努力は量じゃない。

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私は昔からよく「努力家だね」と言われてきた。
だから自分でも努力することは自分の持ち味だとも思ってきた。


でもその努力の時間や精神的に割いた対価をみてみると、頑張った自分への達成感はあるが、得た成果がその努力に見合っていたかというと自信をもってそうだったとは言い難い経験を沢山してきた。
”ここまで頑張った結果だ”という思いがあるからこそ、「自分の限界もここまでだ」と勝手に決めつけていたような気もする。

だから他の人がむしゃらにやれる状態じゃないと、だめなんだと思ってしまったり。とにかく自分が無理して頑張れば…周囲にとっても役にだてるのだと思っていた。

仕事で、チームリーダーになり、自分もプレイングリーダーとして個人目標ももちながら、チーム目標ももっていた時のこと。

みんなは頑張っているけど目標も高く中々厳しい。
だから私はその分カバーして、チームの目標に貢献しよう!
とにかく、他の人には無理させたくないので自分の時間を削って役にたたなければ!と思っていた。

だけど、チーム全体としての成果、はたまた会社への貢献度の観点で見た時に、私がいくら達成率を一人であげたとしても、チームの一人ひとりが+1成果を伸ばすだけでチームとしての成果は圧倒的に高くなる。

例えば時給換算でいうと私が一人で+7時間多く働くよりも、メンバー一人ひとりが+1時間働けば良かったのだ。

そんな簡単な事実に気が付かなかった。
私は自分が7時間頑張るということにある種酔っていたのかもしれない。



前提努力は大事。その過程で学ぶことや見えるものがある。

でも努力の量はが成果に比例するとは限らない。
がむしゃらに頑張るよりも「より少なく、しかしより良くする」は出来る。
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