中小企業経営のための情報発信ブログ217:組織の意思決定と真善美

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組織における意思決定は組織の生命線と言える重要事項です。しかし、多くの組織では「ルール」を設計することばかりに注力し、構成員であるメンバーを無視してしまっています。組織というものは、もともとは考えも思考も違うバラバラの個人の集まりです。当然、全員が同じ考え方をするということはありません。経営者やリーダーは、このばらばらの意見をひとつにまとめ上げ、決断していかなければならないのです。
1.組織を蝕む「ルール至上主義」の問題点
 多くの企業では、組織運営において、ルールの設計ばかりに気を取られていると言ってもいいでしょう。意思決定についてもルール化がなされます。意思決定のルール化が進むと大きな落とし穴が生まれます。その一つは、「思考停止」です。ルールが作られると、「なぜそのルールが作られたのか」という背景を考えることを辞め、何も考えることなくルールに従います。これはルールに従ってさえいれば、咎められることはなく、問題が生じないからです。また、「ルールをいかに誤魔化すか」という浅はかな考えに支配され、ルールを破ること、ルールを破る言い訳を考えます。
 ルール化された意思決定では、多数決や「決まりだから」という理由で、マイノリティの意見は無視されます。多様性が叫ばれていたとしても、同調圧力で、反対意見や少数意見を口にすることさえできません。言いたくても言えないといった諦めが蔓延したり、対立を対立として放置したりする文化が生まれます。こうなれば、意思決定を磨くどころか、組織のエンゲージメントはどんどん低下し、負のスパイラルに陥ります。
 組織においてルールは必要ですが、あまりにもルールにこだわりすぎると、メンバーの思考停止を引き起こすことに注意を払う必要があります。多様な意見を受け入れるためにも、自由に発言できる雰囲気とルールのバランスを図ることが重要になります。そのためには、心理的安定性のある職場を作ることです。
2.よりよい意思決定は「真善美」の3ステップで
 多様な人の集まりである組織の中で、バランスをどのように取ればいいのか、そのヒントが「真善美」という言葉にあると言われます。
 真善美というのは、人間の理想的な3つの価値基準を指す言葉です。それは、「人が求めてやまないことであり、自分の心の根っこにあるもの」です。
 稲盛和夫氏は、その著「生き方」の中で「人間は、真・善・美に憧れずにはいられない存在ですが、それは、心のまん中に真・善・美そのものを備えた、素晴らしい真我があるからにほかなりません。予め心の中に備えられているものであるから、私たちは求めてやまないのです」と言っています。
 この真善美に触れると人は胸を打たれ感動します。真善美と心の奥にある真我としての真善美が響き合うするからです。
 そうは言っても、我々の日常を見ると、ロシアのウクライナ侵攻など真善美を備えた人間の行為だとは到底思えません。人間には醜い部分も多く、真善美を指針とすることはきれい事に過ぎないように思えてきます。しかし、だからこそ、真善美を指針として掲げ、人間の醜い部分を抑えなければならないのです。
稲盛哲学の根底にあるのは、「個人として正しいこと」ではなく「人間として正しいこと」を貫く生き方であり、これらはリーダーを始めすべてのビジネスパーソンに求められるものです。組織が大きくなり、リーダーの考えや人間性が緩むと、組織が機能しなくなります。組織が成長発展するためには、リーダーだけでなくすべてのビジネスパーソンが常に「人間として正しいこと」を貫く生き方をしなければならないのです。
 先日も、今の経営学は科学を追究するあまり、机上の学問に成り下がったということを書きましたが、「何のために企業は存在するのか」「正しいこと、善きこと、美しいことは何であるのか」といった根本的なことを問うことが経営の第一歩です。
 真善美を組織の意思決定の基準として使うことも必要かもしれません。
 例えば、「ある人物を責任者に抜擢する」という人事について検討するとします。
 真・・・その人物の実力は組織のために役立つか?
 善・・・その人物が責任者になることは、部下にとって、同僚、顧客にとって善きことか?
 美・・・その人物が責任者になることは、真と善を兼ね備え、美しいと感じる判断か?その意思決定にワクワクするか?
 このような真善美を前提に深く対話をすることで、成熟した議論がなされ、よりよい意思決定に繋がるというわけです。しかも、こうした対話は、個人の成長も促進するため、より自律的な人材の育成にも役立ちます。
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