726.遭難件数は過去最多 それでも人が「登山」にハマる納得の心理的要因

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遭難件数は過去最多 それでも人が「登山」にハマる納得の心理的要因


コロナ禍で閉鎖していた山小屋の再開や健康志向の高まりなどにより、登山人気が再燃しているようです。
景色を楽しみながら、ゆっくり山を登る「ゆる登山」という言葉をネット上で目にするようになりました。


 そんな中、登山者の遭難や事故が相次いでいます。
警察庁によると、2022年の山岳遭難の発生件数は3015件で、統計の残る1961年以降で最多だということです。
命の危険にさらされるリスクがあるにもかかわらず、なぜ登山に夢中になる人が多いのでしょうか。
さまざまな社会問題を論じてきた評論家の真鍋厚さんが、心理学者の研究を基に考察します。



自然を「征服」したいという欲望
 新聞やテレビでは、登山者の遭難や事故に関するニュースがほぼ毎日のように報じられています。
識者は、登山者の遭難や事故が続出している原因について、体力不足や装備不足といった経験値の低さや過信などを挙げています。


 しかし、それだけでは物事の一面しか語っていないことになるでしょう。人には、「自らリスクを取る行為に興奮」するという、特異な心理があるからです。

 近年、危険なスポーツや祭りなど、「危険だが快感を伴う行為」を指す「エッジワーク」(edgework)という視点から、人々の矛盾する行動を解明しようとする研究が進んでいます。
普段、人は危険を避けますが、ある場合には好んで危険に飛び込むからです。


 そもそも、登山が危険なスポーツであることがあまり認識されていません。転倒や滑落、落石のほか、高低差や気温差による体へのダメージなど、リスクを数え始めるときりがありませんが、知ってか知らずか、老若男女問わず、さまざまな世代の人が山に魅せられています。


 山に登ることそのものに喜びや楽しみを見いだし、人生を豊かにする意図を持つ近代登山は、18世紀に欧州で生まれました。
日本では、明治時代以降、少しずつ大衆化していきました。
近代登山には、自らの力で山を「征服」し、自然の美を「観賞」するという思想があります。


 このような価値観を背景に、登山の魅力が一般化していったのです。
そこには、「エッジワーク」の根本的な要素といえる「自分自身のスキルによってリスクを管理し、対処することから得られる刺激と満足」がありました。


 スキーの経験がある人は覚えがあるかもしれませんが、スキーを始めた当初は、どこに滑り出すか分からないため、恐怖を感じます。
しかし、ある程度、自分の滑りをコントロールできるようになると、その恐怖を自分の技術で克服することが可能に思え、恐怖より快感が上回るようになります。

 これが「エッジワーク」の本質です。
このような精神状態について、分かりやすく図示しているのが、英国の心理学者のマイケル・アプターです。
アプターは、安全・危険・外傷の3つのゾーンを示し、危険と外傷の間の境界線を、「危険の淵(dangerous edge)」と呼んでいます(『デンジャラス・エッジ 「危険」の心理学』渋谷由紀訳、講談社)。


 興奮を求める心理状態は、危険の淵の内側に沿って、心理的なプロテクティブ・フレーム(保護枠)の存在があることが想像できるといいます。
このフレームのおかげで、危険の淵から落ちることはないだろうと感じられるのです。

 登山は、長い時間軸を持っているため、いつも危険の淵にいるわけではありません。
逆に言えば、天候や体調の変化など、複雑な因子によって、状況は刻々と変わるため、フレームは不安定ということでもあります。


 そもそもこのフレームは主観的なものなのです。自分が危険ゾーンにいるのか、安全ゾーンにいるのかは、本人の感覚的なものに依存するため、安全ゾーンだと思っていたら、外傷ゾーンに入り込んでいて命を落とすということがあり得るのです。


「エッジワーク」を提唱した、米国の社会学者のスティーブン・リンは、先述の「自分自身のスキルによってリスクを管理し、対処することから得られる刺激と満足」を「自己実現」という言葉で表現しました(Stephen Lyng“Edgework:The Sociology of Risk-Taking”Routledge)。


 これを「自分は『危険の淵の内側』にいる」というフレームの主観性と重ね合わせると、「エッジワーク」の真の危険性が何であるかが明らかになります。
なぜなら、外傷ゾーンに入らなかったことが必ずしも本人のスキルによるものとは言えないからです。


 技術も知識も経験も未熟であるにもかかわらず、たまたま運が良くて登頂できただけなのに、本人はそれを自らの力によるコントロールと勘違いし、「自己実現」の感覚をますます高めていくという可能性があります。


 とりわけ登山中に湧き起こる爽快感や充実感は、客観的に見て危険が迫っている状況や、ルートの逸脱といったミスなどを軽視してしまう恐れがあります。
勘違いがそのまま放置されると、無謀な挑戦という恐れ知らずな行動として現れるかもしれません。


「エッジワーク」の厄介な点は、現代社会の状況と切り離せないところにあります。
日常では体験できない自己への没入と解放感は、社会の息苦しさの裏返しでもあるからです。
また、皮肉なことではありますが、予期できぬ事態に対する対応力は、むしろ複雑化する社会でこそ必要なスキルであったりします。


 前者の場合は、仕事や家庭で自律性を発揮できていない人にとっては、自律性を取り戻す代替的な手段になり得ます。後者の場合は、「エッジワーク」は、むしろ過酷でストレスフルな社会で求められる「柔軟性」を磨く修練の場としての意味を持ちます。

 さらに、「エッジワーク」に当てはまるものは、危険なスポーツだけに止まりません。
犯罪や金融などが研究対象になっていますが、新たな境地や新たなアイデンティティーを獲得する側面を併せ持っている可能性があることも大事なポイントです。


 私たちは通常、けがや死をもたらすようなリスクを避けているように見えます。一方で、進んでリスクを取る行動に熱中する傾向にあります。
「エッジワーク」は、その動機が主観的なコントロールのほか、自律性が生み出す楽しさ、興奮によるものだと教えてくれます。


 ただし、登山は、周囲の人々を巻き込むリスクがあり、1人で完結することはできません。遭難や事故といったトラブルがあった場合、同行者や救助に向かう人々、警察などの関係機関などに負担が掛かるからです。
そのため、自身のスキルについて、徹底した客観化が不可欠なスポーツといえます。

 しかし、エッジワーク的なものを禁止することは現実的ではないでしょう。私たちは、さまざまなストレスやしがらみの中でもがきながら、自らの意識や身体を高められるものを必要としているところがあるからです。


 エッジワーク的なものを満たせる安全な遊び場をつくるというのは、1つの解決策でしょう。
しかし、重要なのは、「人は自ら危険に飛び込みたがる」という特異な傾向から目をそらさず、エッジワークとうまく付き合うための建設的な案を絶えず思考するという姿勢ではないでしょうか。


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