発達障害は障害なのか?

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暖かい日が続くようになりましたね。
春の訪れをやっと感じられる季節となったようです。
私は先日コンサルティング先のベンチャーへ出張でケニアに滞在し、帰国したばかりでまだ時差ぼけを感じております。
ケニアは日本と違い、食うに困らず一年通して暖かいので

「なんとかなる国」

です。

この辺りはまた後日別の記事でお話をと思います。

さて今回は2回目の投稿になります。

1回目の投稿からかなり批判を買いかねない論調で滑り出しましたが、今回は発達障害を持つ当事者として、それに同じ障害を持つ人とふれあう機会を
経て感じた事柄について私見を述べていきたいと思います。

タイトルの通りでございますが
「発達障害は障害なのか?」
という疑問を提起させて頂きたいと思います。

まず障害とは何か。
日本では「障害基本法」という法律の中で「障害」の定義がなされております
「障害者とは、身体障害、 知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の 障害がある者であって、障害及び社会的障壁(事物、制度、慣行、 観念等)により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を 受ける状態にある者をいう」
上記引用文がまさに「障害」の定義となります。

これによると発達障害は
1項:心身機能に障害があり
2項:社会的障壁により継続的かつ日常生活に制限がある
となります。読んだまま、その通りの文章になってしまいますが、要約するにこの二点ですね。

では、発達障害が障害たらしめるには1項ではなく2項を充足していれば定義に収まることになりますね。

では条文の一部にフォーカスしてみましょうか。
(これあまり広がりのある話ではないのですが、定義の確認は万事共通にロジカルな思考をするに必要なので摘んでいきます)
社会的障壁(事物、制度、慣行、 観念等)により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を 受ける状態
これですね。
1:事物
2:制度
3:慣行
4:観念他
この4点に支障があるものが障害者と定義されます。

ではこの4点を作り定義したのは誰でしょうか?
それは自称健常者達です。

我々発達障害者は自称健常者が定める社会の通則の範囲から外れるので障害者と呼ばれるわけですね
いやみたらしく言うと、健常者達のような規格製品の検定からはじかれた
不良品のような定義になっているわけです。

何が言いたいのかというと
障害の定義そのものが論理的に脆すぎる建て付けになっている
ということです。

なぜ私たちが健常者の定める規則に則り生きていかなくてはならないので
しょうか?
この規則について、社会や会社では「一定の配慮をする」というような
言葉で留まっているのが現代の障害者への対応のようですが、我々発達障害を持つ人々は障害でなく個性だと私は主張を続けておりますので、配慮という言葉にはとても違和感を感じてしまいます。

なぜこのような論説を展開しているかというと、つい最近インターネット上で
「発達障害の被害者の会」というコミュニティを見つけてしまったからです。

発達障害に出会って迷惑を受けたという話を延々繰り広げており、見るに堪えない内容でした。

発達障害の「障害」の定義の脆さ、また背景には医師の誤診、さらには
自称発達障害の方々(確定診断を受けていない人々)のおかしな論調。
この国にあっては全てにおいて滅裂な状態です。

私たちはこの世の中に生きづらさを感じることもありますが、背景を見てみるとこのように複雑な事情があるようで、一括りに議論ができる状態にありません。

続く

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