書くことがなくてしんどい!書く以前の「取材」と「思考法」~VOLUME1.自分の事は書こうとしなくてもいい?~

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学び
口コミ塾の泰(ヒロ)です。
今日も来て頂き、ありがとうございます!
まず、はじめにちょこっとお話ししてから、今回の内容に移っていきたいと
思います。なので、少しだけお付き合いください。(^^♪





はじめに:


「書くことがない」と言って悩んでいる人がたくさんいます。

・『アウトプットが大切なのは分かってる。でも書くことがないんだよ!』
・『毎日文章を書きたいと思っているんですけど、何を書けばいいの?』

よくそんな声が聞こえてきます。
そんな「書くことがない」と悩む人には、実はある共通点があります。



それは「自分こと」を書こうとしていることです。


これは、どういうことなのか。要は、「自分の中にコンテンツがないとダメだ」と思っているんです。


しかし自分の中に「何か」がなくても発信はできます。


大切なのは、自らコンテンツを生み出そうとするのではなく、まずは他者のこと、周りのことを発信すればいいんです。

前回の記事の中でも少し触れましたが、自分の中には何もないんです。
急に哲学的な話になりますが、「自分」というのは「他者」で、実はできています。



自分の事を説明しようと思ったとき、例えば『埼玉県出身、飲料を卸す会社に勤めていて、都会よりなんですけど自然もあって、近くにモールもあるから買い物もしやすいです。なので、非常に住みやすい町に住んでいます。』こんな感じで言うことでしょう。



このとき、出身地も会社も住んでいる町も、「自分」ではなく「他者」の話になります。


だから、自分の事を語ろうとすると、どうしても他者を混ぜて語ることになるんです。というよりも、他者を語ることで「自分の輪郭」が明確になっていくんです。


なので、無理に自分の中からネタを搾り出そうとしなくていいんです。他者に頼ればいいんですよ。(^^♪


なので今回は、どうやったら書けるのか。ネタ探しから、書く時の私がやっているマインドなんかをお伝えしていこうと思っています。是非、最後までお付き合いして頂けると嬉しいです。それでは、早速今回の授業に移っていきましょう。




「コンテンツメーカー」ではなく「メディア」になればいい?

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私自身、誰かに聞いた話をよく発信しています。

「上機嫌というのは、すなわち上質なことである」という話を書いたことがあります。これはキリスト教のシスターさんから聞いた話です。


また、自律神経の研究で有名な順天堂大学の小林弘幸先生から「人間が我慢できる量は決まっている」という話も聞き投稿したことがあります。


どちらも自分が「なるほど!」と思ったので発信したら、いい感じに伸びましたね。(^^♪



なので、自分のことを発信することは難しくても、自分の周りで起きたことや自分の心が動いた瞬間を書けばいいんです。


お母さんやお父さんの言動がおもしろければ、それを文章化してもいいでしょう。あなたの職場に変わった人がいるなら個人情報に配慮しつつ、その人のことを投稿してもいいでしょう。



なんでもいいんです。発信するネタというものは。



みんな生きている以上、必ず誰かから、何かしらの刺激を受けているものです。それを発信すればいいんです。何も難しいことはありません。


だから、つまるところ、本当は全員「メディア」なんです。
私もあなたも含めて。



それなのに、「コンテンツメーカー」になろうとするから無理があるんです。
書けないときにみつめるべきは「自分の内側」ではなく「外側」なんです。


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でも、「他者のことを書けばいい」と言うと、時折『人のコンテンツをパクることになりませんか?』と聞かれることがあります。


確かに、炎上は怖いものです。叩く人もガーーーーって来るときがありますから。怖いと思うのも仕方がないでしょう。
すべてをあたかも自分が最初に言ったかのように言えば、炎上するかもしれません。


