マインドコントロールの話を続けます。
昨日の記事について、ブログ友達の小野公使さんから「ということは、いわゆる『いいね!返し』は、あまり良くないということですか?」とのコメントをいただきました。
私は
「難しいところですね。
そういう人の善意を利用しているわけですが、だからといって「『いいね返し』をするなとはいえません」
と返しましたが、SNSをしている人は承認欲求から、どうしても「いいね」を欲しがります。
「カズレーザーと学ぶ」に出演していた立正大学心理学部教授西田公昭氏によれば、今カルトの勧誘で、最初に近づいてくる方法は、SNSの「いいねボタン」で、韓国のある教団はいいねを利用して信者が3倍ほど膨らんだとのことです。
返報性の法則(お返しをしたい気持ち)から、「いいね」をもらうと返さずにはいられない人が多いのです。
ただ、それで済めばいいのですが、そこを足掛かりにさらに距離を詰め、教団に誘い込むわけですね。
そして、昨日書いたように末端勧誘員はいい人であることが多いので、なかなか見破ることができません。
異常な要求をされたり、世間から隔絶させようとしているなと思ったら、すぐに距離を取って、専門家に相談することでしょう。
しかし、人の善意につけ込む手口に対抗するのは本当に大変です。
ところで、思うのですが、仏教やキリスト教といった伝統的宗教とカルト集団とはどこが違うのでしょう。
たとえば比叡山の延暦寺、高野山の金剛峯寺、福井県にある永平寺は厳しい修行で有名ですが、修行僧は世間から途絶されたところで集団で生活し、食事は質素で、睡眠も十分に取れません。
まさに「感覚遮断」「飢餓(低栄養)」「睡眠の剥奪」をやっているわけです。
そういえば、戒名*を付けるといった形でアイデンティティを奪ったりもします。
*本来、戒名とは亡くなったときに付けるものではなく、出家した時に付けるものです。
特に、比叡山で行われる有名な千日回峰行は非常に過酷で、少なくとも外部から見れば拷問と変わりません。
本人が希望しているとの意見もあるかも知れませんが、洗脳を行うカルト集団も同じことをいうでしょう。
どこが違うのでしょう。
反社会的活動を行うかどうかで見分けられるとの意見も聞いたことがありますが、現在では認められている宗教や宗派が異端とされて政府(幕府)から弾圧されたなんて話はいくらでもあります。
たとえば、比叡山は信長と戦をしています。
一向一揆もありました。
すべて特定の宗教の信者が権力と戦ったわけです。
イスラム教やキリスト教等の宗教のことはよく知りませんが、そういえばキリスト教も最初は弾圧されましたよね。
たとえば、カルト教団側にしても、自分たちは誤解されて弾圧されていると主張するでしょう(断っておくと、私はオウム教団を擁護する気はまったくありません)。
大体今、国会でも大騒ぎしている旧統一教会にしても、全盛期にカルトだといって糾弾した人間はほとんどいません。
それどころか、議員や有力者、有名人はみんな取り入ろうと必死だったじゃないですか。
では、金儲けを目的にしていることが判断の基準になるでしょうか。
これも無理でしょう。
どことはいいませんが、金儲けを目的にしていて繁栄している宗教団体は沢山ありますし、政界にまで進出しているところもありますから。
結局、歴史に判断を仰ぐしかないのかも知れません。
では