大人と子供の境目Ⅲ

記事
コラム
中学3年と言えば、修学旅行。
当時、私は関西に住んでいたので旅行先は東京。
宿泊施設や日程などは全く覚えていないが、そこは私の初体験の場所となった

一日の日程が終わり、宿泊施設に向かった。
そのホテルが近づくにつれ、体が熱くなり始めていた。
「熱っぽいかな・・」
ホテルに着き、足元がザワザワした。
「何だろう・・・落ち着かない・・・」
友人たちとお風呂に入ったり、食事をしたりしながら
おしゃべりで気を紛らわせていた。
今思えば、ホテルと言ってもドアは横開き
和室で入り口側は6畳・奥の部屋は8畳・窓はない。
置かれているのは、足の付いたブラウン管のテレビが一つ。
その部屋に8人が泊まる。
私たちのグループは、おとなしい子達4名にうるさい私達4名
奥の8畳の部屋を使わせてもらった。
かといって、6畳と8畳の和室の仕切りはない。
何かを改装して作ったホテルなんだろうとふと思った。
深夜になり、おとなしい子達は寝始めた。
私達はおしゃべりが止まらず、布団に座り小声で話していた。
深夜2時前 入口のドアを見て私は凍り付いた
明らかに何かがいる。。。。
いきなり黙り込んだ私に友人は「どうしたの?」と聞いてきたが
体が全く動かない。
頭の中で聞こえる、悲鳴・うめき声・叫び
突如、私が発した声は年老いた男性だったらしい。
「何言ってるの?月ちゃん、どうしたの?」
友達の声は聞こえる。何か伝えたくても私の声が出ない。
襲いかかる感情、怒り、憎しみ、喪失、絶望、憎悪
静かに淡々と私は男性の声で何かを伝えていたらしい。
私は体の中の何かと必死で戦っていた。
戦っているというより・・聞いていたという方が近いかもしれない。
男性の声に耳を傾け、その後ろで聞こえる様々な人々の声
子供の叫び声、赤子の泣き声、女性の悲鳴、男性の悲痛な叫び
「苦しい・・助けて・・」「生きているのに何故埋める・・」
「呪ってやる・・子々孫々、苦しむがよい・・」
息が出来なくなってきていたが、私は心を落ち着けた。
苦しむ声、誰に伝えたいのか。どうしてほしいのか。
体中が冷え切っているのに、熱く燃えてきた。
静かに目を閉じ、問いかけた。
苦しみから解放されたいと、人々はいう。
おばあさんの言葉が頭をよぎった。
「あなたには特別な力がある事」
でもどうやって?何をすればいいの?
私は声のする方に近寄りそっと抱きしめ、苦しみから解放されるよう念じた
強い力が体を縛り付けていく。それでも耐えて念じた。
安らかに、穏やかに、心から安心できる場所へ。。。
熱い涙が流れた。自分の物なのか、人々の物なのかわからない。
渦巻くようにたくさんの涙が流れ、やがて静かに消えた。
気が付いたとき、朝になっていた。
私達4人は手をつなぎ、丸くなって泣きながら寝ていた。
1人の子が言った「昨夜のは・・」その後は黙ってしまった。
入り口付近で寝ていた子たちは、全員金縛りで動けなかったという。
夢ではないんだ・・・ホテルの廊下にある窓から下を見下ろすと
お墓が並んでいた。私は下に降りていき、お墓に向かってお辞儀をした。

昭和初期、戦争で身元が分からない人々があの場所に沢山埋められていた。
空襲で焼けた人、強姦された女性、悲観して自殺した人、
川に飛び込んで溺死した人、子供が髪に絡んだまま亡くなった女性。
中にはまだ生きているのに、死亡者とみなされ仮埋葬地に埋められた。

沢山の魂があの地に埋められていたのだ。
「どうか、安らかにお眠りください。。」手を合わせその場所を後にした

私にはそんな能力は要らない。 正直な気持ちだった。
それでも、親戚や友人・知人が亡くなる数分前には会いに来る人が多かった
亡くなる前に助けたいのに・・・それが、私の願望だった。

おばあさんは、私に課題を多く残しすぎてるよ・・・
その力ってどうすればいいのかわからないよ。。。

数十年後、その時一緒だった友人に会った。
あれは夢だったのか・・そっと聞いてみた。
「夢だといいけどね。月がどこかに消えてしまいそうで怖かったよ」
やはり、夢ではなかったんだ・・・

続きはまた明日・・・

angel.png






サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す