ですが、「これは聞いた話です。」と伝われば炎上はしません。


自分が最初に言ったかのように振る舞ってウソがばれるから炎上するんです。要は、最初から嘘をつかなければいいんですよ。簡単な話。(^^♪



私が話しているコレも私が読み漁った本や遊んだゲームのセリフ、誰かに言われた言葉だったりします。私の中から生み出したものは一切ありません。

それを逐一メモし、いつか使うだろうと思って溜めておいただけ。それをまとめていい感じに編集したにすぎません。(^^♪




情報コンテンツ自体、いたるところにあふれています。
「まったく新しいもの」を発信することは相当難しい芸当です。
そういう時代においては、「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が重要になってきます。



つまり、唯一無二の存在である「あなた」を通して発信することに意味があるんです。

・「どういうフィルターを通ったか?」
・「どういう人が伝えたか?」
・「その情報に対してあなたはどう感じたか?」など。

↑これが重要なんです。



目に見える範囲でも、発信できるネタは隠れています。
無理せず、そこにあるもので発信するのが大切です。





人生が雑談なら、あなたは「人生の編集長」である!


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私の中に「伝えたい強烈なメッセージ」というものはありません。世の中に対して、訴えたいことも特にないです(笑)


もちろん「平和であればいな」、「みんな仲良く、豊かになればいいな」くらいは思っていますよ?
それでも、声高々に「世界を平和に!」と街頭で演説したり、ブログでガンガン発信していきたいとは思いません。



でもコレって、ほとんどの人がそういう感じではないでしょうか?

『発信してみたいけど、別に伝えたいことなんてそんなにないんだよなぁ~。』と。



ただ、私の場合は「書けることの楽しさ」それを知ってほしいので、それは伝えたいと思っています。




だから、「書けない」という人は「作家マインド」ではなく「編集者または編集長マインド」に切り替えて発信することがおすすめです。



私のマインド云々についても語りたいところですが、「編集者または編集長マインド」について深堀していかないといけないので、今回はカットします。またいつか、話す機会があったら書くかもしれないです♪



さて、「作家マインド?」or「編集者または編集長マインド?」。「ナンソレ?」な状態だと思います。


作家は、訴えたいことが自分の中にないとうまくいきません。その点、編集者は「誰かに伝えたい」という思いさえあれば投稿可能です。


人生が雑談なのだとしたら、人はみな自分の人生の「編集長」です。
おもしろいこと、役に立つことを見つけてきて、集めていけばいいわけです。

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実は、「書く」というのは「編集」に近い行為です。

何故なら、誰しもが既にある情報や言葉を組み合わせて文章にしているからです。


私は、記事を「書い」たり、書くことに対してよく「アドバイス」を求められたりします。その際、よく「ライターさんですか?」と言われることがあります。その時、『私の本業は口コミ家です♪』って言ったりしています(笑)



でも、口コミも取材に近い行為でもあります。私の中では、限りなく「編集者」に近いと思っています。誰かを取材したうえで、文字起こしや原稿などの素材がないと書けないからです。



だから、取材対象者に色々聞いて、素材をもらう♪



まったくのゼロから自力で文章を生み出すのは私は苦手です。結局、素材を「編集」しているにすぎないので、ライターを名乗ることには違和感があるんです。( *´艸`)


私のおすすめは、作家ではなく編集者。「書く」のではなく「編集する」というマインドです。良かったら、このマインド使ってみてください。(^^♪


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おわりに:

・はじめに
・「コンテンツメーカー」ではなく「メディア」になればいい?
・人生が雑談なら、あなたは「人生の編集長」である!
・だから、取材対象者に色々聞いて、素材をもらう♪
・おわりに



今回の授業はここまで。
今回の授業の内容を復習することで、最初は拙いかもしれませんが、日を追うごとにドンドン文章を書けるようになっていけるでしょう。人と比べる必要はありません。自分のペースで学んでいくことが大切です。明日は、今日よりも1ミリ成長していきましょう♪

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さて、次回の投稿は、土曜日PM10時ー11時の間に行います。内容としましては、「書く」前の「取材」云々について根掘り葉ほりしたいと思います。


是非、あなたの時間が許す隙間時間にでも読みに来てください。
ご来訪お待ちしております。
それではまた。

                                以上

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