中小企業経営のための情報発信ブログ162:人の寿命と企業の寿命

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今日もブログをご覧いただきありがとうございます。
今日は、休日なのでビジネスの話から離れます。
4月も10日になり、桜も完全に散ってしまいそうです。桜を眺めながら良寛禅師の辞世の句を思い浮かべました。
「散る桜 残る桜も散る桜」 良寛禅師
今まさに命が燃え尽きようとしているとき、たとえ命が永らえようとも、それもまた散りゆく命に変わりがないという良寛禅師の辞世の句に潔さと美しさを感じます。桜は咲いた瞬間から散りゆく運命を背負っていますが、また人間も同じです。人はいつかは死ぬものです。いつ死ぬのか、死とは何かに思い悩んでいても、答えは分かりません。死ねば分かります。思い悩むよりも、今を精一杯生きることが大切です。そして死が訪れたときには良寛禅師のごとく潔く燃え尽きたいと思います。
さて、良寛禅師の辞世の句を紹介したので、今日は「死」について考えてみたいと思います。最近、死に関する本が書店で目に付きます。
シェリー・ケーガン著「DEATH 死とは何か」(文嚮社)、五木寛之著「死の教科書」(宝島社新書)、上野千鶴子著「在宅ひとり死のススメ」(文春新書)、橋爪大三郎著「死の講義」(ダイヤモンド社)、池上彰著「池上彰と考える『死』とは何だろう」(KADOKAWA)などです。
シェリー・ケーガン著「DEATH 死とは何か」はイエール大学の哲学講義ですが、内容的には団塊の世代向けといったところでしょうか。団塊の世代(戦後昭和22年から昭和24年に生まれた世代)は、いわゆるマニュアル本世代です。大学受験で旺文社の「傾向と対策」を活用し合格した世代、その団塊世代が死を意識し出した年代になり、死へのマニュアル本を求めていると言われています。
「人生100年時代」と言われるようになりましたが、災害や病気でわれわれの日常は死と隣り合わせです。
五木寛之著「死の教科書」は、「死にゆく人たち、それを看取る家族や友人。死にゆく者を見送る家族は生にすがり、少しでもその人の命を延ばそうとします。死はいったい誰のものなのか、去り行く人と見送る人、その両者の視点から、さまざまな48の問いかけに五木寛之氏が答える問答集」です。
上野千鶴子著「在宅ひとり死のススメ」は、累計122万部のベストセラー「おひとりさま老後」シリーズの最新版で、慣れ親しんだ自宅で自分らしい幸せな最期を迎える方法を教えてくれています。「孤独死」ではなく「おひとり様死」です。
橋爪大三郎著「死の講義」は、社会学者である著者が、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教など、それぞれの宗教が持っている「死とは何か」についての考え方を説明し、死について考えるうえで宗教の重要性を説き、どの宗教を選ぶか、「死とは何か」「死んだらどうなるか」は自分で決めなさいと言っています。
池上彰著「池上彰と考える『死』とは何だろう」は、「死と向き合うことで、自分はどう生きるべきかかということが浮かび上がってきます。格差社会と言われる中、誰にでも『平等』に訪れるもの―それは死です。・・・誰もが迎えることになる『死』についての知識を深めることは『自分の生き方』について深く考える作業になります。『死』を考えることは『生』を考えることだ」と言っています。
仏教の創始者ブッダは、80歳の時、旅の途中、チュンダという人物から施しを受けた供物を食べて亡くなったと言われています。衰弱していくブッダの姿を見てチュンダは責任を感じて嘆き苦しみます。そんなチュンダにブッダが言い聞かせます。
「チュンダよ。嘆く必要はない。お前は最後の供物を私に与えてくれた。大いなる功徳がお前にはある」
また、死の淵をさまようブッダの傍らで、不安で狼狽える弟子のアーナンダに対し、ブッダは言います。
「嘆くでない。悲しむでない。生じたものが滅しないということはない。生まれた者は必ず死ぬのである」
人は生まれた時点で「寿命」という余命を宣言されています。誰もが生きて、死ぬのです。この世に生まれたということは、致死率100%の寿命という病にはじめから冒されれているのです。人は病に冒されたから死ぬのではありません。生まれたから死ぬのです。
人は必ず死にます。これは諦観ではありません。仏教で「諦める」ということは努力することを止めることではありません。「諦める」というのは、真理や真実を「明らかにする」ことです。真実真理を明らかにして、やるべきことをやったうえで、後は仏様にお任せすることです。「人は必ず死にます」この真実を明らかにし認めたうえで、精一杯努力してやるべきことをやって、「いつ死ぬのか」「どのように死ぬのか」は考えても仕方ないので、お任せすればいいのです。
「桜は散る。人の命も散る。必ず散るこの命とは何なのか」
良寛禅師は「散る桜 残る桜も散る桜」という辞世の句の中で、よいよい生を生き抜くために「死」を考えることの重要性を教えてくれているように思います。
さて、最後に少しビジネスの話です。
人生100年時代と言われますが、企業の寿命は30年とも言われています。これは、1980年代に日経ビジネスが、企業が繁栄を謳歌できる期間は「平均30年」としたことから「企業の寿命30年説」が唱えられるようになったのです。
東京商工リサーチによれば、倒産した企業の平均寿命は23.9年で、あながち企業の平均寿命30年というのも間違っていないように思います。企業が倒産・廃業する事情はさまざまですが、多くはその事業内容が時代にそぐわなくなったからです。
企業の成長サイクルというのがあります。創業期⇒成長期⇒成熟期⇒衰退期と進んでいきます。商品やサービスには寿命があり、企業としてのさまざまな停滞要因が重なって、30年あたりで限界を迎えるのが多いのです。
しかし、30年を超えて成長し続ける企業も多くあります。これらの企業は、企業の成長サイクルの各ステージを見据えて発展していくための施策を行なっています。こうした施策を怠った企業が30年という寿命で消えていくのです。自社の事業が成長サイクルのどの段階にあるのかを俯瞰し、その先どのような時期にさしかかり、そこで生ずる問題を事前に予想して対策を講じることが大切です。特に重要なのが資金繰りと人材確保、更にイノベーションです。
人間の寿命には限りがあります。しかし、企業は「ゴーイング・コンサーン」未来永劫成長・存続していかなければなりません。自分の命は自分だけのものですが、企業の命は、それに関わるステイクホルダーすべてのものです。そのためにも、安易に絶えさせるわけにはいきません。経営者として企業経営に携わる以上、自社の命の灯火を消すわけにはいかないのです。
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