戦争を知らずに育ち、脳内お花畑になった子供たち
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今日もまたウクライナ危機を取り上げます。
突然ですが、「戦争を知らない子供たち」(歌:ジローズ、1971年発表)という歌があるんですが、ご存じでしょうか。
私が比較的若いころに流行った歌ですから、もうほとんどの人が知らないかな。
以下に一番の歌詞を引用します。
「戦争を知らない子供たち
作詞:北山 修/作曲:杉田二郎
戦争が終わって僕らは生まれた
戦争を知らずに僕らは育った
おとなになって歩き始める
平和の歌をくちずさみながら
僕らの名前を覚えてほしい
戦争をしらない子供たちさ」
そうなんですね、私のような老人でも生まれたときには戦争は終わっていました。
そして、戦争を知らずに育ってきたわけです。
急いでいっておくと、この歌の発表当時から自分たちが知らないだけで、世界のどこかでは今も戦争をしているとの批判がありました。
しかし、今日はそれがテーマではないので、そのあたりのことは割愛します。
そして、「平和の歌をくちずさみながら」育った子供たちは、戦争を他人事として考えるようになってしまったようです。
ここまで考えているところで、右翼系と見なされている作家の百田尚樹さんのツイートを見つけました。
「そういえば、以前、シールズの若者で、他国が攻めて来れば、『自分は前線に行って、敵国の兵士たちと一緒にお酒飲んで歌を歌う。それで戦争は終わる』と言っていたのがいたな。
今その若者は、今回のウクライナの戦争を見て何を考えているのだろう。
もしかしてロシア語の歌を練習しているのだろうか」
まさに上に書いたような、「戦争を知らずに育ち」、挙げ句の果てに脳内お花畑になった若者の戯言ですね。
現実というものがぜんぜんわかっていないというか、意図的に目を逸らしているのでしょう。
どこの馬の骨ともわからない人間が前線なんかに行けば、一緒にお酒飲んで歌を歌うどころか、問答無用で撃ち殺されて終わりです。
まだ、義勇兵として参戦するほうが役に立てるでしょう。
今回のウクライナ危機についても、相変わらず早く降伏しろとの意見が見られるようです。
そして、そんな時におうおうにして上げられるのがガンジーの名前ですね。
ガンジーは非戦を説いたと。
しかし、ガンジーは「非暴力、不服従」を提唱しましたが、「無抵抗主義」を標榜したわけではありません。
さらに、あまり知られていないようですが、以下のように述べています。
「わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。
インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。
しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。
しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか」
ご覧のように、人間にとって重要なのは誇りだといっているんですね。
一昨日書いたことを繰り返しますが、人間にとってもっとも大切なものは祖国と同胞を守るという矜持です。
「戦争を知らずに育ち」、挙げ句の果てに、他国の民族の存続をかけた国防戦を早く止めろなどといったことを恥ずかしげもなく口走るようになった人たちにはわからないのかも知れませんが。
最後に書いておくと、橋下徹氏は、
「義勇兵、2万人に到達 欧州各国からウクライナ入り(時事通信)
➡︎心から敬意を表します。結果を出しつつ生き残ってください」
とツイートしていますが、さすがに少し評判を気にするようになったのかな。
では