誰かに意見を聞くとはいいことなのだろうか

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 「白石ってやつがいて、すげーよ!俺、白石についていく。お前もどう?」とあなたが友人に話したとしよう。その話を聞いた友人は、「白石ってだれ?そんな訳わからんやつについていって、お前大丈夫か。」と言うだろう。友人に言いたい。初めまして。私が白石です。そして、大丈夫なのです。試しに申し込んでみませんか?

 当然、相談相手は選ぶ。親に相談してみなさいよ。「俺、サッカー留学する。」「お前、将来のことちゃんと考えているのかい?」まぁ、否定だわ。大人になった。「俺、脱サラする」と誰かに相談する。「世の中、そんなにうまくいかないと思うよ。」と否定される。「私、外国へ行ってみる。」「行ってどうするんだい」と否定される。
 心配だから止めるんだよ。と言っていいのは親だけで、他の否定者はただの嫉妬なのでは。自分がやれない。だから、羨ましい。ということはなかろうか。
一方「オレオレ。って適当に電話したら、簡単に金が手に入るぜ。お前もどうよ。」「料理とかしなかったののに、結婚したらするようになってさ。めっちゃうれしくてね。料理の味は洗剤の味が時々するくらいまだおいしくないんだけど、成長を見守ることにしている。ハート。」と聞けば、誰もが「よせ」と否定する。
 間違った方向に行きそうなときに止めてくれる。これは、嫉妬ではなく、本当に心配なのだ。

否定されれば行動しにくくなるわけで、賛成は行動への後押しになるわけで。

 ところで、賛成する人って無責任であり、止める奴ほど友人思いということはないだろうか。止める、否定する人は、嫉妬からの否定と話したが、そうでないとしたら。ちゃんと友人のことを考えているとしたら。「会社辞める。」と言われれば、収入がなくなり、生活できるのか、と心配になる。「生活苦のお前を見たくない。」辞めたい人にとっては余計なお世話であるが、心配してもらえている。ということになる。「脱サラ!いいねいいね。いっちゃえ!」というアドバイスをする友人。「だよね!応援してくれてありがとう。お前やっぱり親友だ!」と気持ちが良くなるが、そのあと借金まみれになったとして、その「いっちゃえ!」と言った親友は返済の保証人になるのだろうか。なるわけがない。お前ならやれる!お前を信じてる!と聞けば誰でも嬉しくなって、前に進むだろう。が、信じると言うなんの根拠もない、これまた無責任発言がそこにはある。という見方にならないだろうか。まぁ、そんなこと言っても、心配して、「生活苦のお前を見たくない。」と言ってくれた友人が保証人になってくれるわけもないのが悲しいが。余談だが、保証人になってくれるのは、友人未満、知り合い以上の人のいい人間だそうだ。保証人になってくれるかで親友かどうかを判断するのもおかしいね。
 話を戻して、仮に、否定する友人が嫉妬でなく、本当に心配しているとしたら、そこに無責任感はない。それこそ、友を思うから否定する。これは親友に値するのではないか。しかしながら、それでは、やりたいことを行動に移すことが半減される。アドバイスに決定権を委ねれば自立は遠ざかり、自分が何者か迷ってしまう。

まとめると、無責任なことを言う友人に相談し、「お前最高!」と言ってもらい行動に移すも良いし
本当に心配してくれている友人に相談し、「お前と話すと否定ばかりでつまらん」と言いながら、結局ビビって行動しないというのもいいだろう。

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