女優遠野なぎこさんの摂食障害について、自分の経験から思うこと。

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コラム
女優の遠野なぎこさんが15歳から摂食障害と闘っているとのネット記事を見ました。

摂食障害遍歴だけを切り取れば、自分と似ているなぁと思いました。

私も高校1年(15歳)から拒食症となり、その後44歳まで過食嘔吐でした。
遠野なぎこさんは今43歳なので、そろそろ過食嘔吐のダメージが表面化してくる頃かなと思います。

なんとか踏ん張ってバランスを保っていたところが傾きはじめ、ある時ガタつき、大きな病気になるかもしれないなと思っています。

「病気になること」=「悪いこと」ではありません。
一概にそうとは言えません。
病気によって救われることもあります。

私は44歳の時に発見された良性腫瘍を機会に生き方を修正し、過食嘔吐から解放されました。

ブログで何度か書いていますが、
私は腹痛によって「原因不明」の上腹部の腫瘍が発見されましたが、
その腫瘍が発生した場所が左上腹部で胃に接しているようだと聞いたときに、
原因不明なんかであるはずないと思いました。
その場所は、嘔吐する際に左手で圧迫する場所だったからです。


上手に吐けない私は、嘔吐する時に胃に外側から圧をかけることで吐きやすくしていました。納得いくまで吐ききるまでに30分間かかるとして、何十回圧迫したんだろうというくらい、繰り返していました。

間違いなくこれが原因だと思いました。

案の定、腹腔鏡手術で取り出した直径7センチもの腫瘍の病理検査結果は「筋腫のような組織」だったらしく、圧迫しながら嘔吐を覚えて恐らく15年以上、積み重ねた悪習慣を改めて恐ろしく感じました。

圧迫を重ねた悪習慣がもたらした結果として腫瘍ができたわけですが、
これ、圧迫しなければセーフだったんじゃない?と思われるかもしれませんが、
そういうわけでもないと思っています。

過食嘔吐がもたらす身体への負担は大きいです。
お腹がはちきれそうになるまで大量に食べれば、通常の食事量に比べ何倍もの消化液が必要だし、何倍もの蠕動運動で内容物を移動させ、何倍もの消化酵素やホルモンが忙しく稼働することになるので、消化器官や身体にかかる負荷は非常に大きいのです。

また、胃液が混ざった胃内容物を嘔吐することは食道の炎症を引き起こしますし、
口から食べたものを消化吸収させるという人間の身体のしくみに逆行している嘔吐は、非常に不自然な行為であり、身体全体に負荷がかかることは避けられず、
それを重ねていけば、どこかに歪みや捻れ、滞りが起こり、ある時病気にかかるパーセンテージが高くなるのは当然です。

そう考えれば、身体に負担のかかる過食嘔吐そのものが、もうアウトなわけです。
私だけは大丈夫、とある一例にすぎないと他人事でいても、ある時病気が発現することは避けられません。

遠野なぎこさんや私のように、摂食障害と共に生きて腐れ縁のようになったケースでは、
病気になることでショック療法のように立ち直りを図ることが、1番手っ取り早く1番確実に、摂食障害から解放されるように思っています。

これは私の経験から思うことなのですが、
なんだかんだと「過食嘔吐できてしまう身体があるから、やってしまう」過食嘔吐してしまうのではないでしょうか。

過食嘔吐をして、身体が破壊されたとしたら、「やらない」やれないんです。

高齢者になってまで過食嘔吐する元気がある人なんて、私はいないと思っていますが、
それは、過食嘔吐が与える身体へのダメージに、高齢の身体では持ちこたえることができないと感じるためです。

遠野なぎこさんは今現在も過食嘔吐に振り回され苦しんでいるようなので、
もういっそのこと身体が大きく壊れて、再建を図るような流れになれたら過食嘔吐の苦しみから解放されるかもしれないと、私は自身の経験から思ってしまいます。

もちろん、これは私の実体験からの極端で荒っぽい考え方でしかないし、
病気になって身体が大きく壊れて過食嘔吐をやめられる人もいれば、やめられないという人もいるでしょう。

