過去は持ち歩かない

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コラム
先日、職場の男性介護士さんと話をしました。

良くも悪くも人に有無を言わせない

そんな発言力と決断力のある人だなと思ってた人でした。


休憩時間に

経営者向きじゃないですか?

と話したら

「いや昔そうだったから」
と言われました。


あーそうだろうな、やっぱりなと話を聞くと

若い頃から、
イタリア料理店の経営、焼き鳥屋の経営などしていて、
今も何やらお金を動かすことをしているようでした。

歳をとって健康不安から安定が欲しくなってこの仕事に就いたと言っていました。

へ〜凄いな〜

と話していると

その男性介護士さんは
自分のカバンから
厚さ2センチほどになる
何十枚かの写真を輪ゴムで束ねたものを取り出して、


「昔の写真」


といって、
輪ゴムを外して

彼の若かりし頃の、
それなりにボロボロになっている写真を見せてきました。


「わ~オラオラ系だね〜」

と感想を述べた私は


かなり引いていました。


何故、
カバンからそんな厚さの写真が出てくるのかと、

何故、
ドアップのドヤ顔や、
ギャルと一緒にいる写真を持ち歩いているのかと、


いやもう、

写真の厚さや
何故その写真?
なんてどうでもよくなってきて、


昔のオレ、凄かったんスよ


それは発言力のある人ではあるけど発言しないまでも、
もう、ビシバシ伝わってきて


一言


「ダサい」


と思いました。


私は、
現状がどうあっても
過去を持ち歩くようなことはしません。


それは写真のような物理的なものだけではなく、
心理的なことでも、です。


ブログを書くに当たり
昔を振り返っているけど、

それは、
今、昔の私と同じように苦しんでいる人に
大丈夫だよと伝えたいためです。


食べて吐いてを長年繰り返して

昔は凄かったんスよ

なんて思っていないし

どっちかというと、
世間一般的に恥ずかしいことだと認識しているから、

そんな過去を披露しようなんて、

自慢にもならない
簡単には語れない

それなりに勇気のいることでした。


なので、

若かった頃は良かったとか
あの頃は良かったとか

本当にまるで、思うことがありませんし、

昔の自分の写真を眺めることも、そんな機会もないです。

むしろ、

今の自分を形成してくれた過去に感謝しつつも、


だけど
もうさよならと

連絡を断つ感じです。


現状が満足で幸せいっぱいなわけでもないです。


不満があるからこそ、
幸福を感じてみたい

そう思って今を一生懸命生きて未来を追う

そんな生き方をしていると思っています。


何が成功できたから、何が達成できたからって、
幸福なわけでもないですよね?

生活の充実感と幸福感は必ずしも一致するものではありません。


『人を感動させるのは結果ではなく、その過程なんだ』
ということが書いてある本をどこかで読みましたが、
それに近いことなんだと思います。


挫折を感じたって、何かに失敗したって、
もう1度立ち上がれる
諦めない自分でいたい。


だって
きっと
それが成長というもので、
それが強さというもので、
自分を信じるということなんだと思っているからです。


現状がどうあっても、
今の自分が1番好きなら、

過去を持ち歩く必要なんてないはず。


披露するのは今の自分でいいし、
一生懸命生きている今の自分を見せつけてやればいい。


私はそう思っているし、

その方が建設的な生き方で
発展的だと思っています。

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