあたりに小さな目印と山道がある。
そちらに入っていくと、とたんに人気がなくなる。
道はあまりよくないので、ヒールだとちょっとしんどいと思う。
私はクロックスだったんだが。

そうしてちょっと山道を歩いてたどり着いた伏見神寶神社。

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何十年越しだろう。
やっと来れた(いつも目の前まで来ていたのに)というこのなんともいえない感覚。でも、なんだかやっと来た、というよりはやっと帰ってきた、という感覚が正しかった。私が本当に帰ってきたかったのはここなんだ、と、感慨深い気持ちにもなった。ただいま、というのとはちょっと違う、ただ、帰ってきた、という難しい気持ち。

それから、「やっと来る事を許された」という感覚。
「おとん」がなぜ奥宮の裏からの遥拝しか許さなかったのかは分からないが、
それでも、今日までここに来れなかったのは「おとん」の意思だと思う。
私の成長がまだまだだったのか、何が足りなかったのか、時期を待っていたのか、それは私には分からない。

本殿は天照大御神、つまり天照国照彦火明櫛玉饒速日命、つまりニギハヤヒ。


天龍と地龍に迎えられ、本殿へ。
本殿は天照大御神、つまり天照国照彦火明櫛玉饒速日命、つまりニギハヤヒ。
いわゆる天照大神ではないのでお間違えのないよう。

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本殿の中には大きな「隼人の盾」が置かれている。
平安京から出土した、古代在京隼人が使用した8世紀前半頃の木製の盾。
魔除け厄除けのまじないともいわれるこのモチーフはとても不思議なものである。今回は十種神宝のペンダントが目的だったので、写真はない(撮影禁止なので)

磐境様のところの鳥居に下がっていたので、この写真はOKだと思うので掲載しておこうと思う。
磐境様は竹取物語発祥の地と言われるうちの一つの場所でもあり、降臨神石という筍のような形状の石が祀られている。

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社務所横には龍頭大神が祀られている。ここに来たら一番目を引くかもしれない。龍の像が鎮座していて、龍がくわえている玉を手で回しながら祈願をすると願いが叶うとかなんとか。

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私は回して来なかったのだが。
いや、回してくれば良かった。

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底津岩戸社は天鈿女命。

布留社は白菊大神、白髭大神、白竜大神。
石上神宮と地下水脈でつながっているそうで、
伝説では石上神宮から白い布がこの地に流れ着いてきたと伝わっているそうだ。

十種神宝ペンダント


そうして念願の十種神宝ペンダントをゲットした。
銅と銀と選べるようなのだが、色々と入りやすそうなので銅にした。
なんとなく、こういうものは銅が良いと思う。
銀のほうが人気みたいだけどね。
購入すると神寶宝典も一緒に頂ける。
とてもありがたい。

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手に取った瞬間から、すごく身体の中から締め上げてるという良くわからない感覚に襲われた。
暫く、休憩スペースで動けなかった。

ただ、不快かというとそうではなく、心地よいものだったよ。
だってここは、私が「おとん」と会話をしていた奥宮の裏手から見上げていた場所そのものだから。
この体感だって「おとん」がやることなのだから、何も疑問もない。
いや、暫く動けなかったのは事実なのだけれども。

でも、何かやっと「おとん」のシンボルを貰えたような、少しだけ近くなれたような、そんな気がした。


また、一と平良にもお土産として渡したのだが、
一はペンダントを手にした瞬間から暫く悶え苦しんでいた。
ニヤニヤしながら眺めつつ、お土産をこれにして良かったと心から思った。


天照大御神・稲荷大神・十種神宝を奉安し、
稲荷神社本殿が稲荷山山頂に祀られていた頃から奉拝所として重要な祭祀を行っていたと伝わるこの場所。

伏見稲荷大社は、和銅四年(711)秦氏による創建といわれている。
が、この伏見神寶神社が実は、皆が知っている伏見稲荷大社よりも前にあったと言う説、そこに絡む様々な歴史と権力。

ここに出てくる秦氏も、ただ秦氏として括るのは危ういのではないかと思うほどに諸説があり、私にはどの説が正しいかを明言することはできないが、物部が深く関わる、という事は、伏見神寶神社を見ればだいたいの人は分かるのではないかな。


一二三四五六七八九十
布瑠部由良由良。



伏見神寶神社
〒612-0811 京都府京都市伏見区深草笹山町15
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