病気に陥ってしまった意味に「気付く」ことができた人は、やめられると思っています。

そもそも、拒食症や過食嘔吐自体が「心と身体を傷付ける病気」です。
本来なら、摂食障害という病気に陥った時点で、気付くチャンスは与えられていることになります。

「気付く」とは、何に気付くか?ですが、
「このままの自分では生きられない問題を、今現在自分は抱えているんだ」と気付くことです。

過食嘔吐はその抱えている問題に付随する症状でしかないため「問題の本質を突き詰める勇気と努力が必要」です。

拒食症や過食嘔吐といった摂食障害といった病気が、私の腫瘍摘出手術のような大きなショック療法までの衝撃に至らないのは、
「問題の本質を突き詰める勇気と努力に費やす時間が必要だからかもしれない」と感じています。
一朝一夕には問題を解決することなんてできませんから。

遠野なぎこさんは繊細で頭の良い方だと思うので、過食嘔吐に限らず、現状にとても大きな葛藤を抱え相当苦しんでいるんじゃないかと想像します。

幼い頃親から虐待を受けていたようですし、芸能界という弱肉強食の世界に見を置いていますし、結婚離婚を繰り返しプライベートでもなかなか落ち着かない様子が伺え、問題が複雑に入り組んでいるような気がします。

幼少期の環境による呪縛を切り離していくことは自分との闘いになるのですが、
今現在の環境を安定させることで、呪縛もいくらか解けていくのではないかなと思っています。

過食嘔吐から離れられない「問題の本質を突き詰める勇気と努力」は、言ってみれば「自分を変える」ことになります。

今現在が不安定であれば、そのまま歩んでいったところで不安定の現状維持です。
現状を打壊するためには「何かを変える勇気と努力が必要」ということです。

過食嘔吐からの解放だけを考えれば、
芸能界から一度離れて、大きく環境を変えてみるのも手じゃないかなと思っています。
(私は自分の先の人生を考え、愛情のなくなった関係を断つために調停離婚し環境を変えました。)

もしくは、恋多き女から脱することも手だと感じます。
2人より、ぼっちである1人の方が場合によっては安定します。

ぼっちは苦行かもしれませんが、摂食障害にしろ、人生上の問題にしろ、恋愛の問題にしろ、上手くいかないのは、そこに課題があるということに他ないように感じています。

今回、遠野なぎこさんが現在進行形で長く患っている摂食障害をカミングアウトしたのは、芸能人というポジションだけに自己アピールにも感じますが、自分らしく生きたいと歩み出したのかな?という印象を持ちます。

しかし、遠野なぎこさんが本当に自己アピールを狙うのも、本当に自分らしく歩み出せるのも、過食嘔吐を克服してからでしょう。

過食嘔吐を克服できると世界が変わります。
私は私で良いと思えます。
自分がしてきた人生の選択を受け入れることができます。
黒歴史だった過去に感謝でき、今まで苦しめられた過食嘔吐にも「この経験があったから」と思えます。
そして何より過去に悔いがなくなるから未来だけを考えていけます。

遠野なぎこさんが過食嘔吐を克服して、私のような気持ちを抱いてもらえたら、それを世間に発信し、
過食嘔吐に苦しんでいる人の光となってもらいたいなと思っています。

それはもう、遠野なぎこさんにとって大きな自己アピールにつながりますし、大きく歩み出せることでしょう。


繰り返しになりますが、
「病気になること」=「悪いこと」ではありません。
病気によって救われることもあります。

摂食障害も、糖尿病や動脈硬化などの生活習慣病も、癌だって、
「人生を改める」「人生をもう一度考える」「人生をもう一度建て直す」
そのための「大きな機会」だと、私は捉えています。

加えて言うなら、
壮年期や老年期に身体が衰えて病気になるのは、その衰えや病気を通して、これまでの人生を振り返るため、
そして、残された人生を大切に生きるためどうしたらいいのか考えるための「仕掛け」のように思っています。

「仕掛け」だと考えられない人より、「仕掛け」だと考えられる人のほうが、
残された人生の彩りは豊かであることは間違いないように感じています。

今回も書きたい放題書かせて頂きました。
こんなマニアックなブログを最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。




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